Aug.8th, 2018

4.シーボルトとワーグナー

夜明け


EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM

夜の気温はさほど高くはないが昼間,屋内に溜まった熱気が抜けない。石造りのドイツの家は暑さに対しては全く無防備と言っていい。窓や廊下も暖房効果だけを考えて作られ,風が抜ける構造にはなっていない。そのドイツにもご多分に漏れず猛暑の夏が襲っている。


寝苦しくて寝返りを繰り返し,とうとう目覚めたままボクは起き出して夜明けの空を撮りにひとりで戸外に出た。

角から現れた猫に日本語で声をかけて招くと,真っ直ぐに寄って来た。足に体を摺り寄せてくる。



日本ではこのような毛の模様を末広がりに幸運をもたらす「八割れ」と呼ぶそうだ。かつては「鉢(兜)割れ」として忌み嫌われた。いつの頃か粋な猫好きが八の字を当てたものだろう。ひとしきり路上に猫と遊んでいると村中の教会の鐘が一斉に鳴った。



部屋ではドレミもとっくに起きていてシャワーを浴びていた。それから窓も部屋の戸も全開にして朝食の時間が来るのを待った。昨日スタンドで買った1本の水を節約しながら飲んだ。今日はまずスーパーに行って水のボトルをしこたま買い込もう。



朝食は期待通りだった。パンとバター,チーズ。サラミとハム。そのクオリティはボクの知る限りドイツがダントツである。粉が違う,水が違う,牧草が違う。

驚いたことにはボクらの他に昨夜の若いカップルを含めて3組も泊り客があった。ボクたちも相当静かな方だが彼らはもっと静かだった。

 


ヴュルツブルク

「ヴュルツブルクはどうかしら。」

朝食のアプリコットをかじりながらドレミが小声で言う。美しい民宿に泊まり合わせた物静かな老若のドイツ人観光客たちに憚ってのことである。互いに挨拶を交わした後,室内にはスプーンやナイフが皿に当たる小さな物音くらいしか聞こえてこない。隣席の老婦人もアプリコットをかじりがら低い声でご主人と談笑している。アプリコットは小ぶりだが甘くておいしい。もっともどこでもおいしかったわけではなくこの宿のリンゴはおそらく地物で特別だった。

「どこだ?ヴュルツブルクって。」

今日の行き先についての相談である。ボクの漠然とした予定では数日の間,このような小さな村の民宿の泊りを重ねながらドナウ川沿いを南東に進む予定だった。早速計画変更を余儀なくされている。原因はこの暑さだ。民宿(ガストホフと呼ばれている)や小さなホテルにはエアコンが設置されていない。いくら温暖化と言っても当地でこんな日は年に数日しかない。エアコンを設置しても営業メリットはないだろう。

昨夜の寝苦しさにあっさりと音を上げたボクはドレミに近くでいちばん大きい街にあるエアコン付きの宿を探すよう頼んだ。ドレミは朝食を待つ間にさっそくスマホを操作してニュルンベルクという町に手頃なホテルを見つけて予約した。手頃な値段でエアコンのあるホテルというのはだいたい世界中どこに行っても変わらないスタイルである。面白みがないが背に腹は代えられぬ。今夜は景気よく冷やした部屋でぐっすり眠らないと体が持たない。ヴュルツブルクは今夜の宿を取ったニュルンベルクへ向かう途中にある。

「シーボルトの生まれ故郷でワーグナーが住んでいたところも残ってるのよ。」
「よし,そこだ。そこに行こう。」

ボクはドレミのアプリコットを一口かじって言った。司馬先生も確かシーボルトの出生地までは訪ねていらっしゃらない。午前中の旅程はあっさり決まった。


イビサのコクピット。すでにセンターコンソール回りはタブレットやポータブルWi-Fi,スマホ,バッテリー充電用ACアダプターなどが配線されている。運転席のクッションは腰痛のボクにとって必需品である。空港からすぐに使えるようドレミが機内荷物に入れて日本から運んできた。



ドイツ中部の田園には一面に麦畑が広がる。今は刈入れ直後の苅田ならぬ苅畑がどこまでも続く。道や木々の様子も北海道に似ている。


ヴュルツブルクに入った。中心街にあるスーパーへのアクセスは失敗したが首尾よく公共駐車場を見つけて車を下りた。ワーグナーの住居跡は駐車場のすぐ裏にあった。


リヒャルト・ワーグナーは20才の頃(1833年),ヴュルツブルク市立歌劇場の合唱指揮者となり1年余りをこのアパートに暮らした。貧しい中で作曲家を志し,オペラ「妖精」をこの地で作曲している。



EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM

マリエンブルク要塞。1253年というから鎌倉時代中頃から500年に渡ってこの地を治めた大司教の居城が町を睥睨する。宗教的権力と政治的権力を一手に掌握して強い軍事力を持ち,ドイツ農民戦争の反乱も撥ね退けた。

腰痛

右脚の具合が悪い。痺れと痛みでうずくまった。

「っつーぅぅぅぅ!」

30秒ほどもしゃがんでいると何とか立つことができる。脊柱管狭窄症の手術を受けたのは去年の5月。その直後から術前にも増して右の腰からつま先まで痺れと痛みに苦しんできた。暮頃にようやく直立できるようになったがタローを喪って外出する用もなくなり専ら家と職場に引きこもっていた。

