青山鷹狩り,高野長英,善光寺

赤坂から246を青山まで歩き表参道を原宿駅まで行く約1時間半+ランチコース
2003

1603(慶長8)年,徳川家康は江戸に入府するとすぐに町を知行割しました.小田原攻めなどに戦功のあった青山忠成は,赤坂まで鷹狩りに随行したとき,家康から「馬に乗って回った範囲を邸地として与える」と言われ,「すなはち馬をはせて巡視し,木に紙を結びて境界の標と…」したそうです.同じ逸話が新宿の内藤家にも伝わっていますが,馬が斃れるまで走り,広大な土地を賜ることになりました.青山という地名はもちろんそのときについたものです.
仕事で赤坂まで出掛けたドレミとボクは今にも降り出しそうな梅雨空の下,ランチがてら原宿まで散歩することにしました.

◆高橋是清記念公園◆

いつも物々しい警備の赤坂御所の向かいに,丹波篠山藩主青山家の屋敷跡が残っています.明治になってこの屋敷跡を買い取ったのは達磨宰相として親しまれた高橋是清元首相です.晩年に蔵相として政界に復帰した彼は,強い指導力でインフレ政策を推し進め,世界恐慌から日本経済を救います.デフレが解消したと見るや,今度はすばやく財政を引き締め軍事費を抑制したため,軍部の反感を買ってしまいます.彼が殺害された1936(昭和11)年2月26日雪の舞う朝,この屋敷は100人の武装したテロリストに囲まれたそうです.

 

高橋是清記念公園


青山通り(246)を渋谷方面に歩くと,街並みは美しく洗練されてきます.表参道の交差点まで来ると,おしゃれなカフェやブティックが軒を連ね,まるでマンハッタンの街角に迷い込んだような気分になります.
1850(嘉永3)年,当時青山百人町と呼ばれていたこの付近の同心屋敷に,南奉行所の捕り方が踏込み,潜伏していた脱獄囚が捕らえられました.蘭学者高野長英です.彼は抵抗したあと脇差で自害したと言われていますが,吉村昭「長英逃亡」では捕り方に撲殺されています.日本中で逃亡生活を送ったあと,著作のためにわざわざ危険な江戸に潜入した彼が自害するというのは不自然なので,ボクは小説の方が真実なのではないかと思っています.この捕り物で,生まれたばかりの0才の赤ちゃんを含む彼の妻と子4人が投獄されました.開国を夢見た長英の最期からわずか150年,この町の看板には日本語を見つけるのが困難なほど横文字があふれ,舗道には異人さんが日本人と肩を組んで談笑していました.

◆善光寺◆

表参道の交差点のすぐ裏に池波正太郎「剣客商売」によく登場する善光寺があります.家康が信州善光寺大本願上人の別院として谷中に建立したもので,火災のために1705(宝永2)年に青山に移転しました.境内には勝海舟の撰文による高野長英の碑が建っています.

表参道に戻りオープンカフェでランチです.ウエイターが持ってきてテーブルの脇に置いた黒板のメニューから,ドレミがフィッシュランチを選びました.

「なーんだ.こんなところで焼き魚定食かい」

と,ボクはよくわからないけれど「BLCTサンド」というのを注文しました.ドレミがくすくす笑います.どうやらドレミは知っているらしいのですが,みなさんは「BLCT」って何かご存知ですか.運ばれてきたのはなんとパンに野菜をはさんだだけのサンドイッチ.「BLCT」はベーコン・レタス・チーズ・トマトの頭文字だったのです.

「これじゃあ,朝ごはんとおんなじじゃん.ドレミはヘンなもの頼むんだなぁ.」
「えー!?」

と,ドレミから魚のソテーを横取りしたボクでした.このカフェ,会計は西欧式にテーブルでします.

 

表参道のオープンカフェ


◆原宿駅◆

蒸し暑い梅雨の昼間,原宿駅に着いたときはへとへとです.混雑するホームの向かいにほとんど使われていないホームがあります.皇室専用ホームです.手入れはされていて,この日も紫陽花がきれいに咲いていました.

 

原宿駅


 

皇室専用ホームの紫陽花
車内より撮影


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