01/ところ遺跡の森

Aug, 2007

縄文文化の遺跡はそれを点で結べば日本地図が描けるほど至るところに発見されています。これは世界でも稀有な例だそうで,古代の日本列島がいかに食糧の豊富な土地であったかがわかります。温暖な気候と美しい水源が,森に豊かな実りをもたらし,四方から海の幸が海流や流氷に乗って押し寄せてきます。南から北から人々がこの島を目指し,楽園を営んでいきます。

食糧豊かな土地の狩猟民族には縄張りが必要ありませんから,所有や階級の概念がありません。共同作業のための小さなコミュニティと経験豊かなリーダー,それに神(自然)と対話する祭司が存在したことでしょう。争いはなく,異文化との交流は緩やかに進み,血は混じりあい,自然を畏れ敬い自然の一部として暮らす穏やかな民族が誕生します。それが日本人の祖先なのです。

階級と所有,そして争いは,稲作文化とともに大陸からやってきました。弥生文化です。文字に残る日本の古代史は,大雑把に言えば,金属器で武装した稲作文化人が無抵抗な縄文人を侵略した歴史と見ることができるでしょう。武士の最高位である征夷大将軍の「夷」とは縄文人に他なりません。それでも,肥沃なこの島国では,縄文の生活を選んだ人びとが大勢います。

続縄文人とは農耕文明に遅れた人びとではなく,それを拒んだ人びとなのです。土地の所有権を主張する農耕民族たちに追われた彼らは,大陸では原野や雪原,あるいは密林に生活圏を求めました。日本では北海道に縄文時代が続きます。

わけても道東オホーツク海沿岸は,流氷がもたらす海の幸と清流が育む森の恵みによって,縄文人たちが豊かな暮らしをしていたことを示す遺跡が数多く出土しています。

本州を逃れてきた縄文人たちもこの土地に来て,高い文明を築きました。へらで擦って描かれた模様の土器から擦文文化と呼ばれます。

そして同じく肥沃なアムール川を農耕民族に奪われ,流氷に乗り海獣を追ってたどり着いた人びともいます。鉄器や磨製石器を使わず獣の骨を加工してやじりや装飾品を作り,独自の文化を築いた彼らをオホーツク人と呼びます。

北海道の驚異的な豊かさは,続縄文,擦文,そしてオホーツク文化を同時期に共存させました(年表参照)。

砂州に浅蜊や帆立が一面に広がり,秋の川は鮭で埋まったことでしょう。森には木の実や果実がたわわに実り,ときどき姿を見せる鹿や熊,そして海獣は毛皮や道具と良質なタンパク質をもたらします。人びとは小さな集落を作って幸せに暮らしました。その文化は鎌倉時代の中期にまで及びます。

ボクたちは,美しい文化を誇ったオホーツク人の遺跡を訪ねることを今回の旅のテーマにしました。と,言っても実は司馬遼太郎さんの「オホーツク街道」にある場所を訪ねただけです。他の文献は難しすぎて手に負えません。

 

ところ埋蔵文化センター「どきどき」
ホントに土器ばっかり


サロマ湖に面した常呂町に「トコロ遺跡の森」があります。東大の遺跡研究施設を一般に開放していて,森の奥にある「どきどき」では,土器や道具を展示しているだけでなく,修復中の土器が並ぶ棚を見ることができます。たいへんな数です。おそらくここにあるだけでも修復に何十年もかかるでしょう。午前中に砂州で腹いっぱい遊んだタローは入り口脇でおとなしく待っています。

森の中にはオホーツク人や擦文人の住まいを復元した公園がありますが,ボクはどうも遺跡保存や地域振興のために下りる交付金を無意味につぎ込むこの手の土木工事が好きになれません。およそ古代史ロマンとはかけ離れた公共工事のためとしか言いようのない公園作りは三内丸山遺跡でも吉野ヶ里遺跡でも見ました。吉野ヶ里では訪れた観光客から公園建設の寄付まで集めていました。若かったボクはスピーカーから演歌を流すお土産屋さんの前で,当たり前のように募金箱を突き出した職員と口論になってしまいました。それにしても遺跡の観光事業はそれを食い物にするゼネコンや大手旅行会社と距離を置くようにできないものでしょうか。雑木林や里山に重機を入れて,観光バスのための都会型公園を作る予算があるなら,コツコツと発掘作業に従事している職員やパートの方たちに,たまにはぱーっと宴会でも開いて慰労してあげればいいのに。

 

オホーツク人が使用した鏃


トコロ遺跡の森にもお決まりのお土産屋さんに囲まれた巨大駐車場とハコモノがありますが,すでに廃れ始めている印象で人の気配はほとんどありません。ハコモノ…の入場料は300円,歴史探訪のときはこんなセンターに行ってみると大事な情報や地図が手にはいることもあります。入場すると受付のキレイなお姉さんが

「トコロ遺跡を紹介する15分ほどのビデオをどうぞ」

と言って中央にある部屋に案内してくれました。縄文人の縦穴住居を模してデザインされた円形の部屋はすり鉢状に椅子が配置され,六方から降りてくるスクリーンは,どの席からも正面のある作りになっています。部屋が暗くなるのと向かい合わせに座ったドレミが眠りに落ちるのとほぼ同時でした。たった一人の観客になってしまったボクは必死で眠気と戦うことを余儀なくされました。

館内にはとっておきの発掘物がガラスケースに陳列されています。付近の遺跡を示した地図もあります。退屈している受付嬢の視線にさらされる,たった一組の見学者たるボクたち。その沈黙に耐えられなくなって,思わず

「この鏃には10世紀前半と説明がありますが…」

などと,小さな疑問をタネに話しかけてみました。すると受付嬢がにっこり笑います。

「少々お待ちください,…高○さーん,高○さぁーん,」

奥の部屋から,研究員らしい高○さんが登場してソツなくしかし長ーく答えてくれました。

…これはいかん,早々に情報を手に入れて退散しなくては…。

 

オホーツク土器の特徴は粘土で貼り付けた装飾


サロマ湖を中心にした手作りの大きな地図を見て目的地へのアクセスを確かめます。さまざまな時代の遺跡が隣接したり重なったりしている上に,地図はさすがにローカルな地名や道の番号が多いので帰り際に栄浦第二遺跡に入る目印を受付嬢に聞いてみました。

「はあ,少々お待ちください,高○さ…」

「あ,あ,ちょ,ちょっと待った。大丈夫です。たぶんナビでわかると思います。あは,あは,自分で探すのも一興かなぁーなんて思いまして。」

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