それが春先からはこの旅行を目指してリハビリに努力してきた。ジムで筋トレしプールでお年寄りに混じって水中を歩いた。だが未だ歩くのも立ち続けるのも10分がやっとの現状である。


また数百メートル歩いたとこで今度は回りの目を気にしてドレミの写真を撮るふうでしゃがみこんだ。

「薬,飲みなよ。」

そうだな。


節約していたなけなしの水の最後の一滴でありったけの鎮痛剤を飲んだ。ロキソニン,トラムセット,リリカとそれに伴う吐き止めと胃腸薬である。

主治医が「最強」と言って処方してくれる。麻薬に近い成分のものもあり副作用も大きいので春からはなるべく飲まないように我慢した。エアコンを使い始める季節になって痛みが強くなってもときどきロキソニンを使うだけで耐えてきた。夏旅に出ればあるいは気分的にも良い影響が出て痛みも痺れも引くのではないかという淡い期待は破られた。精神的なダメージも大きい。

「ノディ乾いたな…」

心配して顔を覗き込む妻を少しでも笑わせようと思い,とほほ顔でそう呟いた。

「待ってて!」

大きな標識が道端の植え込みに影を作っている。その縁にボクを座らせてドレミは1フロック先の賑やかな交差点に向かって走って行った。


「じゃーん♪」

帰って来た手にコーラのボトルを持っていた。

「水よりコーラの方が安いのよ。」

ボトルを受け取って300mLほどを一気飲みした。


あせるのはやめよう。去年のことを思えばこうして立っているだけでもたいした進歩ではないか。まして異国の町を歩いている。このときからはムリをせずドレミに促されるままに休むことにした。5分と開けずベンチがあれば掛ける,石段があれば若者のように座る,我慢できなくなったらどこでもしゃがみこむ。鎮痛剤も毎朝飲んだ。痛みがあるとどうしても気分が後ろ向きになってしまう。


ドレミが iPhone7 で撮影

植物学者


日本フェアのポスターを見かけた。目的地は近い。



えっへんとシーボルト先生がいらした。



看板の説明によると日本の珍しい植物を発見した植物学者として名を成したことがわかる。ボクたちの身の回りの植物をヨーロッパ人が初めて見たからと言って「発見」とするのはいかがなものかと思う。が,彼を日本に駆り立てたのはその発見への冒険心と功名心だった。

フランドルの旅人/17「蘭学」



何はともあれこの地に立って,幕末日本で西洋の自然科学を志したすべての学者に思いをはせてワンパチ(記念写真を1枚)する。



EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM

汽車の形をしたバスが角を曲がってきた。二台(両?)のオープンな客車をけん引している。特に観光用ではなく一般市民が利用している路線バスらしい。この余裕に市民の文化水準の高さが窺える。

フランケンワイン

レジデンツと呼ばれる大司教の館跡が世界遺産になっていて観光客が集まっているが,あいにく二人ともバロック建築にあまり興味がないのでパスする。ボクたちにとってヴュルツブルクはワーグナーとシーボルトの町である。


中心街に戻って1000年の歴史を持つ大聖堂。



だが目下ボクたちにとって必要なのは500mLの水のボトルである。



スーパー発見!1本0.95€で水6本をゲット!!


さらにドレミの作戦は近くにあるカフェ・モーツァルトにボクを置いてフランケンワインの直売所を見学に行くというものだった。カフェ・モーツァルトは繁華街の真っ只中。腰痛で迷惑をかける身では文句の言えた義理ではないのだがボクとしてはもう少し環境のよいところに置いてもらいたかった。


いいか,ドレミ。「カフェ・モーツァルト」というのはいわば「居酒屋・竜馬」のようなもので,別に土佐でなくても名古屋でも札幌でもどこの町にもある。モーツァルトとほとんど縁のないこの街で「カフェ・モーツァルト」を選ぶ意義があるだろうか。



「いいの!」

あ(;^_^Aそう。ボクの反論は一蹴された。ハーブやフルーツのエキスがあれこれ入ったアイスティー。この国の人はこういう飲み物が好きだ。


ドレミはそれを半分きゅーっと飲んで店を飛び出して行った。ガイドブックに載っているワイン直売所に行ったのだ。


ボクたちのランチが運ばれてきた。モーツァルト風?カプレーゼピザ。バルサミコ酢ベースの甘じょっぱいタレがかかっている。バジルの葉っぱをちぎって包んで食べる。意外にいける。

大きな荷物を抱え,肩で息をしながらドレミが戻ってきた。


「フランケンワイン,7本買って来ちゃった。」

な,何ー!!

ワインの瓶はタオルや衣類でぐるぐる巻きにしてトランクに入れても割れていることがあるそうだ。それに重いから「お土産にワインは買えないね。」と言っていたのは当のドレミなのである。帰りの飛行機のことはともかくとして,当面ワイン7本と水のボトル6本を担いで駐車場まで歩かなくてはならない。

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