05/長崎の歩き方

Aug, 2005

ビーグル

のびのびファミリアの車内で目を覚ますと隣の車で寝ていた一人旅の男が一足先に起きていて4匹のビーグルを引き連れてトイレの階段を下りてきた。犬が大好きのドレミが飛んでいく。2匹は子犬でファミリーのようだ。ドレミと子犬がじゃれあっているのを見て男はほっとしたように言った。

「私の犬じゃないんですよ。」
「え!じゃあ…」
「捨て犬じゃないでしょうか」

2匹の子犬はどう見ても純粋なビーグルなので,つがいの2匹に子どもが産まれて飼いきれなくなったものだろうか。

父犬の右前足はひかれてつぶれている。野良の経験のない夫婦犬は,メスが身重になってからいきなり捨てられて必死に子育てしたにちがいない。生まれた兄弟の中で2匹だけが何とか育ったのだろう。一人旅の男がそそくさと去って早朝の道の駅にはボクたちだけが残った。

無邪気にじゃれつく子犬たちとそれを見守る両親に見つめられても,家からはるか1000キロの旅をするボクたちはどうすることもできない。国道を渡った向かい側にあるコンビニまで2度ドッグフードを買いに行った。一回目は父犬が子犬に食べさせようとして一口も食べなかったからだ。車のエンジンが回る音で全員がさっと植え込みに逃げる。国道に出てから見下ろすと4匹で仲良く遊んでいた。

3日後には唐津に戻らなければならないので,ボクたちはその間の旅程を長崎→島原→天草という馴染みのコースで過ごすことに決めた。

西海の漁村をいくつも抜けて南下し最後に峠を東に越えると突然に都会になった。長崎の町を貫く国道206号は慢性的に渋滞している。

長崎

長崎と言えば誰でもまず歴史の教科書に必ず出ている出島の風景を思い浮かべるだろう。ところが出島はあの扇型のまま回りを埋め立てられて町並みに没している。

ボクたちが初めて訪ねた頃は境界も定かでないほど家やビルが立ち並んでいた。それが近年にわかに当時を再現しようとする再開発が始まったが民家の移転はなかなか進んでいないようだ。それはそうだろう。オフィスビルはともかく長年住んでいる民家や商店にとっては,突然「一帯を江戸時代に戻すから引っ越せ」と言われても戸惑うのはあたりまえだ。そもそもこれほど歴史的に有名な土地をなぜ民間に分譲したのだろう。

結論から言えばその答えは簡単だ。すなわち長崎は明治以来,観光資源としての史跡などに目を向ける必要がないほど造船で繁栄していたということだ。戦後も高い造船技術と設備を誇った長崎の町はどんどん発展を続け限られた平地は過密状態になった。入り江に山が迫った地形のために郊外というものが成立しなかったのだろう。埋立地に囲まれた出島や古い街並みを残す余裕はなかったに違いない。

長崎市が本格的に観光に力を入れ始めたのは造船不況になってからずいぶんと後のことらしい。

実際,ボクたちは15年ほど前「亀山社中」を訪ねてこの町に来たのだが,誰に聞いても場所がわからずとうとう交番で地図を見せてもらって自分で見つけたくらいだった。今ではその「亀山社中跡」も観光名所のひとつである。

他にもグラバー邸にはエレベーターで楽にアクセスできるようになっていたし,眼鏡橋の下では大規模な遊歩道工事が始まっていた。造船不況を乗り越えようと長崎県がバックアップした大型テーマパークは杜撰な計画と運営で失敗したらしい。ボクは行ったことがないが写真などで見るとアムステルダムの街並みを再現したというメインストリートはなんとなくそらぞらしい感じを受けた。無責任な旅人のたわごとだが,願わくば誰もが異国情緒をイメージしてあこがれる長崎の町がそんなテーマパークのようになってほしくないものだ。

渋滞の中をようやく中心街に入ったボクたちは予約していたホテルに寄って東京から送ってもらった電源コードを受け取った。Gさんらしい几帳面な文字で「トラブルに負けず楽しんでください」とメッセージが添えられている。

