08/ドレミの思い出

Aug, 2005

 

ビジネスホテルは宮崎の中心街からは少し外れていたが,知らない町を歩くのは苦にならない。例によって大量の洗濯物を終えて,外に出ると西の空が真っ赤に焼け残っていた。ドレミはガイドブックに出ている地鶏のお店のことで頭がいっぱいだ。

「ねえ,こっちでいいの?」
「まっすぐまっすぐ」

宮崎の味

自慢ではないが,ボクは太陽か星さえ見えていれば,地図をざっとみただけで目的地にたどりつける才能があり,自ら人間GPSと呼んでいる。どこの町でも,半日も自分で歩けば方向感覚は住人以上だ。

正確にガイドブックの小さな地図のエリアに入ってくると,繁華街の居酒屋さんはどこの看板にも「地鶏」「焼酎」が並んでいる。ドレミお目当てのこじゃれた店に入ると

「すみません。30分ほどお待ちいただきます。」

と言われた。ガイドブック効果だろう。

「あーん予約しとけばよかったー!」

と,ドレミが地団駄を踏んでガイドブックで次の候補を探し始めたがボクはもうガイドブックの店に行く気はなかった。

妻のガイドブック情報で店を選ぶとロクなことはない。枚挙にいとまないが,たとえば新宿のドイツレストランのランチでは和風だしの筑前煮をぎゅう詰めのサラリーマンに混じって箸で食べさせられた。

ベルギーワッフルが流行ったときは炎天下の旅先で散歩中に喫茶店に連れて行かれた。だらだらと汗を流しながらお冷やを所望すると「ヨーロッパ式にお冷を出さない主義」だそうで,15分くらい乾きに耐えながら長ったらしい名前のアイスティを待ちに待った。洒落たグラスの紅茶をぐいっと一息に飲んだあとに水気なしでぼそぼそと噛んだワッフルの味は覚えていない。

ガイドブックの飲食店情報ほどあてにならないものはない。

繁華街の中ほどで声をかけてきた居酒屋の店員が妙に印象的だったのでボクはその店に戻るつもりでいた。

「あ,やっと見つけた。ここ,ここ!」

ドレミが指差すガイドブックの地図を見ると次の候補店はすぐ裏の道だったが,

「ありゃー,ここは遠いよ。だいぶ歩くからダメだな」

「ふ~ん,がっかり」

とだまして引き返した。

戻ってきたボクたちの姿を見てくだんの店員が小踊りした。こんな小さな縁に流れを任せるのも旅の楽しみだろう。店の名前がガイドブックにないのを確かめたドレミがメニューを指さして鋭く店員に質問した。

「この地鶏というのは宮崎地鶏ですか?」
「は?」

まあブロイラーを地鶏といって出すことはないだろうし別地方の地鶏をわざわざ仕入れてもコスト的にひき合わないだろう。愚問である。その点ボクはより観光客らしい難問をふっかけた。

「冷や汁というのを食べたいんですけど」

難問とは言うものの,実は観光客向けらしいコースメニューには冷や汁があるのをめざとく見つけてのことだ。

「…な,何とかしましょう。」

こうしてやっかいな観光客は彼の店の客になった。あとでわかったことだが彼はその店の店長だった。やっかいだが観光客は悪い客層ではないだろう。かく言うボクたちもビジネスホテル泊まりにしてこの晩餐に備えてきている。珍しいものや地酒などは値段を見ないでじゃんじゃん持ってこい状態に入っていた。

「お待たせしました。厨房の方で冷や汁の準備ができましたが,お持ちしてよろしいでしょうか。」

店長が耳元でささやく。

「お願いします。」

無声音で答えながら秘密の計画を相談しているかのようなわくわくを感じる。

運ばれてきた冷や汁は絶品だった。きゅうりとみょうがと白胡麻の入った冷たい味噌汁をあつあつのごはんにかけるだけのシンプルなものだがさっぱりしていてとても旨い。ボクは迷わず今年の九州旅行中の食べ物ナンバー1に選んだ。が,最下位の食べ物もここにあった。

ドレミが楽しみにしていた炭焼き地鶏である。もちろんこの店でもトップメニューで,どの席にも一つ二つは運ばれている人気の品だ。ボクらの席の近くを通る度にあれこれと気を使ってくれる店長がまたひそひそ声で

「東京の人のお口には合いませんでしたでしょうか」

と心配そうにささやく。本当に炭焼きで炭の中に放り込んで焼くそうだ。じっくり焙るため固くなってしまった鶏肉に炭の粉がまぶしたように黒くたっぷりついている。二人とも一口ずつでギブアップしていた。宮崎の人はみなこれが大好きらしい。

店長の手前残したくなかったがどうしても食べられない。仕方がないから他の地鶏玉子焼きやら南蛮揚げ,蛸や刺身やサラダに冷や汁までやたらに頼みちらしたものを残らず平らげることで彼に感謝の気持ちを表すしかなかった。

