05/夕鶴

Feb, 2009

雲が切れて,夕日が雪とタンチョウを淡いオレンジに染めた.なだらかな丘の上に移動したツルたちが,これまでとは違う趣で鳴き交わし始める.

「あれは飛び立つ合図よ,きっと.」

果たして母の予想通り,数羽のツルが助走して羽ばたき,美しい編隊を作って旋回したかと思うと,夕空に消えて行った.また,新たな一団が丘の上に集まり,同じ向きに並んで鳴き交わす.

 

「集合ー!って感じかな.」

飛び立つときは,決まって4羽から8羽ほどのグループを作る.ボクと母は飽きずにその繰り返しを眺めていた.


 

ふと気づくと,望遠レンズを並べていたカメラマンたちが一人もいなくなっていた.


朝夕二度,タンチョウたちはねぐらと餌場を移動する.大空を飛ぶ姿を捉えるためにカメラマンたちは思い思いの場所に散ったのだ.ある人は湿原を飛ぶ姿を狙い,ある人は雄阿寒岳を背景に高く舞い上がるときを根気よく待つ.ねぐら近くの川筋で,低く飛んで来るツルを手持ちの広角で流し撮るのも人気だ.中でも,池中玄太80kgというドラマの舞台になったというポイントには「玄太待ち伏せの木」と名前まで付けられている.

 

「おふくろ!オレたちも行くぞ.」

「よーし!」


楽しくて仕方ない.初日なので,待ち伏せの定番「K牧場」に向かっていると,

「あ,あそこ!」

道路脇に数台の車がへばりついているのを母が見つけた.車のあるところポイントあり.ボクがカローラを路肩に乗り上げると,母が飛び出してゆく.

 

「何撮ってるんですかー?」

聞くまでもない.K牧場を囲む森の後ろに夕焼けが広がっていた.さっそくボクたちも列に混じった.例の集合鳴きが遠くで聞こえる.

「上がった!」


と,誰かが叫ぶ.どちらからどちらへ飛ぶかわからない.夕焼け空を遠く飛んだり,反対側の森の中を低く過ぎたり,時には頭上をかすめるように横切ったりする.たまらない緊張感だ.母も重い望遠レンズに振り回されながら,ふらふらよたよたと空を仰いで健闘していたが,急に冷え込んできたせいか,とうとう立っていられなくなって車の中に避難した.

 

やがて日も沈み,飛ぶツルの数もめっきり減った.

「お兄さん,どっから?」

「今朝,東京から入りました.」


居合わせた5,6人のカメラマンたちと雑談する時間も増えてきて,いろいろと情報ももらえる.この日,札幌雪祭りのついでに流れて来る観光客や,満月を狙って月夜のツルを撮りにくるカメラマンが入ったため,湿原はこの冬一番の混雑だと言う.

「ねぐらは決まってるの?」

明らかに素人丸出しの親子が日没まで湿原をうろちょろしていれば宿の心配をしてくれるのも道理だ.が,ご心配なく.インターネットで調べに調べ,このすぐ近くのツル撮りカメラマン御用達みたいなペンションを予約してあるのだ.ボクはえっへん気味に答えた.

「ペンションTです.」

カメラマンたちの顔色に隠せない動揺が走った.

え?何ですか?そのリアクションは.

「何でよりによって…」
「今日あたり飛び込みじゃ仕方ないだろう.」

は?みなさまのおっしゃってる意味がわからないのですが….

「ボク,1ヶ月前に予約したんですけど.」
「今からGハウスに電話してやったら?」
「今夜はいっぱいだって言ってたよ.」

あれ?聞いてない.

「あしたも?」

合議の結果,今夜はもう致し方ないという結論になったらしい.

「いえ,あしたは市内のホテルです.」

一同に安堵の空気が漂う.

「今夜は寒いぞー」

へっ?さ,寒い?

「講釈聞かされるぞー」

えええ?講釈?

一人がペンションTまで,先導して連れて行ってくれると言うので後について車を出した.

ご心配くださってありがとう.でも大丈夫.ボク,インターネットでずいぶん検索したんです.サイトは撮影情報のページも充実してたし,BBSには常連さんの書き込みもいっぱいでした.それに,いつ電話しても,かわいらしい声の娘さんが応対に出たし,値段だって回りと遜色ないペンションなんですよ.

先導してくれたカメラマンの車が,ペンションの前で合図しながら止まった.

「ご親切にありがとう.」

ほらね,正面にオシャレな納屋が見えますよ.

ボクはカローラを納屋の奥に進めてエンジンを切った.奥には何もなかった.探すまでもない.一面の雪原を満月が明るく照らしている.納屋が妙に明るい.もはや疑う余地はなかった.倉庫だと思った建物がペンションTである.


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