今年はちゃんぽんだけ食べて通過するつもりだったのに思わぬ車のトラブルと忘れ物のために半日の長崎散歩がころがりこんだ。

長崎観光も4度目になるボクたちのちょっとした達人歩きをご披露しよう。まず,長崎の町にはやたらに立体駐車場があるが,市街地の道はせまく混雑しているので旅行者は車を置いて路面電車を利用するのがいい。

おすすめは長崎駅前の市営駐車場だ。15分単位で一般より割安おまけに路面電車の駅に隣接している。路面電車の一日乗車券は駅前で買える。500円なので半日くらいだと100円ずつ払ってもほとんど変わらないが路線図に簡単な地図もついているのでとても便利だ。

ボクたちは,まずは路面電車1系統正覚寺下行きで築町まで行き乗りかえついでに中華街でお得なランチを食べた。

路面電車を使いこなすコツは路線の乗り換えである。路線は4つの系統…実際には5つあるが第2系統は朝の通勤時間だけ走るそうだ…があって市内のほとんどの観光地にアクセスしている。

ポイントのひとつは中華街やオランダ坂に近いこの築町で,浦上方面から長崎駅を通って丸山の方に向かう第1系統と南の大浦から眼鏡橋の近くを通って西に行く5系統が交差している。観光客には最大の交通要衝と言えるのだ。

今ひとつ,4,5系統の公会堂前駅と3系統の公会堂前駅が同じ交差点に面していて乗り換ええが容易なことをご記憶いただければあなたも長崎電気軌道の達人だ。

中華ランチを食べたボクたちは築町から石橋行きに乗った。夏の長崎らしい写真を撮ろうと目指すはグラバー園である。石橋駅は5系統の終点でグラバー園にはひとつ手前の大浦天主堂下から登って行くのが普通だが,最近石橋駅からグラバースカイロードなる新ルートができた。スカイロードは未来的な高層マンション街からエレベーターを使ってグラバー園のいちばん高い場所にある旧三菱ドックハウス脇の第2ゲートにアクセスしている。

グラバー園は1970年に外国人居留地を整備したところに市内に残る洋館を移築して作られ,長崎外国人居留地の雰囲気を伝えている。トーマス・ブレイク・グラバーはスコットランド生まれで,幕末に長崎で武器商人として活躍した。

「竜馬がゆく」にも亀山社中の饅頭屋(近藤長次郎)が長州藩の代理人としてグラバーと鉄砲の買い付け交渉をするシーンなどが登場する。どうしてもこの美しい庭園が連想され,ドラマなどのロケにも使われるが「竜馬がゆく」が書かれたのはグラバー園が整備されるずっと以前のことだから彼の筆力と想像力の豊かさに驚かされる。

炎天下の散歩は体力の消耗が激しい。ちょっと贅沢だったが旧自由亭を改造した喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ。ドレミが分速10匙のスピードでぱくぱくとチョコレートケーキを口に運んでいるのを見ていると余計にげんなりしてきた。

「ひと口いかが?」

と,ドレミが言う。

「冗談だろ。」

「あー,(分け前が減らなくて)よかったー。ぱくっ。」


グラバー園から天主堂に下る坂はおしゃれなお土産屋さんが並ぶ。チョコレート補給で元気になったドレミはさらにカステラに足を止めた。

長崎カステラと言えば,何回目のときだったか,船大工町の福砂屋本店で古式蒼然たる看板を見上げたドレミが

「らー・て・すか?…らーてすかってなんだろう」

と大声で読んで赤恥をかいた思い出がある。

「お土産にはまだダメだぞ。暑い中をずっと行くんだしレンタカーなんだし!」

ドレミが本当に買いそうな雰囲気を見せ出したのでボクはあわてて釘を差した。

「今晩,ホテルに戻って食べようと思ったのにい」
「げ。」

ケーキを食べたばかりなのに夜のおやつを考えているとは我が妻ながら恐るべきお菓子好きだ。

路面電車で戻るとホテルはチェックインできる時間になっていた。ドレミをフロントに走らせボクはすかさず車をホテル指定の駐車場に移動する。部屋に荷物を運び込むとドレミだけシャワーを浴びて持ってきた撮影用衣装のマイ浴衣に着替えタクシーに飛び乗っていた。

