Aug.8th, 2018
9.ドレミの歌が聞こえる
大返し
オーストリア南部の町,グラーツの朝を迎えた。
エアコンなしの民宿の夜は少々寝苦しかったが覚悟していたことだ。予報では今日っから一気に涼しくなる。
昨日,なるべく遠くの町に折り返し点を探したのも天気を見越してのこと,今日の昼間は移動日のつもりである。
旅先で天気に合せて長距離を戻ることをボクたちは「大返し」と呼んでいる。太閤殿下にあやかってのことである。
雨になるとは思えないくらい穏やかで清々しい朝だ。
ガソリンスタンドはシェルを選ぶようにした。
オクタン価が表示してあって分かりやすいからだ。
昔はオクタン価の違うガソリンを自分で配合して給油した。30年前のここヨーロッパの話だ。オーストリアにも何度も来た。どこの町だったかほとんど忘れてしまった。
最近は眠くなったときに停まって5分でも10分でも寝ることを覚えた。ガムやドリンク剤よりよほどいい。
大きなスーパーの駐車場があればなおいい。居眠りしている間,ドレミを退屈させることがないからだ。
ボクが寝ている間に駄菓子なんかを買う。向かいの病院に入ってトイレを借りる。そして今度は店内のデリでオーダーメードのサンドイッチを注文してきた。
「寝られた?もっと寝ててもいいよ。」
膝に戦利品が並んでいる。イチゴも買ったのか。しかも2パックも…
「ラズベリーとブラックベリーよ。安かったの。」
サンドイッチは見た目よりいろいろなものがはさまっていた。二人で一個を分けて食べる。
これはミカド。グリコが合弁会社を設立し,フランスの工場で作っている。チョコレートの味はポッキーとは全然違う欧州仕様になっている。日本をイメージしたゲームの名前からミカドと名付けたそうだ。(ご興味があれば「MIKADO」「木製ゲーム」で検索してみられたし。)
ドレミの歌が聞こえる
やがて篠突く雨となり,一般道での峠越えは写真やビデオを撮る余裕もなかった。雨滴感応ワイパーは全力で往復していた。
峠を越えて雨も小やみになり,ここはザルカンマ―グートと呼ばれる美しい湖水地方である。あいにくの天気だがここは外せない目的地だ。
Uターンして何度も道を往復し,場所を特定して車を寄せた。
どこからか番のハクチョウが現れてボクたちを歓迎した。
耳を澄ませば聞こえて来る。ほら…ドレミの歌が…。
Doe, a deer, a female deer ♪
(Re!) Ray, a drop of golden sun ♪
ここはアメリカ映画「サウンド オブ ミュージック」で,主人公マリアとトラップ家の子どもたちがドレミの歌を歌いながら自転車で走った湖岸の道なのだ。
1965年公開の映画「サウンド オブ ミュージック」はロバート・ワイズ監督,アーネスト・レーマン脚本,先行したブロードウェイミュージカルを作曲したリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の音楽が使われ,主演はジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマー。第二次大戦中,スイスを経由してアメリカに亡命したザルツブルクの音楽一家トラップ家をモデルにしたミュージカル映画である。
これから旅のクライマックスはそのロケ地巡りを中心に進む。
ザルカンマ―グートでもとりわけ美しいと言われるモントゼー湖(月の湖)畔。
案内所で駐車場を尋ねた。
マルクト広場に面して瀟洒な教会が建つ。
マリアとトラップ大佐の結婚式はマリアが見習いをしていたノンベルク修道院という設定になっているが,実際には撮影許可が下りず,ロケはここモントゼーの教会で行われた。
手紙
少し昔話にお付き合い願わねばならない。
ボクは学生時代,大学に特別講義に来た町田の音楽教室の指揮者に心酔して押し掛け書生となった。その年,音楽教室は大きなヨーロッパ遠征旅行を控えていたので,事務に長けていたボクはひと月も立たないうちにスタッフ兼秘書として活躍し信頼を得ていった。
いよいよ教室のスタッフと合唱,弦楽団員こぞってヨーロッパへ出かけるとき,当然のようにボクは責任者として教室の留守を預かった。このとき留守中も開かれることになった幼児教室は高校2年生の合唱団員が先生に代わって指導した。もちろんメゾソプラノのパートリーダーだった彼女は遠征の主要メンバーのひとりだったが,家庭の都合で直前にヨーロッパ行を断念していた。事務を通して事情を知っていたボクは教室とガラス戸一枚隔てた事務室で彼女を励ます手紙を書いた。ガラス戸の向こうからは子どもたちにわらべうたを教えている彼女の声が聞こえていた。
高校2年生を相手の手紙の中で,ボクは教室の先生の音楽教育理論がいかに正しいかを熱く語り,ちょうどその頃見た「未知との遭遇」という映画のクライマックスシーンにペンタトニックが効果的に使われていたことを例に示した。励ましの手紙はいつの間にか分厚いレポートか論文のようになっていた。
数日後,彼女から返信があった。ボクの送った手紙の倍くらい,折りたためないほどぶ厚い便箋の束だった。かなり変わった女子高生と言わざるを得ない。その返信の1/3ほどが彼女の大好きな映画「サウンド オブ ミュージック」の感想文だった。もちろん内容はザルツブルクへのあこがれやナチスへの憤りなどが高校生らしい素直な文章で書かれたものだった。
むかしむかし,そのまたむかしのお話である。
彼女がこのとき行けなかったブダペストとウィーンへは8年後に二人で行った。
タローを喪い, あとにフランクフルト行のチケットが残った今年の冬,ボクは旅の行き先をザルツブルクに決めた。ドレミは悲しみに耐えるためにザルツブルクの研究に熱中した。「サウンド オブ ミュージック」やモーツァルトゆかりの場所を調べ,行きたいところ全部を回る計画を立てた。宿を予約し,レストランやカフェの場所をいくつも調べた。もはや目をつむっていても街を歩けるのではないかと思うほどだった。
そして彼女が高校生のときからあこがれていたザルツブルクがいよいよボクたちの眼前に近づいた。