07/韓国岳と飫肥

Aug, 2005

再び唐津へ

天草の道の駅は雨の朝だった。

唐津で愛車が故障しレンタカーに乗っているのでこの日は長駆九州道を移動する日になる。雨はかえってありがたいと思ったのも束の間,熊本に向かって天草五橋を渡る頃にはもう青空が広がってきた。きょうもまた暑くなりそうだ。

御船インターを入ってちょうどドレミが運転しているとき携帯電話がなった。

「予定より早く昨日部品が入ったので午前中に直りました。」

やったね。これで旅が続けられる。ボクたちはうれしくてホンダベルノへの手土産に菓子折りを三つも買ってしまった。

交代運転して九州道を北上し長崎道から5日前と同じ道を急いだ。唐津の町はなんだかもう懐かしい。ヤ○ダ電機のT字路を左折してベルノに着いた。お盆休み直前にやっかいをかけた礼を丁寧にして荷物を積み替えるとレンタカーの返却時間も迫っていた。

あの日途方に暮れながらとぼとぼ歩いた線路沿いの道を今日はすいすいとマツダに向かう。

「よかですねー,わたしも遠くにドライブに行きたいがです。」

例によって受付に戻ってくるのに15分くらいかかったマツダレンタカーのお兄さんが汗だくでそう言った。

国道に戻ってちょちょいと愛車のアクセルを開けると,

「くーっ」

快感!甲高いエキゾーストノイズをひいて復活したBB4はとりあえず近くのAコープの駐車場に滑り込むのだった。

買い物は農家の人が使う麦わら帽子。布がたくさん装備されていてサンプロテクトファクターは限りなく100に近い。これから霧島までとって返し,明日の早朝韓国岳登頂を目指すのだ。登山道ではさすがに日傘というわけにはいかないのでこの麦わら帽子は極端に紫外線に弱いドレミの新兵器と期待されている。

またまた長崎道,九州道と乗り継いで南下する。車のトラブルで修理代もレンタカー代も痛かったがこの往復の時間と費用が最大の痛手だった。

韓国岳登山

「ハナはきりしまー♪たばぁーこーはー♪こくぅぶー♪」

ずいぶん昔に家族旅行で霧島に来たとき母がにぎやかに歌っていた歌だがこの部分しか覚えていない。あるいはここしかない歌なのかもしれないけれど…。

九州道が肥後トンネルを抜けて霧島連峰が見えてくると,つい「ハナはきりしまー♪」と口づさみ始めてこわれたCDのように止まらない。

「と,とめてくれー」
「かちゃ!」

ドレミがボクの耳に手をのばしてひねる。

「た,助かったぁ。」

明るいうちにえびの高原に着いたのでスカイラインを韓国岳登山口まで登って今夜の寝場所やトイレを確認した。

それからいったん小林の町に下りて銭湯と食事に行き,真っ暗になった山道を登山口まで引き返した。

あすはいよいよ登山だ。

夜明け頃,目覚めると数台の車が駐車場に入っていた。山には定番のランクルやレガシーから重装備の登山者が出発してゆく。霧島連峰を縦走していく人たちだ。アルペンムードは満点,ボクたちもさっそく起きて前夜コンビニで買っておいたおにぎりとお茶をリュックに詰めて準備完了。

ドレミは農作業用の麦わらで武装してはたから見るとかなり不気味だ。登山道直下の駐車スペースに車を移動すると,ちょうど初老の夫婦が入山するところだった。

「あれが山頂ですか?」

と,目の前の山の端を指差すと,ご主人が

「ははは。ここからは山頂は見えません」

と笑顔で答えた。山登りをする人はみんな人なつっこい。

「どれくらいかかりますか?」
「韓国岳まで?…なら,一時間とちょっと…」

と言いながら彼はボクらの格好を上から下まで眺めて,

「いや,二時間くらいでしょうかね。すぐですよ。」

と訂正した。

登るにつれて回りの山を見下ろすようになってきた。霧島の山には台形の山が多いがその理由がわかった。どの山も山頂にカルデラ湖を持っている。この景観は下からでは味わうことができないのだ。

南に錦江湾を臨み二つの半島がもやに霞みながら続いている。中央に端正な姿を海に浮かべているのは桜島だ。

やがて陵線上で東側の視界が開けると,高千穂の美しい峰が青く輝きボクたちは思わず声をあげた。

行く手に韓国岳の頂上が迫り岩だらけになった山道を先ほどの夫婦が下ってきた。

「早かったですねえ。山頂はすぐそこですよ。」

「ありがとうございます。」


山ではなぜか誰もが気軽に声をかけ合う。ボクたちも

「おはようございます」

と,挨拶しながら韓国岳の山頂に入るとあちらこちらから挨拶を返された。

そしてゆっくりと九州本土で一番高い場所に歩み寄る。ここに立つと神々の住む高千穂も噴煙をあげる桜島も,そしてはるか阿蘇の連山も足の下だ。

下山する頃には日が高く登った。

「もし,ゆうべ小林に宿を取って今頃から登り始めたら暑さでタイヘンだったねー。」

ドレミが言いながらJAの麦わら帽子のひもを固くしばり直した。

汗を流しに寄ったのは新燃荘という鄙びた温泉の露天風呂である。夫婦一緒に入れるのでこれで三度目だが如何せん夏はアブが多くてのんびりというわけにはいかない。

しかも湯上がりに着た衣類には東京に戻って洗濯しなおしてもとれないほど強い硫黄の香りが移る。それでも泉質は抜群で秘湯マニアとしては素通りできない。

ここで霧島から下るには二本の道がある。南に国分を経て鹿児島に出るか,東の日向に下りるか。もともとどちらも行く予定だったのが車のトラブルで一方を選ばなければならななった。

