04/モヨロ貝塚

Aug, 2007

網走の中心街から車で数分,網走川の河口にモヨロ遺跡があります。朝から降っていた雨があがるのを待って宿を出たボクたちは国道から遺跡への入り口に薬屋さんの看板を見つけて車を寄せました。旅行中,蚊やアブの猛威を受けていたので虫さされの薬やかゆみ止めの補給,それに電気蚊取り器を購入しようというわけです。薬局に走ったドレミが店の人といっしょに表に出てきました。何やら愉しげに道を教わっています。手ぶらで戻ってきた彼女によると,蚊取り器を売っている近所のドラッグストアを教わったと言います。せめて虫さされの薬だけでもここで買わせてもらおうとしたのに

「笑顔で売ってくれないのよ」

商売敵のチェーン店を案内しておいて欲のないことです。

モヨロ遺跡の発見者米村喜男衛氏は発掘のためこの地に理髪店を開いたそうです。きっとこの薬屋さんの婦人のような気のいい床屋さんだったことでしょう。米村喜男衛氏は網走で知らぬ人のないヒーローです。大勢の人の協力を必要とする膨大な発掘を成し遂げることができたのは,その人柄もさることながら,陰に夫人の努力がありました。夫の正体を知らずに嫁いできた夫人は戦後食糧難の時代に作業員たちの食事を確保し,東京から来る研究者を精一杯もてなしたそうです。その苦労のために若くして亡くなっています。彼女がもてなした客のひとり,言語学,民俗学者(アイヌ語の研究など)の金田一京助博士がこの地で詠んだと言われる歌の碑が貝塚の入り口に立っていました。

 

於不津く(オホーツク)の もよろのうらの

夕凪に

いにしよ志のび 君と立つかな


モヨロ貝塚遺跡に最大の危機が訪れたのは太平洋戦争のときでした。美幌には今でも自衛隊の大きな基地がありますが,戦時は,その基地と連携して網走港が軍港に使われました。そして港に面した丘に広がるモヨロ遺跡にも,海軍の施設が置かれようとしたのです。米村喜男衛氏はたった一人で憲兵隊と渡り合いついにモヨロの丘を守ったのです。

現在でも発掘は続き貴重な遺物が出土していますが,周りにはホタテの加工工場が迫り決してよい環境とは言えません。

 

 

モヨロ貝塚館


モヨロ貝塚館にはほぼ完全な状態で発掘された土器や人骨が展示されています。中でもクマの骨の出土状態が目をひきます。貝塚の項で,縄文人が食用する獣を「神からの授かりもの」と考えていたことを書きましたが,特にクマは神聖な動物として,丁重に葬られたことがうかがえます。こうした自然との関わり方は日本中の縄文人に共通した思想です。

 

 

整然と出土するクマの遺骸


自然を畏れ敬い自分たち人間もその一部として共存していく考え方は,自然を屈服させるべき相手としてそれと対峙,対立してきた西洋の思想とは対極にあります。遺伝子の研究が進んで日本人が多様な人種の混血民族であることがわかってきました。戦前に悲しいほど無教養な国粋主義者たちが主張した「天皇の子孫」たる単一民族ではないことが科学的にも証明されたのです。

それでは日本人とは何か。それは自然と共存した縄文人の血を受け継ぐ民族のことではないかとボクは思うのです。

農耕時代になっても日本人はその心を失うことなく,里山に囲まれた田園を作り森と水を守って暮らしました。八百万の神…森羅万象あらゆる自然を神として敬いました。山にも海にも岩にも木にも風にも水にも神が宿ります。クマやキツネは神の遣いであり嵐や地震は神の怒りです。

こうした自然との対話と共存関係は,維新後に西洋から物質文化だけを無条件に輸入したことで切れてしまいます。川はコンクリートで固められ堰で区切られました。山にはダムが,森にはゴルフ場が無数にできて干潟は埋められました。効率だけを求めてエネルギー革命は続き,地球の大気組成にまで影響するようになりました。開発は新たな災害と薬害を呼び,防災という大義名分を虚しくしています。自然は屈服させるべき脅威から守るべき対象へと変わろうとしています。数千年に渡って人びとに恵みをもたらしたこの島国の自然が,たった100年余りで消えてしまうとは誰も予測できなかったことでしょう。

近年ヨーロッパの国々では古代東洋にあった自然に対する見方が思想として見直され,川を固めていたコンクリートが撤去されたり,干潟や湿地を回復させる環境復元の試みが進んでいます。世界が東洋に学び始めた現在,なおも西洋型の開発が盛んなのは皮肉にも中国やインドネシアなど本家東洋の後進国です。物質的にはともかく精神的後進国たる日本でも,有明海が消え長良川に堰が切られたのはライン川やドナウ川がコンクリートを撤去し始めたあとなのです。

モヨロ遺跡のクマの骨は静かに語りかけます。縄文人の心を失われた日本人の心のふるさとを。

自然と一体化し共存していく縄文人の「心」こそ観光事業のために認定が競われている国連のお墨付きとは別の真の世界遺産ではないでしょうか。

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