2/デトロイト21時

Jan, 2008


デトロイト空港に着いたボクたちは電光掲示板に猛ダッシュしたが今度はどこにもタルサ行きの表示がなかった。空港の時計を見ると出発時刻を一時間半も過ぎている。掲示板からも消えてしまうわけだ。


閑散とした搭乗口のカウンターでドレミがチケットを示して事情を告げた。係員はボクたちのために忙しく端末を操作しながら「Tomorrow morning(明朝)」と言った。

しかもさらにセントルイスを経由するそうだ。

やっぱりね。こんなことならミネアポリスで21時のタルサ行きを待ってればよかったよ。

どこかで泊まって明日の5時に戻って来いという。やはりムチャな乗り継ぎだったんだ。ボクはドレミを押しのけて日本語で文句をまくしたてた。すでに成田を発って20時間をゆうに超えている。不満とともに激しい疲れもあった。

「あなたの言葉を私はわからない。明日の便を確保した。これ以上できることはない。」

と言うようなことを彼女は言い返したが,ボクが思っているよりは丁寧な物言いだったに違いない。カウンターの中から出してきたホテルの割引券と25ドル分の旅行券が謝意を物語った。

が,公平に見ると彼女たちはベストを尽くしたと言っていい。なぜなら後でウイノーナが教えてくれたのだが,予定便の欠航はタルサを襲っていたトルネードによるものだったからだ。さらにミネアポリス発の各便はみぞれのため軒並み遅れていたという。原因はすべて自然災害で,航空会社に何の落ち度もない。ボクたちを少しでも早くタルサに届けようと配慮したことが裏目に出た結果だ。翌朝も一番の便でセントルイスに飛び,タルサ行きのアメリカンエアライン機に接続してくれるらしい。他社の便を使ってまで,考えられる最も早いチケットを取ってくれたわけだ。


いずれにせよさすがのボクたちも途方に暮れた。


相変わらずウイノーナにも叔母にも電話が通じない。ニューヨークの伯父の留守電が通じたので,状況を伯母に連絡してくれるようテープに吹き込んだ。時刻は21時を回っている。

「ホテル」という表示があるので行って見ると豪華な空港内ホテルで「一泊300ドル」だと言う。温泉も料理もなし,早朝の便まで数時間横になるだけで3万円。

「ふざけんなよ」

空港の外に出てみると冷たい雨だった。荷物もない。着替えもない。もともと寄るはずのない空港なので予備知識もない。

「3万円払うつもりならタクシーでデトロイトの街に出て,ぱーっと飲んだくれてやるかー。」

と強がったりしてみる。もっとも空港がデトロイトの中心街からどれくらい離れているかもわからない。

灰皿があったので煙草に火をつけたら頭がくらくらした。思わずしゃがみこんだ視線の先にレンタカーの看板が映る。こんなとき車さえあれば15分で快適なモーテルを見つけてやるのに。ボクは煙草を2本たて続けに吸ってからベンチで待つドレミのところに行った。

足取りはあくまで軽くお互いに笑顔を絶やさない。確かに旅の楽しいハプニングというには過酷過ぎる状況だが,ここで一泊300ドルのホテルに引き返しては旅人としてのプライドが許さないのだ。エスカレーターを降りると出口の手前に大きなパネルがあった。ホテルやレンタカー,レストランなどの写真が並んでいて,短縮番号を押すだけでつながる電話機がついている。成田でも見かけるがむろん利用したことはない。見ると車で旅するときによく利用する安宿(INN)の写真もいくつかあるではないか。

「コンフォートインがあるよ。確かまあまあのとこじゃん。しかも空港に近いみたいだぞ。」

問題はどうやってホテルに行くかだがとりあえずドレミに電話させてみると,

「迎えに来てくれるって。2人で75ドルだってよ。」

でもどうやってボクたちを探すんだろう。

「外のホテル行きバス停にいてくれって言ってたけど…」

なるほど確かに車寄せの端にホテルと書いた看板が立っている。通りがかった男の人に

「ホテルの迎えはここで待っていればいいんでしょうか。」

と尋ねてみると,看板を確かめながら

「たぶんいいと思うよ。」

という。立ち去りながら振り向いて

「I hope so.(たぶん)」

とわざわざ繰り返すものだからかえって不安になる。

「お腹空いたね。」
「宿をゲットしたらぎとぎとのハンバーガーに冷えたビールでぷはーっとやろうぜ。」



一瞬,暗闇の中からトトロのネコバスが来たのかと思った。

コンフォートインと大書したオレンジと黄色の派手なマイクロバスが看板の前をオーバーランして停まった。ボクたちは大急ぎでバスの方に走ったが心配することはなかった。辺りにいた数人(その中にはパイロットや客室乗務員の女性もいた)がバスに乗り込んだ。

「なんだか成田のパーキングの送迎バスみたいね。」

なるほどパーキングの送迎と同じように各ホテルはこうして定期的にシャトルバスを運行しているのだ。これで帰りの心配もなくなった。バスは雨のハイウェイを少し走ってホテルのありそうな通りに降りた。

「あとは夕ごはん。」

その心配もなかった。


ホテルのロビーには小さなレストランバーもあったのだ。チェックインしてバーに直行した。



ビンの口を交差させて乾杯し,ラッパ飲みするのがニューヨークスタイルだ。ハンバーガーの皿に山盛りのフライドポテトをちょいとつまんで口に放り込めば,一気に頭が冴え渡り,良い連絡方法のアイデアも浮かんできた。


