Aug.8th, 2018

5.交差する街~ニュルンベルク

復旧都市

ヒトラーが第3回ナチス党大会をこの地で開くことを決めたのは立地や会場確保など専ら実利的な理由からだと言われる。ところが政権獲得後の1933年には「帝国党大会の都市」宣言をして第5回から中断するまで合計6回の党大会をニュルンベルクで開催した。それは神聖ローマ帝国時代に議会開催都市に指定されていたという「正統なドイツ」をイメージさせる歴史をナチスの正当化に利用するためであった。


だがニュルンベルクの町に入って最初に目を引かれたのは石造りの巨大な塔である。5世紀に欧州に侵入したフン族の遺構である。一つだけではない。近代都市,それに囲まれた古い町並み,そしてエキゾチックな石塔が混在している。その景色を見る限り,がちがちドイツの権化という感じはしてこない。


むしろ交通要衝としての立地上,東西そして古今の文化が交差するように融合して発展してきた町であるという印象が強い。


EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM

ナチスに…いやヒトラーに見初められたことがこの町最大の不幸だった。第二次世界大戦末期,ニュルンベルクはナチスの本拠地として連合国による苛烈な空爆の標的となり町は完全に破壊されてしまった。


ニュルンベルクの城壁

戦後,町は市民によって復旧された。



復興ではなく復旧であると市民たちは胸を張るそうだ。瓦礫の石を集めて美しい建造物を元の姿に復旧していったのである。



城壁はよく整備されているが中世そのままの佇まいかというとそうではない。住民たちの生活とよく調和している。



風景の美しさに魅せられ,ボクは専属モデル(笑)だった愛犬を失って以来,初めて精力的にシャッターを切り始めた。



人がひっきりなしに往来する観光地で,迷惑をかけずにこのシーンを撮るのにはけっこうなチームワークが求められる。こんな撮影はいつ以来だろう,楽しいな。


マックス橋…だがカメラのウデはすっかり怪しい。吊り橋の上から見た風景はドレミのiPhoneの方がよく撮れていたりする。

ドレミがiPhone7で撮影


旧市街の街並みの美しさはどうだろう。圧倒されてとりあえずアイスを買った。



みんなに人気の同じものを買ってきたと言う。レモンのジェラートに刻んだハーブが入っている。この国の人はホントにハーブが好きだ。



↑EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM


↑ドレミがiPhone7で撮影


↑EOS 5D MarkⅢ + EF50mm f/1.2L USM


ちょうど中腹にある聖セパルドゥス教会


城に向かっては急な上り坂になる。

マイスタージンガーとはマイスターの歌手という意味。ワーグナーはヴュルツブルクに暮らした2年後に,マクデブルクにあるベートマン劇団の指揮者として出演者募集のためにニュルンベルクを訪れている。おそらく貧しいながら新婚ラブラブだった妻の女優のミンナ・プラーナーを伴っていただろう。そして酒場でマイスター歌手たちに出会う。その体験を元にして後に「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を書きあげた。


結婚30年目の妻を伴って訪れたへっぽこ画家はなにがしかの作品を残せるだろうか。


カイザーブルクは11世紀から16世紀にかけて神聖ローマ帝国皇帝の居城の一つだった。中でも皇帝カール4世は皇帝即位後最初の帝国議会をニュルンベルクで行う勅令を出した。それがその後200年近く慣例となった。ナチス党が目をつけたのはその歴史である。


EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM


「みんな撮ってたから」とドレミが城の前で撮影してきた不気味なウサギの像はこれまでニュルンベルクを訪れた人にもかなりのインパクトを与えていると思われる。ネット上の情報では彫刻家ユルゲン・ゲルツの作品とのこと。


ドレミが城の周りを見物する間,ボクはここに座らされていた。予算の都合でカフェには座れない。


↑ドレミがiPhone7で撮影


城の通路も通行人の切れる一瞬を狙う。



道路の両側に分かれてパチリ。



ブラウエン教会



ドレミがiPhoneで撮影。

ボクは外のベンチで腰のストレッチをしながら待つ。



ケーキ屋が気になるらしい。



研究に余念がない。



ボクが興味をひかれたのはこちら。

ケーキ屋のショーウインドウに置かれているわけがいまひとつナゾである。



ペグニッツ川 聖霊施療院



石段で腰を曲げているときに隣に若い夫婦が来て座った。

我がタローを思い出して少し泣きたくなる。



こちらも座りながら撮った。ドレミはショッピング中である。



歩きながらネットで適当に検索した名物料理の専門店。入ってみると民族衣装のお姉さんがにっこり笑った。ここに入るのは結構勇気が要る。



どころがファミレスよりリーズナブルなお値段にほっとする。



じゃんじゃん持って来ーい(笑)

急に気は大きくなっているが神経性胃炎で,現状お腹の許容量がショボい。



地ビール2種。目を疑うほど安い。



そして!来た来た。



じゃーん!!

ニュルンベルクの名物,細身のソーセージ!!

