Aug. 7th, 2018

3.マイン河畔の宿

戦闘開始!


入国審査を終わればそれからは行くところすることすべて自分で考える。ゲートの向こうには添乗員もバスも待っていない。



空港のレンタカーの場所を探している。フランクフルト市内は前回にずいぶんと観光したので今日は空港から直接車で旅立つ計画である。

看板を頼りに空港内を歩いていると飲み物の販売機が目についた。

「水買っとこう。」

「そうね…」


慣れない土地での旅にはとにかく水は大切だ。だが結局この販売機で水を買い損ねた。500mLのペットボトルが3.8€(約494円)だった。

「どうする?」

とドレミが躊躇したからだ。日本人の感覚では水を500円で買うのは抵抗がある。だがこれは(空港なので若干の割高を考慮すれば)適正価格と言っていい。町で買っても3€(約390円)はする。ところがガソリンスタンド(日本のコンビニにあたる)なら2€(260円),冷えてないものをスーパーで買うとせいぜい0.70€(70セント約90円)で手に入る。この価格差が理解できない。知らなければ「高いなぁ」と思いながらも結局500円の水を買うだろう。なまじ知っているだけに

「スタンドまでがまんするか。」

という結論になる。これはいけない。とりあえず高くても1本は買うべきだった。


レンタカーの受付では若い女性が応対に出た。シャツに辛うじてひとつだけ掛けられたボタンすら今にも弾けそうなほど胸が大きい。もっともそれに気づいたのはドレミでボクにはその余裕がない。互いの英語の発音を補い合うように筆談を交えながら保険の手続きを終えた。

「(ボクたちが借りるのは)どこの国の車ですか?」


「スペインのイビサ。うふふふ。日本車じゃないのよ,ごめんね。」

ス,スペイン?

彼女はボクが日本車を希望していたと思ったようだが,欧州を旅するのだからむしろ欧州車がありがたい。でも,スペインの車というのは初耳だった。調べてみると唯一セアトというメーカーがある。VW(フォルクスワーゲン)の傘下で,イビサはVWポロの姉妹車らしい。


「これだー。ねえ,かっこいいよ。」

指示された駐車スペースにこれから10日あまりボクたちの相棒となる白いイビサを見つけた。ドレミはほぼ車をかっこいいかどうかだけで区分している。


スペイン車


イビサFR1.0

最低ランクのコンパクトカーを借りるのは予算的な問題もさることながらセキュリティ上の理由が大きい。そこそこ高級車を観光地の駐車場などに停めれば車上荒らしや車泥棒の標的になりかねない。また小さい方が取り回しが楽なこともある。欧州の町の駐車スペースは東京より狭い。


数年前にバルセロナでメルセデスの巨大ワンボックスワゴンを借りたときほとほと苦労した。その経験から学習した。


欧州では健常者でAT車に乗る人は少ない。おばちゃんでもマニュアル車をサクサクと駆って買い物にゆく。メルセデスやアウディの高級車でもATのニーズは低いのでエンブレムの脇にわざわざAUTOMATICと書いてあったりする。我らがイビサFRはリッターカーでも6速マニュアル。スピードメーターは280kmまで切ってある。


コンパクトカーなのに装備はやたら充実している。ライトは車速対応型,ワイパーは雨滴感応だった。操作が難しそうなのでどちらもフルオートに設定した。その他8方位に衝突防止センサーまでついている。


ドレミが担当のナビは苦心の末,言語を選択する画面にたどり着いた。もちろん日本語はないので英国英語に設定する。前々回,アメリカ英語に設定して酷い目に遭った。距離をマイルとヤードで案内されたからだ。かの国では未だ単位がマイル,ガロン,ポンドである。それでもアメリカ国内を走るときは我慢した。


が,欧州においては標識がメートル法で表示されているのに「およそ320ヤード先,右方向です。」などとやられるのは甚だ不便である。

ナビは最低限の機能を使う。すなわち地図を操作して目的地を探し出し行き先に設定する。ドイツ語の地名を英語でタイピングして検索するなどという無謀なことは最初から考えない。目的地を探すにはタブレットのグーグルマップを併用する。前回スマホとポータブルWi-Fiの充電に苦労したので今回はシガーライターの電源から二口取れるUSBソケットをニ種類試用してから持ってきたのに,最新のイビサにはUSB電源二つが標準装備されていた。


