07/芸予汽船としまなみ旅館

April, 2022

膝と肘に擦過傷がある。同じ場所に打ち身の痛みがあるが他に大きな怪我はないように思える。二三度,膝を曲げ伸ばししてからそっと体を起こしてみた。大丈夫。どうやらうまく転がったらしい。自転車は…。

左側のフロントフォークとシートステイが傷ついていたが,ディレイラーやスプロケットなどのメカ部は全く無傷だった。足を置こうとした縁石がなぜか高さ30cmくらいの大きなコンクリートだった。メカ部は車体と縁石と地面の作る三角形にはまって無事だったようだ。しかも高すぎるために体が歩道側に投げ出されて,車体に力もかからなかった。飛ばされた体は縁石にも車体にも挟まれることなくころころと歩道を転がって大怪我にならなかった。

幸運だった。


自転車をひいて坂を登るとドレミがきょとんとしている。

「どうしたの?」

…とうとう事故に気づかなかったのか。

下り坂で自転車に乗ってみた。膝の打ち身は痛むが自転車が漕げないほどではない。因島を縦断する道路の峠付近にコンビニがあったので大きな絆創膏を買ってきてもらった。治療は今夜でよさそうだ。


単独行やクラブらしき団体,そして家族連れなどたくさんのサイクリストを見かけた。みな恐ろしいほどマナーがよく道交法も遵守する。地方に比べれば東京のドライバーは自転車に慣れてきている。だが一部を除けば,サイクリストの方のマナーはひどい。それに比べてしまなみ海道は全く別世界である。ここだけがオランダやドイツで見たバイク文化圏にあると言える。


自然にボクたちもその中に混じることができた。ボクから後方のドレミへのサインも見よう見まねで上手になった。そうこうするうちに,昨夜下見しておいた土生港の埠頭についた。 



自転車積載の申し込みをして注意事項を聞く。要点は以下である。

1.すべての備品は取り除き自転車だけにすること。

2.海水がかかったり,揺れでぶつかって傷がついたりする場合のある旨を了承すること。



「いまはる」である。夕べ寿湯の女湯の常連客が,ドレミの話を聞いて,

「まあ,いまはるまでお渡りになりますのぉ?」

…と言ったので行き先は「いまはる」である。



マイ自転車と一緒に海路「いまはる」に渡り,帰りは自転車に乗って因島に戻る計画である。 



後方に船が姿を現した。 正確には芸予汽船の高速艇という。切符を買うとき,フェリーと言ったら係の人に訂正された。はしけとは一線を画すプライドがあるらしい。



自転車は係の人が積んでくれる。



汽笛,船内放送,ディーゼルのエンジン音。

心浮きたつ出航だ。


海面が鏡のように平らである。船はその上を滑るように進む。ほとんど揺れない。この日,東京には台風のような嵐が襲い土砂降りの天気だったそうだ。よほどボクたちの日ごろの行いがいいと見える。


犬が乗れるのかどうか確かめなかった。かつては犬を乗せてくれるというだけで,わざわざフェリーに乗りに行ったものだ。

タローのように飛行機に乗った犬は日本ではまだまだ少ないだろうが,アメリカではゴールデンレトリバーもふつうに空港のロビーを歩き,列車に乗り,バスを待っていた。日本もやがてそうなるだろう。だが,ボクたちにはもう関係がない。



1時間半ほど,瀬戸内の輝くような青い海と桜満開の島々を眺めながらの快適な船旅を楽しんだ。


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四国本土の滞在時間はわずか55分。

何しろ因島を縦断して予定より3時間ほども遅い船に乗ったので,ドレミが時間を心配する。宿は二つ目の伯方島の北端に取ってある。遅くなって迷惑をかけたくない。

慌ただしく記念撮影するボクたちの後方にしまなみ海道で最大の橋,来島海峡大橋が見える。



橋のたもとに今治市営の糸山サイクリングターミナルがあった。



サイクリストのための施設だが,如何せん時間のないボクたちはほぼ素通り。よしんば時間があったとしても,ドレミがショッピングするというわけにはいかない。荷物はリュックに背負える分しか持てないからである。



