01/二股口古戦場

Aug, 2009

若い男の子たちが,アニメの美少女やフィギュアなどに夢中になっているのを笑えません。ボクも十代の頃,物語のヒロインに恋焦がれて,現実の女の子に全く興味を持てないで過ごしました。そのヒロインは「燃えよ剣」に登場するおゆきです。


函館本線八雲駅にて


おゆきは実在の人物ではありません。主人公の生き様に花を添えるため,司馬さんが創作したキャラクターです。ボクは当時,司馬さんの写真を睨みつけながら,

「雪はこのおじさんが創った架空の人物なんだぞ。」

と,自分に言い聞かせたりしたものです。

そのおゆきが心を奪われた主人公…にっくきボクの恋敵が新選組副長土方歳三です。


乙部町の岸壁


日本海側の江差から函館に向かう国道227号線大野街道が最後に越える峠が二股川です。この場所で,歳三の率いる函館守備隊が,僅かな兵力で官軍の侵入を阻止しました。


国道から50メートルほど北に上ると,旧道に出ます。
ここまで車が入れます。



現在も送電線があるため,旧道を辿って容易に北側の小山に登ることができます。歳三が砲台を設置したことから,台場山と呼ばれています。

←車止めを越えて奥にいきます。



←台場山登山口です。かろうじて標識が残っています。

ボクがこの場所を訪ねるのは三度目になりますが,タローの散歩にも手頃なので,今回はドレミも一緒に登ることにしました。


ボクの家の先祖は藤堂藩の弓槍指南役でした。藤堂藩と言えば関ケ原以来,彦根井伊藩とともに徳川軍の先鋒を務めました。おそらく江戸詰めだったボクのご先祖さまも,古式蒼然たる甲冑に身を固め鳥羽伏見の戦いに参陣したものと思われます。ところが300年の太平を経て武門の井伊も藤堂もすっかり幕府の官僚化していました。徳川軍の先鋒は戦場に轟いた最初の砲音に驚いて一人残らず逃げ散ったと言われています。


いささかしまらない話ですが,わがご先祖さまも殿様と一緒に一目散,津まで逃げ帰ったのかもしれません。もっともこのとき藤堂軍が先鋒に踏みとどまっていたらボクはこの世にいなかったはずです。


そんな幕軍の中にあって,武門の名誉を何とか守ったのは新選組と会津藩でした。逆に官軍から見れば憎んでも憎みきれない敵です。


二股川古戦場です。ここの小さな峠をボクたちが登ってきた東側に下れば,五稜郭まで遮るものはありません。数に勝りながらどうしてもこの峠を抜けない官軍は,鈴を使った偽装作戦や様々な陽動作戦を試みますが,鬼神と呼ばれた歳三の指揮する守備隊にことごとくはね返されます。



土方軍の塹壕あとです。歳三は激戦をひかえた前夜でも手ずから兵士たちに酒をふるまい士気を高めたと伝えられています。


直属の兵たちはもちろん函館の市民をも歳三は大事にしました。臨時政府の陸軍奉行という地位を使って,いくつかの善政を行っています。京都での失敗を繰り返さず,市民の支持…世論を意識していたのです。


西側(薩,長,備後福山藩などの官軍が攻めた側)から見た二股口です。 官軍は突破は不可能と東京に援軍を求めていました。


二股川を下山したボクたちは五稜郭を通り過ぎて,函館市街地に向かいます。フェリーは深夜の便ですが,お土産屋さんや銭湯に行って北海道最後の夜をゆっくり函館で満喫しようというわけです。

歳三に決定的に欠如していたのは戦いの目的です。京都新選組時代ですらすでに大義たる幕藩体制の秩序は滅び,時流は開国・尊皇による新しい社会を求めていました。歳三が社会の展望について考えた形跡はありません。おおよそで言えば戦いそのものが人生の目的だったということです。新選組のために維新は2年遅れたと言われます。戦うことそのものを目的とするこの男に天が稀有の才を与えたことが不幸と言えるかも知れません。もしこの迷惑な鬼神が長州に生まれ,高杉晋作や村田蔵六の指揮下にあれば維新はあっさり3年早かったことでしょう。

無敵だった土方軍が二股川から撤退したのは,大鳥圭介の守っていた海岸線の木古内口が破られたからでした。二股口にとどまれば土方軍は背後をつかれて全滅してしまったでしょう。

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