03/西海の墓標

Aug, 2005

逆襲

唐津ホンダベルノの主任整備士は広辞宛ほど分厚い配線図をめくりながら車の下にもぐっている。ボクたちはロビーで,アイスコーヒーなんかもらって検査の結果を待っていた。ホンダは夏の前に次々と新車を発表したので日曜のディーラーは活気にあふれ朝からあちらこちらのテーブルで商談が大詰めを迎えていてなんとなく居づらい。

「写真の整理でもしようか」

長い旅行中,デジカメのデータはノートPCに移動して毎日整理する。メディアは少なくてすむし「あー!変な顔に写ってるー!消去!消去!」などとさわぎながら,その日の写真を見るのは車泊の夜の楽しみでもある。車のときは電源をシガーライターから変換機を使ってとるが幸いベルノのテーブルにはコンセントもついている。

「電源コード」
「…」
「電源コード」
「…忘れました」
「え?しょうがないなあ。整備の人に頼んで車まで行ってくるよ。」
「家に忘れた。」
「え?えーー!?」

一難去らずにまた一難!!デジカメのメディアカードは2ギガ分しかないし,きのう一日でその大半を使っている。そういえばここに来るときレッカー車の窓からヤ○ダ電機を見たことを思い出した。行ってみれば何かいい考えが浮かぶかもしれない。ベルノのスタッフは迷惑な闖入者に親切だった。

「デモカーをお貸ししますよ。まだ時間がかかりそうですからついでに市内観光でもどうぞ。」

こうしてボクたちはスカッとエンジンの回る新型フィットに乗ってヤ○ダ電機に行った。しかし新宿西口の量販店に慣れているボクはそのPC周辺機器売り場の品揃えに呆然とした。

「PC専門の別館があるんじゃないか?」
「聞いてみようか」

聞いてみたが別館はもちろんボクたちのバイオに合うの電源コードもなかった。ボクはこの売り場の範囲で問題を解決する方法を必死に考えた。忘れ物の張本人はCDプレーヤーの売り場でにこにこ遊んで待っている。まあどうせこういうことには役に立たないのだから,明るくしていてくれた方がありがたい。まだ一週間以上ある旅程を考えるとメディアカードを買い増していったらいくらお金があっても足りない。

そうだ!ここは20ギガ程度のストレージを買おう。すでに一台持っているがHDならあとで何かの役には立つだろう。

「ポータブルのストレージください。」
「何ですか?それ」

乾坤一擲の最終案は店員のひとことであっさりとポシャりすごすごとベルノに戻ったボクたちにはさらに悪い知らせが待っていた。

電気系統をショートさせていたのは燃料ポンプの異常だった。燃料ポンプはちょうど人の心臓と同じで,ときどき不整脈のような症状を起こしながらある日突然ダウンする。ところが走行状態にあるときはほとんど異常は感じられないらしい。

「部品は狭山の工場から取り寄せで3日かかります。おそらく燃料ポンプを交換すれば直るでしょう。」

主任整備士は同情をこめて言った。ボクはドレミをロビーに残し駐車場の縁石に腰かけて熟考した。

道は3つある。ひとつは東京に陸送して徹底的に修理する。またはここで部品を待って修理する。そしてもうひとつはこの地で廃車にするという道。中古のスポーツカーを安く買いいろいろ手を加えて楽しむのはボクのささやかな趣味だが修理や陸送にかかる費用を考えるといくらか愛着があってもこの車は潮どきかもしれない。

焼けるコンクリートの上をアリがカマキリの死骸を運んでいる。その動きは意外に早くて植え込みにある巣まで行くのにさして時間はかからなかった。アリの巣が日陰になってドレミが立っていた。

「せっかく楽しみにしてたんだからこの旅行をいちばんに考えるとここで修理するしかないと思う。」

「うん」
「予算大丈夫かね?財務大臣」
「大丈夫よ」

逆境から旅名人の逆襲が始まった。

まず,ベルノに部品の発注と修理を頼んでレンタカーの場所を聞く。

「レンタカーまで車貸しましょうか?」
「いえ歩いて行きます。」

線路沿いに10分ほど歩いて踏み切りを渡ると教えられたマツダのディーラーはすぐ近くだった。レンタカーもやっているはずだがひと気がなく静まり返っている。

ドアを開けて訪ないを入れると若い女の事務員が怪訝そうに奥から現れた。

「レンタカーを借りたいんですけど。」
「あ,しょ,少々お待ち下さい。」

冷たい麦茶を出してくれてあたふたと裏の駐車場に走っていった。店内には新型車も陳列されているが,お客さんはひとりもいない。同じディーラーの日曜日なのに,ホンダベルノとはえらい違いだ。

待つこと10分,ようやく20代の男の社員が走ってきて,

「ファミリアならすぐに準備できます。3日間で24,000円です。」

と好ましい博多弁で言った。ボクが逡巡しているのを見るとすかさず

「え?ベルノさんのご紹介ですか?それなら…」

と,電卓を叩いて15,000円と表示したディスプレイを見せる。

「…これでお出しできます。」

わわ!いきなり4割近く安くなったぞ!