ドレミが予約した初日の宿にナビの行き先を設定してイビサをゆっくりと公道に出す。郊外の車の流れは速い。

初めての車のクラッチの遊びやブレーキの効きにまだ慣れない。停止するときなどブレーキが効きすぎて衝突したのではないかと思うほどの衝撃が来る。


ドレミは車の動きには全く動じない。2日前には大型マイクロバスの助手席に座って三国峠を下った。ボクの運転には絶対の信頼を置いている。ナビの画面とタブレットの地図を見比べながら鋭く道を指示する。

「右車線に行って。50メートル先右折!その先の分岐を左!あ!ここ,真っ直ぐ!」


ボクにはまだナビ画面を見るほどの余裕がない。ひたすらドレミの指示通りにイビサを走らせる。


「左折して合流。3号線をしばらく真っ直ぐね。」

ドレミが静かなトーンで言った。

「(英語のナビ)およそ65キロ,高速A3号を道なりです。」

ナビもそう言ってしゃべらなくなった。

ふうぅ。…アウトバーン(高速道路)は流れに乗っていればのんびりできる。車にも道にも慣れてきた。大丈夫。いけるぞ。


「ノディ乾いたな…」

「ごめん,やっぱりさっき水買っとけばよかったね。」

30分ほども高速を走ったところでSAに寄り,ガソリンスタンドでようやく水を買うことができた。


ナビが案内を再開した。ドレミも忙しくなる。リラックスタイムは終わりだ。知らない町に入っていくのは運転も緊張を強いられる。初日の宿は出発前に予約してある。条件は空港から1時間半以内にアクセスできること,高速に近いこと,初日は荷物をアレンジするため全部下ろすのでエレベーターが完備されていることなど。ボクはフライトの疲れも考慮してアメリカンスタイルのモーテルを希望したが,ドレミに

「ねえ,見て見て。この宿,ほらマイン川が一望できる丘に建ってるんだって。いいでしょ。」

と押し切られた。

ドレミのメモより


マイン川を渡るとその丘のある村が見えてきた。はHOMBURG(ホンブルク)という名前らしい。



細い道を丘の上まで上って来た。ドレミが助手席を飛び出して辺りを探し,やがて嬉しそうに戻ってくる様子がバックミラーに映った。

「駐車場,あっちだって。」


フランケンワイン


EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM


広くて素敵な部屋だった。



早く着いたので散歩に出てみよう。



ドレミがグーグルマップを拡大して調べたところによればワインの醸造所や直売店があるらしい。

「ワインレストラン探してくる!」



腰の具合が思わしくないボクを丘の展望所に待たせてドレミは丘の下の集落までワインレストランを探しに行ったが不首尾に終わったようだ。そもそもあまり街に人気が感じられない。



「なあ,ウチのレストランもメニューを出してるぞ。ほら」

ボクがウチと言うのは泊っている宿のことである。当然である。この手の民宿やホテルは料理自慢のレストランが付属していてしかるべきである。


が,レストランにも人気がない。恐る恐るドレミが聞くと

「もちろん営業中よ!」

と陽気に女主人は言ったものである。


ドレミがメニューを指差しての必殺カタカナドイツ語

「(ドイツ語)ココノ地ワインハドレデスカ」

…ウケた。そして陽気で太った女主人がコロコロと笑いながら

「全部よ。」


と答えた。暫くして自慢げに運んで来た超辛口フランケンワインが「まじヤバかった。」

はるばる名古屋から12時間のフライトに耐え,レンタカーを操ってここまでたどり着いたのは何のためだったのか,その答えはすべてこの琥珀色の液体の中にあった。


EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM


厨房からばんばんとビール瓶で豚肉を叩き延べる音が聞こえていた。やっぱりね。

おススメ料理はシュニッツェル(ドイツのトンカツ)だった。少し塩からい田舎風である。



そしてまたこれかー!!ライン川沿いで「おすすめ地元料理」と注文するたびに何度も出てきた牛肉,部位不明。必ずジャガイモだんごがついている。どうやらフランケン地方でも名物らしい。日本のドイツ料理店で見たことはない。



西日が差し込むテーブルでボクたちはワインと美しい時間に酔った。もの静かな若いドイツ人カップルが隣のテーブルに座り,やはりシュニッツェルでワインを飲みはじめた。



千鳥足で再び展望所に散歩に出た頃,ようやく西の空が夕焼けに染まった。8時半を回っている。このあたりの緯度は北緯50度,稚内よりはるかに高く夏の日は長い。



EOS 5D MarkⅢ + EF50mm f/1.2L USM


さあ明日はどこへ行こうか。



教会の前の巨木越しに夕日が沈み,時差7時間を加えた長い長い一日が暮れてゆく。



EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM
↑目次へ戻る
→「4.」へ進む