02/唐津無情

Aug, 2005

唐津


長崎道を多久で下りて唐津に入る頃には激しい雷雨は峠を越えて巨大積乱雲も海上に去った。

ドレミが唐津焼きの物産館に行きたいと言うのでバイパスを外れて唐津の市内に入っていくと国道のとなりに何やら味わいのある石橋がかかっているのを見かけた。近くに行ってみると駐車場が1時間50円と書いてある。安い。

「よーし♪物産館まで歩きがてら,唐津の街を散策しよう。」

雲の切れ間から強い西日の差し出す中を,物産館をひやかして雑多なアーケード街から武家屋敷の残る町並みへと散歩した。唐津城を仰ぎ見ながら町田川という小さな川沿いを歩いているとたくさんの小さな蟹が道から逃げて川の干潟に下りてゆく。

潮まねきという蟹だろうか。干潟には無数の穴が空いていてそのひとつひとつに逃げ込んだ彼らは,いっせいに穴から出したはさみで「おいでおいで」する。その面白さにドレミがはまってしまった。

「ねえ,誰を呼んでるのー?」

などと話しかけながら飽きることなく見ている。こうなると満足するまで放っておいた方がいい。ボクは少し離れた堤防に腰掛け,リュックのポケットから曲がった煙草を取り出して火をつけた。あたりはゆっくりと暮れなずみ河面に映る空だけが明るい。犬を連れた人が蟹と話している異邦人をいぶかしげに見ながら通りすぎる。今夜泊まる場所も明日の行き先も決っていない。ただ見知らぬ町の川岸にいるだけだ。

「か,完璧な旅情だ…」

ひとりごちたとき,ドレミが

「銭湯さがさなきゃ」

と横に立った。

 

「え?ゆうべ徹夜なのに今晩ビジネスホテルに泊まらないの?」

「節約,節約♪」

すたすたと駐車場に向かう妻をあわてて追い掛けると後ろでさわさわと潮まねきが穴から出てくる気配がした。

運命の夜

玄界灘に横たわる砂洲は虹の松原と呼ばれる景勝地で美しい松林が続いている。その外れにある温泉旅館が外来入浴を受け付けていた。窓に広がる海を眺めながら塩分の濃い温泉につかって体を休めたら元気が出てきた。


名護屋城跡にその名も「天下一桃山」という道の駅がある。途中の居酒屋で貝汁定食を食べて半島の先端にある道の駅に着くと欲も得もなく眠りに落ちた。

そして夜半過ぎ運命のときは来た。

寝苦しくなって,暫くエアコンをかけようとセルを回したがエンジンが回らない。出発前から恐れていたトラブルだ。1時間ほどエンジンルームと格闘したが,もとより素人の手には負えない。やがて激しい睡魔に抗しきれず二人とも車内に倒れ込むように寝てしまった。

強い朝日に蒸し出されて目が覚めたが悪夢は現実のままだった。諦めてJAFにダイヤルするとようやく覚悟ができた。

「JAFが来るまでに名護屋城行ってこよう」

「うん」

すでに全身水をかぶったような汗を拭きながらボクらは真っ白に太陽を照り返すアスファルトの坂道を走った。すぐにへばってまた駆け出すうちだんだんに笑みがこぼれてくる。まあじたばたしても仕方ない。

名護屋城跡はすっかり公園化されてしまっていたがところどころに残る石垣は,当然のことながら昨夏ウルサンの西生浦倭城で見た石垣によく似ていた。高台に立つとその規模は驚異的だ。家康を始めいずれ名だたる戦国の雄たちが秀吉にひれ伏してこの辺境の岬に韓入りの陣を張った。

そして誰もがその渡海戦争が無益なことを知っていながら奮闘せざるを得なかったのだ。豊臣政権の強大さが実感される。

桃山時代に飛んでいた心は携帯の着信音であっけなく現代に引き戻された。JAFの車が予定より早く着いたという連絡だったので,ボクは道の駅までまた走るはめになった。かなり年輩のJAFのおじさんは日曜の早朝出動であまりやる気がなかった。

エルミネータを開いてセルを回し

「火花が全く飛んでません。」

あっさり自走をあきらめた。そりゃあセルがこれだけ元気に回っているのだから点火系であることは火を見るより明らかだ。ボクは電気系統のトラブルだから,

「もし始動時だけの問題ならばなんとかエンジンを回してもらって福岡かせめて佐賀市の大きな工場まで自走できないでしょうか」

と聞いたのだが老整備士の反論は全く聞き取れなかった。そもそも自動車の部品名というのはカタカナ英語が氾濫している。いったんカタカナになったそれらの英語を江戸弁と博多弁で発音すると同じ単語とは思えない。「あるだねった」が「オルタネーター」で「むえんのるれえ」が「メインのリレー」だとわかったところでボクはすべてをあきらめ彼の指示に素直に従うことを決意した。高くなる太陽を遮るもののない駐車場はまるで熱したフライパンだ。ロープをかけて連結するために車の向きを変える。

「もっと(ハンドルを)きって!」

…無茶言うない!(前輪の幅)215だぞ!

体感40度近い運転席でパワステオフ状態のハンドルと格闘していると脳ミソまで煮えてくるようだった。

だからエアコンのないレッカー車の座席に3人並んで乗っても涼しく感じる。

汗だくの男に挟まれてちょこんと座っていたドレミが小さく悲鳴をあげた。

見ると,室内灯にクモが巣をかけているではないか。垂れ下がる巣だけは手で取ってやったがクモは室内灯に居座って警戒体勢に入り恐怖に凍りつくドレミとにらみ合いになった。

行き先の「唐津のばうの」が「唐津のホンダベルノ」であることも,もし切れていたハイテンションコードのヒューズを交換すれば(ボクの予想通り)福岡まで自走可能であったこともこのときは知らない。ただ日本語の柔軟性の証しと称賛されている「外来語のカタカナ表記」に意外な弱点があったことを学んだボクはおとなしくレッカー車のシートに身を委ねていた。

道路がアップダウンするたびにガコっと大きな音を立てながらダブルクラッチでギアを上げ下げしてレッカー車は走る。窓外に呼子の美しい海がガクガクと流れてゆく。

クモとにらめっこしているドレミの額に冷や汗が一筋流れた。

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