フロントにチップを渡して,ウイノーナにメールを送ってもらえばいいじゃん。

「10ドルくらい奮発すれば大丈夫だよ。まかしとき,オレが行ってくるよ。」

だが実際にはチップは必要なかった。2FにPC室があって無料でインターネットを使えるという。

2Fに上がると一つしかないパソコンに大関小錦似の巨大な黒人が向かっている。仁王のような顔を寄り目にした恐ろしい形相でキーボードを叩いている。臆したボクが部屋を間違えたふりをして,すーっとその場を離れようとすると,ぎろりと仁王の目玉がこちらを向いた。

「5分くらいで終わるからちょっと待っててくれない?」

丸太のような喉のどこからあんな声が出るのだろう。仁王の声は甲高く優しかった。

「あ,そ,そう,ありがとう,じゃ待たせてもらいますねぇ,えへえへ。」
「悪いね。」
「いえ,ごゆっく…」

ボクがちょこんと(ボクの身長は184cmあるのだが「ちょこん」としか言いようのない体格差がある)かけていた長いすがみしりと傾いた。振り向くと同じような風貌の大男が隣に座っている。

「たははは。ボクもメール一本書くだけなんすよ。」

後から来た羅王の方は愛想が悪いがそれでも眉をくりっとあげて反応した。

ご,ご兄弟でいらっしゃいますか?なーんつって…

などと沈黙をギャグで埋めるほどの英語力はボクにはない。仁王が叩くキーボードの音だけが響いている。


順番が来て,ボクはウイノーナにeメールを送り,自分のHPのBBSにも書き込みを入れた。日本で誰かが気づいてトラブルを家族に知らせてくれるかもしれない。


羅王のプレッシャーから逃げるように部屋を出ると,吹き抜けのホールからレストランが見下ろせた。ドレミがるんるんとサラダをほおばっている。

明けて4月1日エイプリルフール。


デトロイトで目覚めたことが既に悪いジョークだ。

ボクたちは朝いちばんのシャトルバスの座席で出発を待っていた。朝ごはんのパンやコーヒーが無料サービスのはずだし,パソコン部屋でメールの返信も確認したかったが,バスがいつ出るのか不安だったのであきらめた。案の定,運転手が無言で乗り込んでくるといきなりドアを閉めて,エンジンをかけるや否や動き出した。

アメリカンである。

フロントやロビーにすら声をかけない。時間が来たら出発である。まだ暗いフリーウェイをバスは空港に向かった。「ゲートは?」と,たぶん運転手が言ったのだろう。乗客が順々に航空会社の名前を言うのでボクも

「ノースウエスト」

と言った。雨は上がったが暗い空はどんより曇っているようだ。


悪夢の一夜は終わろうとしていた。



4時間ちょっとしかない睡眠は疲れた体に辛かった。とにかく美味しいコーヒーを飲んで搭乗口に急ぐ。



セントルイス行きの飛行機はバスのように小さかった。



夜明けの空に小気味よく飛び上がる。



ミズーリ州セントルイスはオクラホマに近いはずだ。最初直行便のある周辺都市からレンタカーでタルサに向かうという案もあり,セントルイスもその候補に挙がっていた覚えがある。

なんていい空港なんだ。セントルイス。こんなに明るい喫煙所がある。スモーカーの判断基準はそこである。


この喫煙所,たぶんノースウエストからアメリカンエアラインに乗り換えるためにセキュリティーエリアを出たところだったのだろう。またまたセキュリティチェックの長い列が待ち受けていたが,ボクたちの方もすっかり慣れた。3つのトレーに二人の靴,鍵や携帯とカメラ類,ジャンパーとドレミのかばんを息もぴったり手際よく分類して載せ,カメラバッグと合わせて赤外線に送る。首尾よく先にボディチェックをバスした方が荷物を回収する。

どちらからともなく掲示板に向かう足が早くなる。昨日以来,タルサ行きの便だけがオンタイムになっていないので,正直見るのがこわい。


「あ!」

「うそぉ!」

またもやタルサ行きだけが赤い文字になっている。


搭乗口に行くと飛行機がまだいない。故障修理中で大幅に遅れが出ると言う。迎えに来ているウイノーナには悪いけど,

「ま,とにかく待っていれば今度こそタルサに行けそうだぞ。」

もはや遅くなるくらいではハプニングにならない。搭乗口に飛行機が入ってきて係員がマイクを取って何やら話したが早口すぎて聞き取れなかった。

「待ってる人たちががっかりしてるからまだ遅れるみたいね。」


窓の外で荷物の積み込みが始まっている。

「昨日からのオレたちの後を荷物がついてきてたら奇跡だよ。」
「ホントにね。」


大雪のミネアポリス・セントポール空港では,あちらこちらに雪をかぶったまま置かれている荷物を見た。そんな中にボクたちのトランクもあったことだろう。

やがて修理の終わったセントルイス発アメリカンエアラインズ機は1時間半遅れてタルサに飛んだ。


ボクたちが窓の下にタルサの街を見たのは,実に成田を離陸して36時間後のことだった。


すでにミネアポリスで入国審査を終えていたボクたちは,一般の国内旅行者と一緒にあっさりと出口に案内された。荷物受取所に走るボクたちの前方で小柄な人影がぴょんぴょん跳ねながら両手を振っている。

「ウイノーナだ!」

心地よいハグは4年ぶりの再会だった。


ボクたちの荷物は予想通りなかったが,紛失手続きをして車で飛行場を出た途端,ウイノーナの携帯に連絡が来た。ボクたちとは別にノースウエスト航空の便に乗ってきたと係員が説明してくれた。

どうやら不運の連鎖は終わったようだ。


空は雲一つなく晴れてタルサにも春が来ている。ときたま見かける桜や梨も満開だが,街路を彩るのは濃いピンクの花…レッドバドという名でオクラホマの州木だ。

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