59/北前船

Aug, 2009

「北前船松前」という寄らずにはおれない名の道の駅があった。北前船のミニチュア模型が飾ってあり,特産品の土産物屋や海鮮の定食を出すイートインコーナーがあったが,これが驚くほど高い値段がついていて,とても商売になるとは思えない。どうせ施設は助成金かなんかで建てられていて,お気楽な殿様商売なのだろう。

興ざめして外に出てきたボクはタローをつないでいた植え込みに行った。そして何気なく見た眼下の海に信じられないものを見つけた。

石造りの桟橋が二本,波に洗われている。

何の案内もないので,降りていく人はいないし,そもそも気づかないかも知れない。

工事現場のような岸壁を伝って近づいて見ると,紛れもない大規模な船着き場の遺構である。補修を試みた形跡もある。

おそらく江戸時代のものであろう。かつてこの桟橋を日本中の船乗りが夢見た。一本マストしか許されない和船を命がけで操り,辿り着いた港である。

どう見ても遺跡としては特級クラスだと思われる。

それがこれは一体何としたことだろう。

古畳とは恐れ入った。

あんな建物を作って模型なんか飾ってる場合だろうか。

足下で北前船の貴重な史跡が朽ち果てるままになっている道の駅の名前が「北前船」と言うのは,ブラックジョークのつもりであろうか。

あまりのことに松前城を散策しても心が晴れない。

帰宅後にインターネットで調べて見たが,ボクの検索能力に問題がないとしたら,この遺跡を知る人は少なく,現状を憂えている人もいない。松前町のホームページにも載っていない。あるいは町にとっては負の遺産なのかも知れない。

松前藩はいち早く秀吉に従ったというだけの功で北海道全土の版図を得ながら,江戸時代260年,アイヌ民族を奴隷のように使って収奪した特産物で私利を貪る以外何の機能も果たさなかった。

領民のための行政を一切しなかったばかりか,領土の測量,調査すらしていない。実務はすべて近江出身の商人に丸投げしていた。私見だが,今日,アイヌ民族の滅亡も北方領土問題も,元を辿れば,松前藩という史上最悪の為政者に行き着くのではないか。

もちろん放置した幕府の責任も重い。が,新政府のアイヌ迫害はもっと酷い。

旧松前港の遺跡が海の藻屑と消える頃,あるいはコンクリートの公園に囲まれる頃,アイヌ民族の悲しい歴史も人々の記憶から消えてゆくのだろうか。

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