45/祭囃子が聞こえる

Aug, 2009

根金刀比羅さまの参道に戻ると,行列を待つ見物人がちらほらと集まりだしていた。耳を澄ませば,風に乗って微かに祭り囃子が聞こえる。花火がぽぽーんと響いた。

御神輿がお旅所と呼ばれる町中の会場を出発すると,前日の本祭に引き続き,「第一」「第三」「西部」「東部」の4区からなる祭典区の先太鼓,山車,金棒などが前後に従って町を練り歩く。各祭典区が工夫と伝統の太鼓やお囃子,そして踊りを披露する。町のあちらこちらに設けられたお休み処で休憩し,再び出発するときの合図に花火が上がる。

「あ,今,十字路の広場を出発しましたよ。」

近くの見物人が教えてくれる。行列が向かっているのは最後のお休み処だそうだ。次の花火が鳴ったら,いよいよ神社に向かってくる。見物人も少しずつ増えて,境内も賑やかになってきた。

木々の間から遠くに見える坂道に法被姿の行列が見えてきた。坂下の広場が最後のお休み処だ。祭り囃子が蝉時雨より大きくなってきた。誰もがうきうきして,町に祭が充満している。

ボクの住んでいる渋谷でも,小さい頃,母に手を引かれて行ったお祭りはこんな雰囲気だった気がする。今,東京山の手の祭は見ていて痛々しいほどに活気がない。若い住人の多くは自分の住む町を故郷とは感じていないのだろう。もはや全き意味での町としての機能は失われている。

それでも地方は東京のような町作りを目指しているのだろうか。地方自治が叫ばれているが,根底にあってそれを支えるのは住民の交流だ。それが祭を成立できないほどに崩れてしまえば,いくら予算や土木工事を誘致してきても砂上の楼閣となる。

IOCのレポートによれば,市民の意欲や理解の分野で東京は立候補都市の中で最低の評価だそうだ。よく見ているものだと感心する。いくらお金があっても,現在の東京で国際的な祭は成功しないだろう。祭の主体は市民であって自治体や国家ではない。それを根室の町の熱気が教えてくれる。

最後の花火が青空に鳴ると,早くも行列が参道の急坂を登ってきた。先達する奴さんたちだ。

続いて獅子舞が,可愛らしい巫女が,威儀を正した神官が,みなフウフウと坂を上ってくる。


やがて周囲の緊張感と熱気がひときわ高まり,金色(こんじき)の大神輿が姿を見せた。

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