飛行機が着陸体制に入ると母が言った.
「なーんだ,釧路に着くのかあ.千歳に降りたらいいのにねえ.」
ボクは思わずその口を手でふさいだ.実は羽田を発つとき,釧路が大雪なので,着陸不可能なときは千歳空港に向かうと機内放送があったのだ.
予定通り着陸できそうで,みんながホッと胸をなで下ろしているときに,一人ハプニングを期待する発言はひんしゅくものだ.母のたくらみは分かっている.陸路で札幌を経由し,あわよくば,折りから開催中の雪祭りを見物できると思っていたのだろう.
「オフクロ!タンチョウ撮りに来たんだろ!」
「エヘヘヘ」
ボクの気がかりは10分の遅れの方である.空港に着くと,すぐに予約しておいたレンタカーのカウンターに急ぐ.受付の女の子(何度も電話でやり取りしたため,お互い初対面の気がしない)が,4WDカローラのエンジンをかけ,貸渡書もサインすればいいだけにして待っていてくれた.
「オフクロ!行くぞ!」
ボクは,何か面白いものはないかと歩き回っている母を助手席に押し込み,車を出した.
午前11時過ぎ.時を同じくしてJR釧路駅をC11-207号機が出発している.通称SL湿原号.一日一往復だけ雪の湿原をゆくカメラマンに人気の特別列車だ.東側に回りこんで,JRと並行する摩周国道391号線を北上する.C11を追い越し,終点標茶駅の手前にある踏み切りで待ち伏せするのがボクの計画だ.すでにピンポイントで車載ナビの目的地に設定してあるその踏み切りまでの経路は,出発前にグーグルマップで何度もシミュレーションしてある.
飛行機の僅かな遅れに加え,前夜からの吹雪で積もった雪が行く手を阻む.ボクは路面の状態を注視しながらアクセルを踏み込んだ.
ピピピピピピピピ!
「うるさい!分かったよー!」
助手席では母がカローラと言い争っている.最近のレンタカーは,たとえ助手席であっても走行中にシートベルトを外すと警告音を発する.母が車窓の景色を撮影するためにベルトを外すたび,カローラが怒る.母も負けずに言い返す.
「まあ,大目に見てやってくれよ.」
思わずボクもカローラに話しかけた.母といると,車でも花でも人格を持ち始める.
予定よりひとつ先の塘路駅でC11をパスした.線路脇のあちこちに,SLを待つカメラマンが見え始める.12時5分,ポイントに到着し三脚を立てた.