26/つばさ(1)

Aug, 2009

つばさはお調子者で明るいが,中学生のときからてんで意志が弱く,典型的なへなちょこな男だった。

何とか第一志望の名門都立高を受けられるところまでこぎつけたのに,東農大付属高校の推薦がもらえることが判ると,周囲の反対を押し切ってそれを選んだ。特別補習を組んで可愛がっていたドレミがあきれて珍しく怒ったものだ。十分に勝算のある第一志望校をあきらめて,不本意な推薦をもらうなんて情けない。ドレミにそう言われても,つばさはへらへらと笑っていた。

高校卒業が近づいたこの冬,進路の報告に久しぶりで顔を出した。案の定,入学時はトップクラスだった成績が落ちるところまで落ちて

「農大には進学できなくなりました。」

と笑う。付属の短大に行って成績が良ければ,学部に編入できる制度があるのでそれを狙うつもりだとへらへらしながら言った。剣道ばかり夢中になって,勉強に身が入らないのにはわけもある。彼は次男だが家業のお肉屋さんを継ぐことを決めているのだ。

「成績悪いと短大に行くかオホーツク校に行くかしかないんですよ。」
「何!?オホーツク校!?」

ボクはピクリと反応した。網走に農大オホーツク校があることは知っていた。しかも短大ではなく4年制の学部である。

 

←農大オホーツクキャンバス


「つばさ!オホーツク校に行け!」
「え!?い,いやですよぉー,北海道なんてぇ。友だちもいないしぃ。」

まだ遊び足りないらしいが,友だちのほとんどは学部に進学を決めているはずだ。意地というものはないのだろうか。

「今度はちゃんと勉強もして,編入…」
「ばっかやろー!お前みたいな根性なしが,みんな遊んでるのに,一人だけ勉強して編入試験なんてあるわけないだろ!」
「はあ,でも…」
「まあ聞け。」

男はひとり北の大地で鍛えられるのだ。サロマ湖の帆立養殖場でバイトしろ。女満別の農場で働け。そして食の科学を学ぶのだ。ボクは網走という場所の魅力を交えて,2時間余り語り続けた。つばさは気圧されたように聞いていたが,最後は「考えてみます。」と言って帰った。

彼に対しては「男になれ」の一点張りで説得したが,ボクには別の考えもあった。このまま東京で学生生活を終え,家業を継いでしまっては,彼の視野はとても小さくなるような気がしたのだ。ずっとこの町で働き,暮らすことになる彼にとって,北海道行きは広い世界を体験するかけがえのないチャンスに思える。

そして家業である。ボクはもちろん素人だが,町の食品小売店にとっては厳しい時代に入っている。大手のスーパーやチェーン店の向こうを張って生き残るためには,斬新な視点やアイデアが必要になるだろう。農大オホーツク校の研究は養殖漁業と牧農が中心だが,将来,精肉店主となる彼の視野を広げ,いつか役立つだろう。

翌日,つばさが再びやってきて

「先生,オレ,網走に行きます。」

と,あっさり言ったのには驚いた。あわてて親御さんに連絡すると,「よくぞ言ってくれた。家でも北海道にやるつもりだった。」と感謝された。数日後には母子で女満別に飛び,入学手続きをしてアパートも決めてきた。あれよあれよと言う間だったが,どう考えても言い出しっぺはボクである。

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