ボクらが最初に挑む来島海峡大橋の橋げたは海面から65m。しまなみ海道で最も巨大で標高が高い。自転車では橋までぐるぐるとループ橋でアプローチする。



ループ橋の入り口。上を通っているのが一週目のループ。



初体験のボクたちはこの高さに面食らった。車ならば今治で糸山の坂を登ってしまえば,あとは尾道までアップダウンを感じないほどほぼ平らな道が続く。

ところが自転車は橋まで50mを超える落差を登り,渡ると海面レベルまで下る。そして島の峠を登り下りしてまた次の橋を登る。実際の距離よりずっとスポーティなサイクリングロードである。



料金所に「自転車無料!」とあった。実は無料は20年の春までだったのが,今年の3月31日まで2年間延長されていた。3日違いで有料化するはずだったのが,どうやらまたさらに2年間延長になったようだ。



ラッキー~♪



ボクと同型のジャイアントに乗っている人がやたらに多いと思ったらレンタサイクルらしい。

オーストラリアから来たと言う外国人観光客の団体とすれ違った。彼らはきっと日本とはなんて美しい国だろうと感動しているに違いない。彼らは幸運である。日本人でも今日ほど美しい瀬戸内の風景を見ることは稀である。


大島に下りてすぐに道の駅があった。昼には遅い時間だったが匂いにやられた。名物鯛塩ラーメンとわかめジャコ天,それに塩レモンソフト,これらを半分ずつならば夕飯に影響はないだろう。何しろ夕食は「魚三昧コース」である。ごっくん。


急坂が宮窪峠へと向かう。



標高79m。ここがしまなみ海道の最高標高地点である。


風を切って坂道を下り,島の北東側の海岸に出た。

能島が臨まれる。村上能島水軍の本拠だった島である。今は城跡が桜のぼうしを被ったように美しい。能島に渡るツアーもあるが今回はあきらめた。大島にはミュージアムもある。こちらは時間に余裕があったとしても行かなかったろう。ボクは城跡や古戦場を訪ねて当時を偲ぶのを趣味としているが,出土品をガラスケースに入れて展示している施設にはどうも足が向かない。


伯方大島大橋。



橋の上にたどり着いたのはもう午後3時半だった。



橋から伯方島に下ってまたまた道の駅。ドレミが伯方の塩ソフトの行列に並んでいる。

「さっき塩レモンソフト食べたじゃん。」
「だって伯方の塩よ。食べないと。」

女はブランド名に弱い。



あった。たどり着いた。今夜の宿,その名もしまなみ旅館である。



なるほどこれはボロい。安いわけであるが,掃除はきれいに行き届いていて,旅館としての設備もきちんと揃っている。きっと創業の頃は島一番の高級旅館だったのだろう。



缶ビールを一気飲みした。

因島11.8km
今治7.2km
来栖海峡大橋(ループ含む)5.1km
大島13.2km
大島伯方大橋(ループ含む)3km
伯方島(ここまで)2.5km
ーーーーーーーー
合計42.8km


二つの橋の高低差や宮窪峠などのアップダウンは距離に入っていない。缶ビール500mlは妥当である。


泊り客はボクたちを含めて三組。風呂は二つあるので,札を下げて貸し切りとなっていた。ざっと体を洗ってから,擦りむいた膝に手を当ててそろそろと湯に入れた。

「痛ーっっ!!」

足首に激痛が走り湯から飛び出した。やれやれと言った表情でドレミが洗髪の手を止めた。

「どれ,見せてごらん。あら?」


足首に膝より深そうな擦過傷があった。朝から気づかなかったのだから大した傷ではない。それでも傷を知ってしまうと急にじんじんと痛み出すから不思議である。両手で膝と足首を押さえて湯に入り,腰を下ろしてから足を浴槽の縁にかけた。

