Aug.8th, 2018
16.つぐみ横丁
古城めぐり
ロマンティック街道ディンケルスビュールの朝が来た。
眩しいほどの朝日。
朝食
泊まり合わせた客にはアメリカ人が何組もいた。やはりこの宿の風情は外国人に人気らしい。
ドレミに誘われるまま少し街を散歩した。
ふと見ると道をはさんでホテルの隣にある雑貨屋に目を疑うような看板があった。どういうわけだかは全く不明である。少なくとも夕べから今朝までこの町では一人も日本人に会っていない。店に入ってみたけれど,おにぎりはランチタイム前に入荷とのこと。
出発しよう。
町の大きなスーパーに寄った。オランダやドイツの大きなスーパーではたいていカートを借りるのに50セントか1€の硬貨を必要とする。硬貨を入れるとチェーンが外れるしくみになっている。
元に戻してチェーンを繋ぐと硬貨が戻る。
ドレミはチョコレートの研究やお土産の物色に余念がないがボクはヒマである。
日本酒が一ケタ高い。
一部古城街道を通るので,ここはひとつ城の写真を撮りながら行こうということになった。ドレミのナビゲーションで車載のナビにもグーグルマップにも載っていない古城を見つけていくというマニアックな遊びである。
ぴしゃりとドレミの案内通り古城が現れる。
ひとつひとつ訪ねるほどの時間はないので写真だけ撮ってゆく。
ネッカーシュタイナハ(
Neckarsteinach)
ミッテルブルク城
だんだん興に乗ってきた。ボクたちはこの特技で世界中のどこにだって簡単に行ける。車で行けるところに限るが…(笑)
ツヴィンゲンベルク
ドイツにはまことおびただしい数の城が残っている。日本と違って石造りなのでたとえ落城してもなかなか破却されないからだ。だが城の維持にはタイヘンな費用がかかるのでホテルに改築されたり,個人の別荘として次々に転売されたりして保存状態の悪い城も多い。
ツヴィンゲンベルク城
古城巡りのクライマックスはドイツでも屈指の城跡ハイデルベルク城である。ドレミのナビはケーブルカー乗り場の駐車場にピタリと案内した。
ハイデルベルク
車を降りてエレベーターで地上に出るといきなりチケット売り場だった。
ゴールデンレトリバーもケーブルカーを待っている。
待ち時間は10分ほど。
来た来た。タイヘンなスピードである。
一つ目,その名もSchloss(城)駅で降りる。
「日本人高いところ好き理論」に従って日本人ツアー客の姿も散見される。
ハイデルベルク城跡
この城は12世紀からライン地方に君臨したプファルツ伯(ライン宮中伯)の居城としてすでに13世紀には首都の象徴として威容を誇っていたようだ。
1688年にフランス王ルイ14世の侵攻によって破壊され,その後プファルツ伯の皇位継承戦争を経て何度か再建されたが首都がマンハイムに移されるとやがて放置され廃墟となっていった。
19世紀に入ってようやく保存の機運が高まり,1900年代にようやく修復が始まった。実際に間近に見るとマルクスブルク城やノイシュバンシュタインを遥かに凌ぐ圧倒的な迫力である。
「そう言えばあたしまだ今回ケーキ食べてない。」
ドレミがそう言いだしたが客観的には事実ではない。レーゲンスブルクでケーキ屋に入っているし,ホテルの朝食ビュッフェでケーキがあれば必ず取って来て食べている。いったいどういう基準で「食べていない」になるのかは不明だが逆らうところではない。城から旧市街に下り,さてどこに行けばケーキ屋があるだろうか。
試しにグーグルマップにカタカナで「ケーキ」と打ちこむと,地図上に次々とバルーンが現れた。日本語で簡単な店の紹介もある。恐ろしい世の中になったものだ。
コーヒーとケーキを待つ僅かな時間もドレミは無駄にしてはいない。
「ここに座っててね。」
と隣のチョコレート屋に買い物に行く。
ふう。
腰はもう休まずには5分と歩けない状態だったが徒歩で旧市街を抜けた。アルテ・ブリュッケ(古橋)と呼ばれる橋を渡りネッカー川の対岸から橋と城をカメラに収めるためである。
ドレミはボクとは逆に賑やかな場所が好きだ。
でも,そろそろ行こうや。日暮れ前にライン川を渡りたい。
ラインの渡し舟
旅の最後の宿はライン川の北岸にあるリューデスハイムという町のホテルを予約した。3年前に渡し舟で渡ったライン川の風情が忘れられなかった。最後にデパートでチョコレートやお菓子をしこたま買い込むためにフランクフルトに宿を取ることを希望していたドレミと意見が割れた。それが一気にリューデスハイムに傾いたのは,この朝偶然ボクが見つけた宿の立地がドレミの心を捉えたからだ。