ボクは西南戦争で西郷軍が敗走したあとをたどって鹿児島に出たかったがそうなると宮崎をあきらめざるを得ない。

一方ドライブ好きのボクが20年間に走った海岸線をたどると,日本地図が二回描けるほどなのに唯一空白になっているのが日向灘なので宮崎側に下りたい気持ちもある。

ドレミの悩みはより深刻だった。すなわち鹿児島名物しろくまと宮崎地鶏炭焼きの二者択一である。

「うーん」

白い湯の中で茹で上がるほど長い間,何度も唸りながら考えている。そのあまりの真剣さに負けて判断は彼女に委ねることにした。

「み,…みやざき…かな」

苦悩の果てにドレミとしては珍しくスイーツより居酒屋が選ばれた。

かくして東を選んだボクたちはまず都城に下った。ここで食べたうどんの味を是非書き留めておかなければならない。

極太の麺を表面はくたくた中はもちもち程度まで茹でそれを歯にしみるほど冷たくしめてある。未体験の食感は稲庭うどんや讃岐うどんに勝るとも劣らない。機会があればぜひご賞味あれ。

飫肥

飫肥の城下町は観光に力を入れていて,きれいに整備されていた。大手門脇の広々とした駐車場はがらがらで,車はみなはじっこの松並木ぞいのわずかな日陰にびっちりと張り付いて並んでいる。

ボクたちも車の隙間を見つけて木の下に車を停めた。町歩きにはかなり厳しい炎天下だったがさすがに暑さには慣れてきた。

最初は城趾の石段を下りてきたときだった。石段の前の道を黒髪を無造作に束ねて白いワイシャツにスカートの女学生が通りかかった。鉢合わせる形になった刹那

「こんにちは」

と女学生が会釈しながら言った。

「こ,こんにちは」

…知り合い?…のはずがない。

まるで60年代の青春映画から歩き出して来たような女学生の後ろ姿を呆然と見送る,背中に冷ややかな視線を感じた。

「し,知らない人だよ。」
「わかってるわよ。」
「ちゅ,駐車場かどこかで一緒だったかなあ,あはあはあはは。」

よく考えてみたら何もやましいことはないのだからうろたえることはない。

ドレミが案内板を熟読する間に武家屋敷の道を進むと小さな道路工事をやっていた。もともと車なんかほとんど通りそうにない道で,炎天下の歩行者もめったにないだろうに小柄な誘導員が制服でぼつんと立っている。今度は何やら予感がしたのでそれほどは驚かなかった。

「こんにちは」

ヘルメットの下から白い歯がこぼれた。

「こんにちは,暑いのにタイヘンですね」

工事には珍しい女子高校生のアルバイトらしいが制服の風通しはすこぶる悪そうで顔を真っ赤にして汗をかいている。

さぞや退屈だったろうと思ったので少し言葉を交わした。案の定昼過ぎからほとんど仕事のないまま立っていたそうだ。いくら女の子でも高校生ならばドレミに気を回すこともない。

追いついてきたドレミと国道に向かって坂を下っていると下から二人連れの小学生の男の子が歩いてきた。予想通り二人は揃って丁寧にお辞儀して

「こんにちは。」

と挨拶した。

「こんにちは。」

少なくともボクたちがこれまでに旅した世界中の町の中でこれほど気持ちのよい挨拶で包まれた町は初めてだった。

国道を歩いていると薬局があったのでドレミが冷却シートを買いに入った。彼女の弱い顔の肌が紫外線のせいかここ数日また腫れ出していた。冷却シートを当てると少し楽になるらしい。応対したのは上品な中年の女性薬剤師で

「あいすみません。それは扱っていません。」

と丁寧に頭を下げた。ドレミは

「それではあせもに効く薬はありますか。」

と首すじを薬剤師に見せた。潔癖症のドレミにしては珍しく,首に小さなあせもを作っていたのだが薬が必要なほどではない。何も買わないのは悪い気がしたのだ。しかし,

「ご旅行中ですか」

と薬剤師は尋ねながらうなずくドレミの手のひらに小さなチューブを載せた。

「試供品です。どうぞこれをお使いなさいな。」

ボクたちの飫肥に対する印象は彼女のおかげで決定的になった。

お土産は名物の「飫肥天」をクール便にして送り,自分たちにもこの町で焼酎を買うことにした。専門店でおすすめの芋焼酎を一口飲んで驚いた。東京で手に入る芋焼酎は刺激のある香りがしてこれまで好きになれなかったたが,試飲した焼酎はふかし芋をわったときの香りがして異次元の旨さであった。

買って帰った一升瓶がなくなってからもボクは近所の酒屋さんに頼み込んでこの焼酎を取り寄せている。変わらぬ香りで晩酌するときいつも気持ちのよい飫肥の町を思い出している。

海岸線の混雑を避けて山中の道を宮崎市内に向かった。霧島から飫肥まで運転担当だったドレミは疲れたのかあせもの薬をつけてすやすや寝ている。東京からの距離で言えば旅は折り返し点を過ぎた。

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