「ゴクラクゴクラク」

「あ,ごめん」
「ひえー!!」

ドレミが湯に入るときにわざと膝の怪我を触った。「大げさな」…と顔に書いてある。

部屋に戻って大きな絆創膏を二枚,膝と足首に貼ってもらった。昔と違って今はかさぶたを作らずに傷を治す。血小板もさぞかし役不足を嘆いているだろう。もっともボクが怪我したのは,小学生だったリリに教わりながらブレイブボードで転んだとき以来だから8年ぶりのことである。ふつうの年寄りはブレイブボードやクロスバイクで転んだりしない。


窓から海が見える。

湯上りの散歩に出たが,このわずか数十メートルがもう歩けない。足はタコのようにぐにゃぐにゃして腰はぱんぱんに腫れている。ドレミの肩を借りてひょこりひょこりと歩く。


驚いたことに宿の前の海はこんな景色だった。鼻栗瀬戸…瀬戸の対義語は灘で開けている灘に対して,対岸の迫っている海を瀬戸と言う。鼻栗は牛の鼻輪のこと,大三島と伯方島を隔てるS字型の狭い水路の地形を表している。そしてその海峡には大きな干潟が広がっていた。かつては見渡す限りの塩田だったのだろう。伯方の塩のこれが原風景である。温暖少雨の気候と豊富な干潟が瀬戸内に製塩をもたらした。今は伯方島に製塩所は残っていない。


宿に帰ると小さな事件が待っていた。夕食の部屋は客室ごとに個室となっている。案内してくれた女将さん(兼仲居さん)が部屋の名前とボクらの顔を見比べ,ぎょっとして立ちすくんだ。そこにちょうど宿主(兼料理長)が通りがかり,二人は無声音で激しい言い争いになる。

無声音と言ってもボクらを挟んでの論争なので全く秘密の会話になっていない。

「今さらどうしようもないだろ。このままご案内しろ。」


ご主人の出した結論もボクらには筒抜けである。笑いをこらえながら「このまま」の部屋に案内されると「お魚三昧プラン」はご覧のタイヘンなごちそうだった。そして意を決したように女将さんが次の間に両手をついて頭を下げた。

謝罪の要旨は以下である。すなわち

「ボクたちの予約は確かに前日の午前中に「じゃらん」を通して入った。ところが何の手違いか代表者のボクの年令が,間違えて61才になっていた。そこで三昧コースはヴォリュームを抑えて魚の質にシフトする「シニア向け三昧コース」を準備した。よかれと思ってのことなのでどうか赦してほしい。」

ボクの年令をよほど若いと勘違いしている。女将さんの謝罪は2点に於いて全く無実の罪である。まず,じゃらんのユーザー登録に正直な生年月日を記入したのは他ならぬボク自身であり手違いではないこと,そしてこのシニア向けなる三昧コースは正真正銘のワカモノであってもおそらく食べきれないヴォリュームだという点である。いささかノーマルの三昧コースを想像するのが怖い。

ボクらの説明を聞いて,おかみさんはぽかん口を開けている。

「…40代にしか見えない。」

もしかしたらこれは,客を喜ばせる手の込んだ新手のサービスなのではないだろうか。料理長との論争からの一連がパフォーマンスかと思えるほどの驚きようである。

数日前に白浜温泉でシニア料金が適用されたことを話すとようやく納得したらしく,喜色を浮かべながらいそいで宿主兼料理長に報告に行った。さてボクたちは結局「シニア向け」の1/4も食べられず,お刺身すら残して箸を置いた。あんまり悪いのでお銚子を三本頼んだが,その肴は魚ではなく,刺身のつまの大葉やパセリ,酢の物や煮物の中から摘まみ出した僅かな野菜部分であった。

さて,ボクは女将さんの好意的な評価に応えなければならない。夕食後から翌日の出立まで,萎えた足腰に鞭打ち,ドレミの肩を借りずに背筋をピンと伸ばして廊下や階段を闊歩した。その姿にドレミがとうとう噴き出したことは言うまでもない。

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