Apr.2nd, 2019
6.コッツウォルズ
北へ向かうことだけは決まっている。
「ねえ,ここ行かない?」
「行こう。」
「まだ何にも言ってないんだけど。」
「オシャレな街並み,カフェもありそう。」
コッツウォルズという丘陵地帯に点在する町々が美しいらしい。遺跡や城に心置きなく行くためにはドレミの好きな街歩きには気持ちよくつき合うことが望ましい。あとで効いてくる布石である。しかも雑踏が苦手なボクにとってコッツウォルズ地方の街並みはさほどメジャーではないことがうれしい。まだ中国人団体観光客の侵略も受けてはいまい。
団体のバスは見当たらなかったが,コッツウォルズの中心都市サイレンセスターは「フツー」に地元の車で混雑していた。市営の駐車場はどこも満車だった。むやみに並んだりせず,町を回りながら注意深く他の車の行方を観察するうちに大きなスーパーの駐車場が有料駐車場として開放されているのを見つけた。
ドレミは早くもこの国の駐車システムに順応し始めている。機械で料金を支払うと発給されるチケットをフロントに置く。
「2時間分払って来た。」
少々余裕を取ってある。
サイレンセスターは美しい街だった。
カフェを探すのに昨夏ドイツを旅行中にハイデルベルクで編み出した技がある。すなわちスマホのグーグルマップに日本語で「チョコレート」とか「ケーキ」とか入力するのである。
すると地図上にこれも日本語で「テラス席がオシャレ」「手作りロールケーキが評判」などの紹介文とともに位置が表示される。直訳なので若干おかしなその日本語を頼りに店を選び,あとは地図に案内させる。
着いてみればガイドブックにも載っている羊広場だった。なぜ羊の像があるのか由来は不明である。
店員にビシバシと質問しながらケーキを選んでいる。
カレースープにでっかいパン。ボクのためにこんなものも注文してくれたようだ。ありがた迷惑感が濃いが喜んでみせるほどにはボクも大人だ。カフェにいる間に晴れていた空が俄かに真っ暗になってばらばらとヒョウが激しく降ってまた止んだ。この気象には慣れなくてはならないようだ。
通り雨(…ヒョウだが)のおかげで舗道が濡れて街並みはますます写真にオイシイ。
スーパーの広場や高級住宅街の庭など,幹や花の咲き方など日本の町と見紛うような桜が盛んに植えられている。もしかしたら本当にソメイヨシノなのかもしれない。
ボートン=オン=ザ=ウォーター
町を流れる川がきれいに整備されている。コッツウォルズのベネチアと呼ばれているそうだ。
ここもとても人気で地元の観光客で賑わっていた。正確なミニチュアでできた町の模型が人気で,決して安くないチケット売り場に家族連れの列ができていた。現場を訪ねていてそのミニチュアを見物するというのが理解できない。
美しく整備されている街並みがテーマパークじみていてボクにはかえって興ざめでもある。外国人たるボクたちの目には普通の村の家並がむしろ新鮮に映る。
この地方の美しい家並に統一感を醸しているのは,家や壁に使われているこの蜂蜜色の石材である。コッツウォルズ・ストーンと呼ばれる独特の石灰岩で建築や造園の世界では一般名詞として使われるほど有名らしい。案外,ホームセンターで売っているレンガにコッツウォルズストーンと書いてあるのを見ていたのかもしれない。
南イングランドには山がない。それがこの独特のパノラマ風景を作っている。
北海道やドイツのフランケン地方,ピレネー山脈のフランス側などでも見渡す限りの牧草地に感嘆したがいずれも地平線の果てには山脈があった。ここはストンと空につながっている。
さてコッツウォルズ周遊のクライマックスはスノウズヒルというこの小さな村だった。
集落の外れに観光客用の無料駐車場があって,他に数台停まってはいたが町中で人と出会うことは稀だった。
まるで物語の不思議の国に迷い込んだようだった。
惑星の軌道計算をした天文学者ヨハネス・ケプラーはプラハを離れてから,リンツ,ヴュルテンベルグ,ウルムなどを転々とした後,レーゲンスブルクに終の棲家を定めこの地で生涯を閉じた。
村人の気配はあって,庭も家もキレイに手入れされている。
こんな辺鄙な場所で,いったいどのようにして生計が立てられているのだろう。どこも酪農家なのだろうか。
人懐こそうなラブラドールが道に出てきた。飼い主は庭の手入れをしていた初老の男だったので声をかけてみた。
人もまた人懐こくて盛んに話しかけてくれたが訛りが強くてほとんど分からない。主人と話していることが犬にとっては甘えていい相手の基準になる。遠慮がちだったラブがちぎれそうなほど尻尾を振ってすり寄って来た。
強い風が桜吹雪を作っている。
あちこちの庭でサクラの若木が植樹されているのを見た。ちょっとしたはやりなのかもしれない。
村の周りはどこまでも牧場が続いている。