「お済みでしたらお下げいたしましょうか.」
なんて美しい言葉なんだろう,
ドレミの指導する英会話クラスの子たちを連れていくニューヨーク行き第二弾で使ったユナイテッドは往復とも,共同運行便の全日空機になった.ボクたちは国際線で日本の航空機に乗ったのは初めてのことだ,と言うのも,旅費を安く抑えるためにディスカウントのチケットを探すと,必ず外国の航空会社になるからだ.
かと言って日航や全日空が安売りしないのかというとそうではない.例えば,韓国人がソウルからニューヨークに飛ぶとき,大韓航空の直行便より,成田経由のJALの方が安いのだそうだ.どういうしくみか分からぬが,自国内にはディスカウントチケットを出しにくい事情はわかる気がする.だからボクたちにとってJALやANAを使うことイコール贅沢だったというわけだ.
ところが,これもボクは詳しくないのだが,最近,航空業界はアメリカの三大航空会社をリーダーとするグループの提携が強化され,ハブ空港のターミナルや発券カウンターもグループごとにサービスの共同化が進んでいる.全日空はユナイテッドの主催するスターアライアンス傘下にあるので,共同運行便がANAになったようだ.
かくして日本の国際便初体験,…これがやたらに快適だった.日本語が通じるからというわけではない.邦画や邦楽のサービスも利用しない.妻は専ら文庫本を読みふけるし,ボクも空港の本屋さんで,定番のアサヒカメラとゴルゴ13それに文芸春秋を仕入れてあった.時間つぶしには最強のトリオである.
では,食事?…確かにわさびや米は日本産だがしょせんは機内食だ.となると,この快適さの原因は何だろうかと考えていたら,客室乗務員が食事の片付けを始めたところで,はたと気付いた.彼女たちの使う流暢な敬語が心地良かったのだ.言葉は文化なのだとつくづく思う.
外国機の乗務員だって,もてなしの心は変わらないだろう,英語には敬語がないことも分かっている.だけど,一言
「Finished?」
とやられると,つい
「Not yet」
などと反抗したりして,食べもしない食事をいつまでもせまいテーブルに置くはめになる.
「お食事お済みでいらっしゃいますか.」
「ありがとう,ごちそうさま.」
たったこれだけのやり取りだが,日本人にとって敬語はやすらぎだ.
「温かいお茶とコーヒーをご用意しています. Would you like tea or coffee ? 」
優雅だなぁ.これがユナイテッドやノースウエストならさしずめ「Tea or coffee ?」とだけ言いながらのっしのし歩いてくるところだ.ボクは敬語は安らぎという発見をドレミに話しただけでは物足りず,後の席に並んでいる高校生三人娘に語った.
かわいそうに彼女たち,未だにボクの話は集中して聞く癖が抜けない.ほとんど条件反射のように授業モードになる.
「shu先生のおっしゃる通りね.ほほほほ.」
「その通りでごーざいますわ.おほほ.」
受け流し方も心得ているこの三人,かなりきれいな日本語を使える.
ところが滞在中,叔母のマンションからハドソン川の向こうに沈む入り日を見てS香が思わず
「すっげー!」
と叫んでしまった.叔母の驚きようこそ見ものだった.目をまん丸にしてぽかんと口を開けていた.無理もない,若くして渡米した彼女の日本語環境は半世紀前のまま止まっているのだ.
その半世紀で日本語が乱れたとは言うまい.ただ,「単純化」し,「簡略化」し,「同性化」し,「刺激的で大袈裟な表現」にはなった.