「借ります借ります!貸してください。」

戻って5分で荷物を全て積み替えた。

「行ってきまーす!」

ベルノの人たちが手を振って見送る中をボクたちのファミリアは颯爽と旅立った。

さて,PCである。

「明日の夜,長崎に宿を予約しろー」
「はーい」
「東京のGさんに電話して,ウチに行って電源コードをそのホテルに宅配便で送ってもらうように頼むんだ。」
「あ,なーるほど。」


Gさんは母の古くからの友人で偶然ウチの鍵を預けているのを思い出したのだ。ドレミが電話している間にPCの内蔵バッテリーの充電分を慎重に使ってCFカードの画像をHDに移動した。これで当面の容量は確保できた。

「ホテルもGさんも連絡完了!特急便で送ってくれるって」
「よーし,出発ー!」
「おー!」

目指すは平戸,松浦党の旧跡を訪ねていく。

墓標

西へ向かう国道がJR松浦線と並行する付近にその建物は突如姿を見せた。

「ラピュタの空中都市みたい」

とドレミが言うので車を停めた。何かの工場の跡のように見える。

倒壊の恐れがあるからだろう,建物はぐるりと鉄条網で囲まれていたが,少し離れた場所に杭の隙間があった。ボクは好奇心に勝てず,ドレミを車に帰して隙間から中に入ってみた。コンクリートでできた内部は三階建てほどの高さがあるが,フロアが仕切られた形跡はない。高い天井に円形の天窓があって真っ直ぐに地面まで光が落ちていた。

壁を見るとところどころに戦時中を思わせるような標語が残っている。とても巨大で細長く途中からは壁や天井のない鉄筋の骨だけが続いていた。

そちらの方に歩いてみたかったが,夏草が背丈より高く生い茂りとても進めない。

途中の隙間から道に戻るとプレハブの農業用車両販売店に出た。店主らしき初老の人が機械で駐車場の草を刈っている。ボクは建物に侵入した後ろめたさもあって,つとめて明るい笑顔を作りながら彼に近付いた。

「こんにちは。」

「はあ?!」

「この建物は何ですか?」

「あ?!」

草刈り機械が甲高い音を立てて空回りするので会話は口ぱく状態だ。店主がスイッチを切ると反動であたりはいきなり静かになった。

「あの建物は何でしょう」

ボクは改めて笑顔で聞いた。すると彼はすっとボクの脇に寄ってきてあたりをはばかるような様子で囁いた。

「戦争中の造船所だ」
「そ,そうなんですか」

思わずボクも無声音で応える。初老の店主はボクに頭を下げて耳を貸せと手ぶりする。素直に腰をかがめたその耳に彼はなお伸び上がるようにして

「回天も作ったっちゅうことだ」

と小声で言った。

「ありがとうございます。仕事のお邪魔をしてすみませんでした。」

男はちょっと笑みを浮かべてまた回りを伺うようなそぶりをしながら草刈りに戻った。甲高い機械音が再び響く。彼の挙動は大げさに感じたが回天を製造したドックが亡霊のような姿で建っているのは地元の人にとって気持ちのよいものではないだろう。

回天とは文字通り天が回る,革命や大逆転を意味する。1944年,連合艦隊の主力をマリアナ沖海戦で失った帝国海軍は起死回生の戦略を採用した。秘密保持のため「○六(まるろく)金物一型」と呼ばれていた乗員が操る魚雷…人間魚雷回天である。

神風航空隊による特攻は,最初こそ米海軍に衝撃を与えたがその意図を彼らが理解してからはあまり脅威とはならなかった。圧倒的な制空権を持っている艦載機の攻撃をかわして,艦砲弾幕の中を敵艦に突入するのは至難の業で,日本軍にはもうそこまで優秀なパイロットはほとんど残っていなかったのだ。国のために命を捨てる大和魂と操縦技術は別問題だ。未熟な飛行技術と整備不良の旧式戦闘機で敵艦を目指しそれこそゲームのように撃ち落とされていった若者たちのことを考えるといたたまれない。

同じ非道な作戦ながら人間魚雷回天の場合は少し事情がちがう。米軍がひた隠しにしたためあまり知られていないが命中精度が高かったのだ。潜水艦から発射された魚雷を乗員に操縦されては当時の艦船能力では防ぎようがない。回天の乗務員は航行中の艦船に対しても特攻の訓練を積んで無防備な米艦船に打撃を与え続けた。米軍はこの攻撃を極度に恐れ,早期終戦のために核兵器が使用された真の原因は回天だったと言われている。今回資料を見つけられなかったが,無条件降伏のあと米軍の要求した武装解除命令の最優先項目には回天の出撃停止があったはずである。

その常軌を逸した兵器の製造所を語るとき,地元の人が声を潜めるのはあるいは自然なことかもしれない。神風も回天も発案したのは青年将校たちだったそうであるが,この愚かしい作戦がいったいどういう過程を経て採用されたのか,血気に逸る若者の愚案など一笑に伏すのが上層部ではないのか。大本営だか御前会議だか知らないがここまで無能な指令部が大戦争を指揮していたことは驚異というほかない。

もともと一般兵器である九三式魚雷の中央部に無理やり取りつけられた回天の操縦席は人ひとりがやっとのスペースだ。暗い海底でひとり操縦桿を握りソナーを頼りに敵艦に向かって自爆していった兵士を思うと造船所跡の建物が巨大な墓碑に見えてきて思わず黙祷した。

車に戻ると,ドレミは荷物の整理に余念がなかった。いちおうA型のボクが見ても荷物はきちんとまとまっている。これ以上どこを整理するのだろう。だが文句を言わずに待つしかない。彼女は整理魔なのだ。

「古い造船所の跡だってさ」
「ふーん」

ボクは少し迷ったがそれ以上教えることができなかった。何しろ,ドレミは天空の城跡だと思っていたのだから…。

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