ドイツと言うと日本ではソーセージでビールを飲んでいるイメージがあるが,みんながみんないつもソーセージを食べているわけではない。


しかもレストランでソーセージを出すのは主にバイエルン地方だけである。例えばライン川沿いの町ではどこに行ってもメニューにソーセージはなかった。飲み物もビールより白ワインを飲む人が多い。ボクはドイツは3度目,のべ15日ほど旅しているがソーセージを食べたのは何を隠そうこれが二度目だ。


キノコのソテー。これはバイエルン地方からオーストリアにかけてポピュラーのようだ。



フランケンワインがずら~。

無敵に美味しいのに安いなあ。若い頃ならボトルで取っちゃうところだけど,二人で一杯を注文。



乾杯する空に虹が出た。

さっき川のところでタローを想い出したから。


さあ夕日はこれから。さっき目星をつけておいた橋に足を引きずって戻る。ドレミにはポータブルWi-Fiを持たせ橋の場所をiPhoneのマップに入力して渡した。

ショッピング行っといで。暮れるまでに橋に戻ればいいから。

…ブランドの店を回るわけではない。菓子舗やらドラッグストア,セールの貼り紙のある洋服屋などを回っては予算と折り合うまことちょっぴりの買い物をしてくるのが彼女の楽しみなのだ。


EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm f/4L USM

橋の欄干に陣取って夕焼けを待つ。立ってはいられないのでしゃがむのだが表情が難しい。痛みに顔をしかめているとすぐに通行人が立ち止まって声をかけてくれる。一度は若い男が連れの女の子に促されてボクを助け起こそうと抱えてくれた。いやいや(;^_^A

欧米人には「しゃがむ」ことのできない人が多い。道端に体を折っている東洋人を助けようとするのは当然かもしれない。かと言ってにこにこ笑いながらしゃがんでいるのもお行儀悪い気がする。


欄干のすぐ隣には若い男が並んで立っている。所在なげに同じ西の空を眺めたり地面を見つめたりそわそわしている。明らかにボクに話しかけたくてうずうずしているのだ。

ブラックラピッドにロープロのリュックを背負い赤い輪のLレンズを何本も交換してるボクはちょっと見まるでプロカメラマンだ。彼はそのプロフェッショナルな東洋人が自分の町の自慢の風景にカメラを向けていることがうれしくて仕方なかったのだと思う。ドレミが戻って来てボクと会話するのを見るともう我慢できなくなった。若いので英語の発音はとてもいい。

「ゆ,夕日を待ってるんでしょ?キレイですよね。ボク,ハンス。どこから来たの?あ,やっぱり日本から。ボクのおじさんがこないだ京都に行ったんすよ。ボクもナルト好きです。」

止まらなくなった。

「それキヤノンの一眼でしょ。父さんも使ってる。あっちの坂を上ると写真にいい城があるんですよ。え?もう行った?そう,よかったでしょ。ね,いい写真撮れましたか。」

上気しながら一気にまくしたてると「それじゃああ,いい旅を」と思いきり手を振った彼は夕暮れの道を駆けて行った。

若者はもちろん,年配者も…どこの国を旅しても一般の人々は触れ合ってみるとたいてい純朴で人がいい。外国人に対する差別感情など微塵も感じられない。

ボクたちに親愛を抱いて話しかけた子,助け起こそうとした若者…その親たちも祖父母も,ニュルンベルクの人たちはたぶんそういう人ばかりなのだろう。その町がかつては熱狂的にナチスを支持してユダヤ人を迫害した。それは決してドイツ人の総意でなかったことを若者たちの心は証明していると思う。

1945年から46年にかけ…,この町で連合国がナチスの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判が行われ,戦犯として12名のナチス党員が処刑された。世にいうニュルンベルク裁判である。ナチスによる侵略やホロコーストは言語道断だが戦勝国にも正義はない。戦争に正義など存在しない。連合国によるドイツ本土への空爆は日本本土への爆撃の10倍近い150万トンと言われ少なくとも30万人を超える非戦闘員が犠牲になった。

ヘンカーシュテーク(死刑執行人の橋)
橋の名は中州(右手)に執行人の住居があったことからついた。

EOS 5D MarkⅢ + EF24mm f/1.4L USM


夏のドイツの日は長い。日が沈んだのは8時半頃だったと思う。それまで夕景を狙って橋の上にいた。



旧市街を宿に向かって歩く。



何か見つけた。



北海道のスープカレーが売られている。



思っていた道よりずいぶんと東寄りに歩いてしまった。城壁にぶつかったところで西に歩いた。突然,ドレミが小さく悲鳴をあげてボクの腕にしがみつき爪が食い込むほど強く握った。そう言えば来る途中,ボクたちに何か知らせたげにした人が何人かいた。



EOS 5D MarkⅢ + EF24mm f/1.4L USM

照明が妖しげだった。一つ一つの窓に裸の女性がいて道行く人に秋波を送っていた。突破するしかない。…ことはなく戻る選択肢もあったのだが好奇心に負けてそのままの道を進んだ。ドレミはずっとボクの腕に顔を埋めて歩いた。横丁を抜ければホテルに曲がる目印の石塔が見えてくるだろう。

新旧清濁が交差するニュルンベルクの色々な顔を見た。ナチスが全盛期,その本拠地となりながらもニュルンベルク市の選挙では社会民主党が勝利している。市民はナチス党を第一党には選ばなかった。

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