03/SL湿原号

Feb, 2009

釧路の空は再び吹雪模様になってきた.つい2時間前には快晴の東京にいたと思うと不思議な気分だ.ボクは鳥の撮影にもSLの写真にも興味がない.けれど,旅の空に母と並んでシャッターチャンスを待つこんな時間は好きだ.

踏み切りに並ぶカメラマンは,いつの間にか20人ほどに増えてきた.雪のために15分ほど遅れた湿原号の煙を最初に見つけたのは多分ボクだったと思う.

 

「来た!」


緊迫感が走り,一斉にカメラの電源が立ち上げられる.母はキスデジにEF-S18-55で身軽に,ボクは三脚に載せた70-200で遠目を狙う作戦を打ち合わせてある.設定を今一度確かめる間もなく,ひょう!ひょう!と胸のすくような汽笛が鳴り響く.水蒸気とばい煙のツートンカラーに煙る鉄路の先に,2灯のヘッドライトが浮かび上がった.

蟹の愛称で親しまれているC11-207がみるみる輪郭を現したかと思うと,カメラの連写音を轟音でかき消しながら通過して行った.

「カッコ良かったねー.」

母がいそいそ駆け寄ってくる.難しい顔をしたまま黙々と機材を片付けて,それぞれの車や待たせてあるタクシーに散ってゆく集団の中で,確かにボクと母は異質だった.

グーグルマップ上で立てた計画では,ここでいったん釧路市内に戻り,ご当地カレーショップでお昼を食べる予定だった.しかし,この路面状態では,標茶から戻ってくるC11の通過に間に合うよう市内まで往復するのは危険だ.

「カレーはあしたにして,この辺でラーメンでも食べようよ.」
「そうすっか.」

塘路湖まで走ったところでスピードを緩めた.見れば小ぎれいなラーメン屋が橋のたもとに立っている.何気ないこのカレーからラーメンへのシフトが,夜になってどれほど重大な意味を持つか,このときの二人は知る由もなかった.

 

塩と味噌のラーメンを頼んでカウンターから窓の外を見ると,目の前が鉄橋だった.塘路湖から流れ出す小川を線路が渡っている.ボクはコンデジを手に外に出てみた.天気が急速に回復に向かっている.雲間から差してきた日に一面の新雪が輝いて眩しい.店の除雪車も久しぶりに活躍したと見える.


今年の釧路は雪が極端に少なく,湿原もまだらに地面が見える状態で,雪原の鶴を狙ってはるばる訪れたカメラマンたちを嘆かせていたそうだ.それが前日から今朝にかけてすっかり雪化粧し,ボクと母を待ってくれていたかのようだ.

 

母と半分ずつ味わったラーメンは塩がやたらと旨い.聞けば,生姜のしぼり汁をたっぷりと使っているという.それが魚介のスープの臭みを消しているのだろう.


お店の人と話が弾んでいるところに,重装備の機材を抱えた4人の男が店に入ってきた.食事中のボクと母が席を横に譲っても会釈すらしない.代わりに店のおばさんがぺこぺことボクらに感謝した.

一人はベテランの先生らしく,メンバーの撮ってきたSLの写真を液晶モニタで確認しながら大声でコメントしている.母が会計している後ろからボクはわざと彼らに聞こえるようにのんびりした声で店の人に聞いた.

「サルボ展望台からは機関車が見えますかね.」

4人の男が一斉に視線を向ける.こいつらもSLを撮りに来たのか…口の端を歪めながら,妙な親子連れをまじまじと見つめると,また揃って無言のままそっぽを向いた.

なーに,あんまり彼らが傍若無人なので,ちょっとからかっただけだ.サルボ展望台に登る気なんかさらさらない.次のポイントも一週間前からネット検索して決めてあるのだ.標茶駅には回転台がないので,帰路のC11は後ろ向きに走ってくる.線路脇で待っていても絵にならないはずだ.

 

ラーメン店を出たボクは北にひとつ峠を越えて,冷泉橋の駐車場に車を入れた.あえて東側から湿原号を遠望する.逆さを向いた機関車は逆光のシルエットに沈め,湿原に上る煙をフレーミングする.東京にいるときからイメージはできていた.

 

母のキスデジには70-200を装着して,駐車場から全景を狙わせる.ボクは300mmと三脚を担いで道路脇の斜面をよじ登った.今頃,ラーメンを食べ終わった大先生たち一行は,塘路の踏み切りで,後ろ向きに走ってくるC11を待っていることだろう.ボクはほくそえみながらイメージ通りの逆光に光るシラルトロ湖に目を細めた.

 

あとは湿原号がファインダーに入ってくるのを待つばかりだ.ボクは退屈して,冷泉橋に立っている母にカメラを向けた.何やらさかんにシャッターを切っている.母も退屈しのぎに湖面の白鳥でも撮っているのだろうか.


次の瞬間,ボクはファインダーの中に悪夢を見た.母と並んで望遠レンズを構えていたカメラマンがあわただしく機材を片付けて車に飛び乗り,塘路方面を目指して急発進してゆく.母がこちらを向いて手を振る.

「どうだったー?!うまく撮れたー?!」

夢なら覚めてくれ.ボクは一週間前から思い描いていたシャッターチャンスに気づかず,それを撮る母を撮っていた.


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