03/夜桜と一期一会~和歌山

April, 2022

湖東は近江遷都の昔から戦国時代の古戦場まで史跡の百貨店である。百済寺を下ってきたボクを標識の地名が手招きしている。

だが,旅程上は今日のうちに一気に南へ距離を稼いでおかなければならない。ドレミがスマホを操作して宿を探し始めた。東京から夜行で走った上に予定外の登山までしてしまった。できれば今夜は宿を取ってゆっくり休みたい。繁華街に近くて駐輪場と駐車場があってリーズナブルな宿…。

ボクらは当日の宿探しには長けている。スマホどころか携帯電話もなかった昔,チェコの田舎町でもアメリカのハイウエイ沿いでも直接ホテルに乗り付け,ドレミがフロントで値段交渉した。ホテル側には当日の空室が埋まっていないという弱みがあるので,ドレミはよく1割引きくらいは勝ち取ったものである。だからスマホを使って和歌山市内中心街にあるホテルに予約を入れることなどわけはない。


激しい雨をついて大阪を突破する。

「首都圏の都市高速は分かりにくい」とよく言われるがそんなことはない。一般道まで含めてすべての道路は千代田区を中心に放射状か環状に通っている。とても単純である。ボクに言わせれば近畿地方の高速こそ凶悪だ。碁盤の目状に交錯している。環状線と言いながらジグザグに直角カーブを繰り返す。



土砂降りの中,ホテルに着く。ボクらの行動は速い。ドレミが準備しておいたお泊り用のかばんを持ってフロントに走る。ボクがルーフから下ろした自転車をドレミにパスするとそれを引いて駐輪場に走っていく。二台目を取りに来たときには駐車場の案内地図をもらってきている。



ホテルに付属の立体駐車場までは50mの距離で値段は一晩1200円。100m離れたタイムズが880円,150m先なら600円。いちばん遠くのスペースがひとつ空いたのが見えたので迷わずそこに停め,傘を差してホテルに戻る。 



その間に自転車を施錠して駐輪場に置き,チェックインを終えたドレミがロビーで待っていた。

「駐車場,どこにした?」
「いちばん遠いとこ」
「あははは。やっぱり」 



部屋は7F。カーテンを開けると正面にライトアップされた和歌山城が聳えている。

「え?」

朝食付き二人で7000円の格安ホテルである。目抜き通りのこんな一等地にあっていいのだろうか。とりあえずラッキーと言うことにしておこう。



雨なので夕食はホテルの裏の串カツ屋さんに行くことにした。コロナ以来,丸2年間居酒屋というものに行ってない。ボクらは講習期間だったので感染の可能性はほとんどない。つまり感染させるリスクがない。和歌山の感染状況も落ち着いている。今夜は解禁を決めた。


電話しておいたのでカウンターの明るい席に通された。串揚げの店はまだ二度目のことで慣れていない。メニューを見るととても安い。これはたぶんひと串のサイズが小さいのだろうとにらんだボクは,適当に「ささみ2本,イカ2本,アスパラ2本,椎茸2本…」とお経のように注文を続けていた。すると…

「あっ」

注文を取りに来ていた学生アルバイトの男の子が小さな声で遮った。

「えっ?」

と,ボクは彼の顔を見上げた。

「あ,あの…。多すぎると思います。ふつうお二人なら…」

…7,8本くらいがいいと言って,これまでのリストからボクに選び直させた。和歌山市の好印象は彼のために決定的となった。


キャンセルした串の代わりにいちばん高かった(それでも250円くらいだが)マグロかつを注文してから,

「地元の日本酒はありますか。」

ドレミが聞いた。

「それなら…」

と,また小さな声で彼が答えた。



「キッドとくろしっす。」

「じゃあ,それを」

声は小さく滑舌も悪いが,コップに注がれた「キッド」と「くろし」はとてもいい香りだった。



カウンターの一升瓶を探すと,本名は「紀土」と「黒牛」だと判明した。

店内には仕事帰りの会社員も1,2組いるが圧倒的に家族連れが多く,小学生率も高い。東京なら下町のもんじゃ焼き店の雰囲気である。騒がしいが心地よい。



会計を頼むと店主がわざわざ厨房から出てきたので

「どれもおいしかったです。ごちそうさま。」

とていねいに挨拶した。

「どちらから?」

との問いには、警戒されるかとも思ったが正直に「東京からパンダの赤ちゃんに会いに来た。」と答えた。



ボクたちの何を気に入ってくれたのだろう。店主は店内がまだ忙しいのに、おそらく二度とは来店しない旅行者を外まで送りに出てきた。

「朝に白浜に向かうなら海南インターに向かった方が早いですわ。楓浜によろしゅう。」


旅が一期一会を味わうものなら,今回の旅は最初の晩に和歌山で満ち足りた。通りに出ると雨が上がっていた。和歌山城跡が桜で白く光っていた。


「城まで歩くか。」


追廻門は徳川頼宣公が入国した1619年の建造。


カップルや若者たちが三々五々と夜桜の下を散歩する。ボクは黒牛の心地よい酔いに浮かれた。


何度も何度もしゃがんでは腰を折りながら,ドレミの肩もときどき借りて,とうとう頂上の本丸跡まで登ってしまった。


さらに腰を庇いながらの下り坂は膝と足首にきた。調子に乗りすぎた。



この日,百済寺と和歌山城跡での歩行は,おそらくここ2年間のボクの総歩数をはるかに超える。もう一歩も歩けない。立つこともままならない。

そして明日には動物園での大歩行が待っている。

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