「ばっかみた~い。」

静かになったアーケード街をホテルに帰るボクは長崎の夜と同じくお相撲さん歩きしていた。もはや前傾すると危険なくらい喉まで食べ物が詰まっている。

「お,女にはわからん」

ボクは若い店長の心使いに友情に近い触れ合いを感じていたのだった。何種類飲んだかわからない芋焼酎や麦焼酎が歩くほどに回り出してボクはまたホテルに戻ると気絶するようにベッドに倒れ込んだ。

さくら貝

明けて12日,そろそろ本格的にお盆休みムードの漂う宮崎の町をあとにしてボクたちは海岸線を南に走った。天気は言わずもがな快晴である。椰子の木が並ぶバイパスはカリフォルニアの景色に似ている。

きょうは青島と高千穂峡,あすは阿蘇草千里とボクたちにしては珍しく観光バスのコースのような場所に行く。実はドレミが高校の修学旅行で来た思い出の場所なのだ。当時ドレミの彼氏だったボクは,小さなさくら貝の一片をお土産にもらった。

駐車場に車を停めてお土産屋さんの並ぶ道を歩いていくと行く手にまぶしく青島が見えてきた。ドレミが駆け出した。

写真を撮りながらゆっくりと追いつくと浜で一心に貝殻を拾っている。

「ぜんぜん,大きいのがないの」

日傘の下からそう言ってまたさらさらと砂をかきまわしている。確かに形の残っている貝殻はなかなか見当たらない。時期なのだろうか,それとも最近は取り尽されてしまったのだろうか。

ドレミはじりじりと照り付ける太陽の下で根気良く探し続けている。まるで大切な思い出を拾いあげようとしているかのようだ。その姿に当時の面影が重なった。

彼女が高校生のとき両親が離婚した。多感な頃,家庭に深刻な悩みを抱えながら仲良しの友だちと来た修学旅行は彼女にとってどんなにか楽しく大切な時間だったことだろう。

「あっちに行ってみようかな。Shuは日陰にいていいよ。」

わずかな収穫を大事そうに袋にしまいながら顔を上げたドレミが笑った。この笑顔をボクはあの頃からずっと守ってきた。そして今後も一生,彼女は笑い続けるのだ。

浜に貝殻を売る屋台が出ていて10個500円でさくら貝が売られていた。ドレミのためにこっそり貝を買い砂に埋めようと思ったが財布を持っていなかった。仕方がないのでドレミのところに行って手を出した。

「煙草買うから500円くれ。」

どう考えてもこの島に煙草の販売機はない。いかにも不自然だった。…企みはあっさりばれた。

お土産屋さんのきれいな貝を彼女も見にきた。

「青島の貝殻かなぁ。」
「ばーか。中国か東南アジアから輸入したにきまってんだろ。」
「…よねぇ。」
「へへっへ。中国の青島かもよ。」


ドレミはその冗談を黙殺して暫く店先で考えていたが

「やっぱりやめたー。」

と走って行った。

結局,島を一周する間あちこちでしゃがんでは貝殻を探したがとうとうさくら貝はひとつも拾えなかった。

「ねえ,泳いで行こうか。」

帰りの橋を渡りながらドレミが言う。確かに二人とも水をかぶったように汗びっしょりで,車に戻る前にシャワーでも浴びたいところだ。青島の付け根にある海水浴場には昼に向けて若者や家族連れが続々とやってきている。

「よし。あそこでシャワー借りるついでに泳ごう。」

車まで水着を取りに行って,久しぶりの海水浴となったが,海に入った途端くらげにさんざん刺されて30秒であえなく浜を退散するはめになった。

青島から再び宮崎市内を抜けて,北に向かう道路は激しく渋滞していた。交代で休みながらひたすら走ったものの延岡から高千穂に向かう218号線に入った頃には日はすっかり傾いてしまった。

高千穂峡の駐車場はもう30分で無料開放される時間だった。

「写真にいいところがあるんだから。ユーレイシンタニ?」

「幽幻深谷」
「それそれ。渓谷の奥に大きな滝があるの。きっとびっくりするよ。」

と,説得されて料金を払い望遠ズームを持って彼女の後ろに従った。

駐車場を出てすぐの橋の上でドレミが立ち止まって首を傾げている。橋の下に小さな滝があった。

「ここ…かな?…」
「ふーむ」

修学旅行のバスの駐車場は別の場所だったのだろう。深谷を歩いてようやく辿りついた幽玄の光景に,親友たちとしばし息を飲んだものだろうか。お土産屋さんの直下にある現実の風景とはかなりギャップがあるようだ。

思い出の景色とはそんなものかも知れない。

ちょっとへこんでいるドレミを励まして夕暮れの高千穂峡を散歩していると彼女の携帯にさかんにメールが着信する。高校時代の親友たちからだった。先ほどドレミが「どこに来てるかわかる?」と渓谷の画像を添付して送ったメールへの返信だ。

「もちろんわかるよー♪元気?」

記憶力抜群のチョコちゃんのメールには修学旅行の日付から曜日まで書いてあった。

「思い出すね。」

チョコちゃんに返信を送るとドレミがスキップするように歩く。

夕日に映えて高千穂峡が幻想的な美しさを見せはじめドレミの思い出も輝き出した。

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