02/湖東の古刹

April, 2022

どこへ行こうかと言ってはみたものの,この日31日の午後はヤフーの天気情報によれば近畿地方一帯全部「強雨」であった。それがなぜか彦根の周辺だけ雨が降っていない。こういう場合の行き先はズバリ

「ここ」

である。動かない。


ふと目に留まった近江ちゃんぽんの専門店でお昼にした。かねがねなぜ近江でちゃんぽんなのか気になっていたが,どうやら深い由来はなく,単に彦根のご当地ちゃんぽんということらしい。



ここから湖東三山が近い。平安初期に開基の三つの古刹の総称である。ボクたちが訪ねたのは22年前のこと,詫びた風情が忘れられない。想い出したが吉日,そのひとつ百済寺に行ってみることにした。



ナビに任せて国道を曲がると,偶然ローカル線の踏切を渡った。桜と鉄橋に興を覚えて車を停めると妻が

「いいわよ」

と言って文庫本を開く。ボクらの旅はいつもこんな感じだ。歩道で1時間に1本の電車を待つ。 



背後には新幹線の鉄橋もあって,こちらは頻繁に超特急が上下する。流れる愛知川は鈴鹿山脈鈴ヶ岳に源を発し,琵琶湖に注ぐ一級河川である。



東京はもちろん名古屋も大阪も桜は満開なのに湖東地方のソメイヨシノはまだ3分咲きほどである。琵琶湖の標高は81メートル。湖を渡る北風は冷たい。



到着して暫し呆然,そう言えば百済寺は山だった。着いてから思い出した。ボクらの他に参拝客はいない。そればかりか社務所にも人影がない。二人の会話が木霊しそうなほどの静けさである。



22年前,今は亡き義祖父母や父を励ましながら登った坂を今日はボクがドレミの介助を受けながら歩く。

ボクの腰の狭窄症の状況は芳しくない。連続して歩けるのはせいぜい10分ほど,しゃがんで海老のように腰を折って休めばまた暫くは進める。



この翌日に大歩行を控えているので自重したいところだったがここまで来て本堂に登らずに帰るわけにもいかない。



寺の麓には淡いピンク色の猩々袴が群生している。振り返ると霧の下に広がる近江盆地が臨める。



遠目にも仁王門辺りが一面黄色に埋まっているのが見えた。



三椏であった。


本堂は黄色の花の海に浮かんでいた。

百済寺の開闢は606(推古14)年。22年前に訪れた際,偶然お会いした住職は,織田信長の軍勢による焼き討ちをつい先日のように話されていた。僧たちが背負って裏山に逃れたために本尊だけは無事に残った。



全山を灰にした織田軍は石材を収奪しようとしたが,ひとつひとつの石のサイズが小さくて城には使えなかったので放置した。



だから百済寺には中世の石垣がそのまま残った。


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