風頭山の山頂まで約1000円,駅前からバスもあるが狭いぐにゃぐにゃ坂を登っていくので時間もかかるし車酔いしてしまう。

「凧屋さんの前までお願いします。」

ちょっと通ぶって運転手にそう告げる。

西洋凧屋の前から風頭公園を抜けて寺町に下るのがボクのお気に入りの道だ。真夏に油絵の道具を担ぎ,バスで2日間通ったこともある。児童公園の脇に,幕末から明治にかけて志士の肖像や町の写真を残した上野彦馬の墓がある。

その墓地の近く長崎の町を一望できる丘に竜馬の銅像と「竜馬がゆく」の碑ができている。伊良林町の亀山社中までの道は,こちらも竜馬ロードと名付けられ,コースの途中にはブーツと舵のオブジェクトもある。なかなか凝っている。

亀山社中の公開時間はもう過ぎていたので,ボクたちは写真を撮りながら懐かしい石段を寺町に下っていった。

暮色が濃くなってから路面電車を公会堂前で乗り継いでホテルに戻った。

がそのまま一休みというわけにはいかない。ボクたちの旅では宿をとった夜は貴重なセットアップ時間なので,とくにドレミは洗濯が山のようにある。

ボクがカメラ機材やPC,画材などの充電やメンテナンスをしている間に彼女はホテル内のコインランドリーまでエレベーターで何度も往復した。手洗いの必要なものはバスルームで洗い,縮みやすい衣類は生乾きで乾燥機から出してきて部屋に干す。

ビジネスホテルの狭い室内は壁といわず椅子といわず,たちまち洗濯物だらけになりテーブルにはレンズや画材が並ぶ。わずかな床は充電やPCのコードで足の踏み場もない。

ドレミは手を腰に当てながら並んだ洗濯物を満足そうに眺めて

「さ,いこーか」

と言った。

これから中華街にちゃんぽんを食べに行くのだ。築町まで路面電車に乗って再び中華街の門をくぐる。目指すは「西湖」という店である。なぜこの店なのかと言うと,それは若いときに初めて長崎に来たときの思い出の店だからである。

今にもまして貧乏だった当時のボクたちは夜の中華料理店でいろいろな料理を注文する予算がなかった。気遅れしながらしばらく中華街をさ迷っているときに見つけたのが,他の店より200円高い西湖の「特製ちゃんぽん」だった。

「これならちゃんぽんだけ注文しても恥ずかしくないんじゃないかなあ」

と,勇気を出して店に入ったものだ。そして特製ちゃんぽんと特製皿うどんを代わる代わる食べながら,生ビールを一気に飲み干し,

「ああ,長崎の夜だー♪」

と精一杯の晩餐をした。今にして思えば,若者らしいエピソード。でもそれ以来,九州に来ると必ず「西湖」に寄るのは甘酸っぱくも楽しかった最初の旅の思い出のせいである。

もちろんこの夜も同じメニューだが,少し見栄を張って酢豚と春巻きも注文した。

「がははは,オレたちもリッチになったものよのう」

と満悦のボクだったが,今度は若いときと違っ,見栄の二品があきらかにお腹の許容量を超えていた。千鳥足で築町の駅に向かう頃にはお相撲さんのようになったお腹をさすっていた。

「は,腹が苦しい。」
「ばかねえ」
「そんなに心の底からばかって言うない」

相変わらずの貧乏性は治っていないようだ。

ホテルに帰るとドレミはボクの着ていた物を下着まですっぽんぽんにはぎ取り,残っていた洗濯物といっしょに抱えてコインランドリーに下りていった。4日ぶりのベッドに寝転んだボクは彼女が戻ってきたときには意識を失っていた。

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