03/積丹岬の夕日

Aug, 2007


オホーツク海気団の例年にない勢力が太平洋高気圧の頭を抑えて,旅行中の北海道は梅雨のような天気が続いていました。旅も終わりに近づき,ようやく巡りあった快晴の一日,夕日を撮影するには今日しかありません。富良野でそう思ったボクは,ドレミと運転を交代しながら,ほとんど一気に積丹半島まで走ってきました。積丹岬か少し南の神威岬か,どちらの夕日がいいのか情報はありません。


「せっかくこっちに回ったんだから…」突端に行きたいというドレミの意見を採用して,積丹岬の駐車場に着きました。機材を担いで灯台への散歩コースを駆け上ってみると灯台や展望台からは西の海が見えません。まもなく夕日の時間なので,今さら場所を移すこともできません。ボクは意を決して,熊笹の生い茂る崖を下りました。西側の水平線が開けたところで,三脚を立て,画面に入る笹や小枝を払って準備します。ドレミに言って来るだけの余裕がなかったけれど,たぶん了解して日が暮れるまで灯台のあたりで待っていることでしょう。


視界がオレンジ色に染まり出して遊歩道から聞こえていた人の気配もほとんど消えました。晴れすぎて西側に雲が少ないので,夕焼けのいい写真は撮れそうにありません。いよいよ日が水平線に落ちて行くと空のドラマが始まりました。



刻々と空の色が変わりながら,雲や岬の岩が光り輝きます。まるで浦々の奇岩に宿る神々が一斉に空に出て,きょう一日の出来事を話し合っているかのように神秘的な光景です。この空が縄文時代や遠い星につながっている気がしてきます。

ボクはもうシャッターを切ることを忘れただポカンと空を見上げていました。心が古代人のように純粋に澄んでくるのがわかります。やがて,空にいた神々はそれぞれの浦に帰り,空は急速に光を失って群青色に沈んでいきました。ボクは急いで三脚をたたみ暗くなった崖の熊笹を分けて遊歩道に戻ります。



灯台が見えてきた頃,遊歩道からドレミのわらべうたが聞こえてきました。退屈したタローを連れて同じ道を行ったり来たり散歩していたのでしょう。熊笹から不意に現れたボクにタローが足をばたつかせて飛びつこうとします。まるで1年ぶりに会ったかのようなはしゃぎ方はいつものことです。ボクは思いっきりその首を抱きしめてそれから潮風に冷えたドレミも抱きしめます。岬の突端でじっとそうしていると,空と海と岩とボクたちだけになったような錯覚に落ちました。


かすかな咳払いを聞いて,ボクたちはまるでいたずらを見つかった子どものようにさっと体を離しました。夕日に遅れた初老の観光客が,せめて灯台を見ようと急いで登ってきたのでしょう。左右に分かれたボクたちの間を気まずそうに早足で過ぎていきました。

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