「つぐみ横丁の近くじゃーん♪」
…し,知ってるのか(;^_^A
つぐみ横丁は土産屋やレストランが軒を連ねるライン川沿いでも有数の観光スポットらしい。フランクフルトからライン川を北へ下った前回の旅程のコース上にあり,
「あのとき行きたかったけど,シュウの苦手な有名観光地過ぎて言い出せなかった。」
ということであった。ボクにとってはいくら観光地でもフランクフルトのデパートよりは100倍マシである。こうして宿はリューデスハイムに決まった。
途中のサービスエリアでドレミが荷物の大整理を敢行した。毎度のことである。今回は大量に買ってしまったフランケンワインの重量を二つのトランクにうまく振り分けられるかに腐心している。
ナビがマインツ経由を指示して来る。マインツからコブレンツまでの約100km,ライン川には橋がかかっていない。ナビがマインツで北岸に渡ろうとするのは至極もっともなことだがボクの目的は橋のないライン川の渡し舟を利用することなので,あえてナビに逆らって西に進路を取った。
リューデスハイムのちょうど対岸にあるフェリー乗り場に首尾よく着いた。乗船の列に車を停めると後ろの車の助手席から女の人が走って来た。
「すみません。船の料金はどこで支払うのですか?」
アメリカ人の旅行者らしい。ボクたちは思わず微笑んでしまった。3年前のボクたちと同じだ。カーフェリーと言えば車検証とか同乗者の運賃とかとにかくタイヘンな手続きが想像される。ボクたちもナビに言われるまま出港直前の舟に乗るときは不安だった。
「舟の上で払えます。係の人が料金を徴収に来ますから。」
ちょっと通ぶってボクらは彼女に教えてあげた。
対岸の斜面が一面の葡萄畑だった。白ワインの味を思った。
ノディ乾いたな(笑)
渡し舟の一部始終をビデオに撮るように言ったので,ドレミは忠実に任務を遂行している。
日が傾き心地よい風が川面を渡る。
ほんの5分ほどのライン川クルーズである。
リューデスハイムの宿は前日にも増して由緒ありげな立派なホテルだった。
広い部屋に大きなベッド。浴室には真新しいバスタブ。いくら当日割引とは言え,円安の今9989円でここまでリッチなところに泊れるとはラッキー。
ホテルの駐車場は狭くていっぱいだったので町の無料駐車場に車を停めた。ホテルに戻ろうとすると一つ手前の路地がつぐみ横丁だった。
おしゃれな店が並んでいるが思ったよりずっと規模の小さな道だった。
雰囲気に惹かれて観光客の往来は多い。
夕暮れてそろそろお楽しみの時間。レストランでは生バンドが演奏を始めて賑やかである。
この店はとくにオシャレな雰囲気だ。ボクたちもお腹がすいてきた。ホテルのレストランがイマイチだったら思い切ってこの店に来ようということになった。
ホテルに戻ってレストランのテラスに出てみるとさっきの店だった。なんと我がホテルはつぐみ横丁に店を出していたのだった。
読めないメニューと片言英語のウエイトレスに悪戦苦闘の末にようやく注文を終えてワインが運ばれてきた。1日の緊張状態から解放される。今度の旅もこんな戦いのような毎日だった。
こんな旅は好きかと改めて問うてみる。
大好きよと妻は答える。でも…もしお金持ちのサラリーマンと結婚していたら,きっと旗の後ろについて名所を巡るツアーの旅も楽しんでいたと思う。そう言って笑う。
もっともだ。この旅はオレのキャラクターだよなと苦笑を返す。ただドレミが相棒として打てば響くような働きをしなければとても遂行困難な旅であることも確かだ。
大きな皿に料理が運ばれてきた。乾杯して二人同時に喉を鳴らす。最後の晩餐である。
またいつか来ようよ。
そう語りかけたがバンドの歌声と人々の歓声のために妻の耳には届かなかった。
千鳥足でレストランから直接つぐみ横丁に散歩に出た。
ライン川沿いの道に出た。ときどき猛スピードの電車が通るが貨物が多くて写真にならない。
なあ,何本待っていい?
「5本!!」
実際には6本目でようやく旅客列車をうまく捉えることができた。
散歩を終えてホテルに帰る。
自室の窓を開けてびっくりした。なんと真下がつぐみ横丁だった。
夕方横丁で撮ったこの瀟洒な建物の塔のようなところがボクたちの部屋だった。これにはびっくり。
窓の下の喧騒は止まない。歌声,踊る拍子,歓声。
つぐみ横丁の長い夜はきっかり12時で静かになった。