もう10年以上前のことだ。ボクと妻のドレミは休日に散歩がてら夕飯の買い物に出かけようと家を出た。戸締まりをしているときから気になっていたのだが前の道に若い夫婦が立っていて,男の方が意を決したように近づいてきた。
「スミマセン,コノヘンニ,イイ,サンカノビョウイン,アリマスカ」
これが許♂さん洪♀さん夫妻とボクたちの出会いだった。
許♂さんと洪♀さんは中国人で,仕事で日本にいる洪♀さんのお兄さんを頼って,それぞれ別々に来日して知り合ったらしい。二人はアモイという町から来たが,お互いの実家が近くにあることも付き合うまで知らなかったそうだ。実家はどちらも裕福なので生活のために来日したわけではない。多分に若い冒険心が彼らをつき動かしたのだろう。そして確かに当時の東京はアジアの若者たちを魅了する街だったのだ。日本帰りのサクセスストーリーもあったろう。
東京で暮らすうちに二人は恋に落ち,仲間たちに祝福されてささやかな結婚式をした。
やがて赤ちゃんができた。まだ帰国したくなかった二人は日本で産もうと決めたようだ。縁もゆかりもないボクたちに相談してみようと言い出したのは洪♀さんだったらしい。なぜボクらが選ばれたのかはナゾである。
ボクは二人を家に上げて話しを聞き,帰国を勧めたが若い夫婦はいたって楽天的だった。
産院にはドレミが付き添った。夫妻は英語が話せないのでカタコトの日本語だけがコミュニケーション手段だ。とくに洪さんは日本語の語彙数も少ない。ドレミが病院に付き合ったからといって通訳できるわけではないのだが,医師の診断や注意を聞いてきてあとで説明することはできる。
出産が近づいたとき,ボクは八ヶ岳から母を呼んだ。彼らが異郷の都会でボクに相談したのはこの点では賢明だったと言えるだろう。母のお人よしは桁外れだ。ほとんど事情を聞かないまま,甲斐甲斐しく妊婦の世話をした。洪さんも安心して「オカアサン,オカアサン」と母を慕った。異国での初産である。心細かったことだろう。いよいよ陣痛が来て入院したとき,
「オカアサン,イタイ,イタイヨー」
と泣き叫ぶ洪さんの手を握りながら,母は
「痛いのはあたりまえ!がまんしなさい!」
と,叱り飛ばしたと言うから実母なみの頼もしさだ。
こうしてその冬,赤ちゃんは無事に生まれたが,東京で暮らすのはムリだったので帰国する知り合いに託されて許さんの実家に引き取られていった。
子どもと離れてまで東京に残った二人は千住に引越すことになった。許さんがそれまで勤めていたデリバリ中華の店との契約が切れ,千住の生鮮食品会社に転職したからだ。おそらくこのときビザが切れたに違いない。仕事の条件は決していいとは言えなかった。
よほど東京暮らしが気に入っていたのだろう。
「イチド,カエッタラ,モウ2ドト,チュウゴクデラレマセン。」
と,彼らは本当に朝から深夜までよく働いた。
引っ越してからもボクたちとの交際は続いた。盆暮れには市場で調達した山のような魚介類が送られてくる。たまに二人の休日が重なると「オトサン,オカアサン,ヒサシブリネ」と両親を訪ねてきた。
ほとんど旅行に行けない彼らを八ヶ岳にも何度か連れていった。二人はとても喜んで子どものようにはしゃいだ。そして,
「イツカチュウゴクカエルマエニ,ホッカイドウイキタイヨ」
と夢を話していた。
その夢は結局実現しなかった。
タカ派の小説家が知事になり,景気も悪くなって東京はアジアの若者の憧れる都市ではなくなった。学生や働き者の外国人は次々と去り,代わりに犯罪者が増えた。外国人への風当たりは強く取り締まりも厳しくなった。が,彼らはいつも真面目にこつこつと働き,まわりの人にも好かれていた。
ボクたちの環境も変わった。ドレミをニューヨークに留学させ,帰国後には職場を移転した。その間も彼らとの交際はずっと続き,洪さんは二人目の男の子を産んだ。そのお祝いに訪れた彼らのアパートで許さんはボクたちに帰国の話を切り出した。
「ライネンノアキ,チュウゴクカエリマス。」
「キット,ウエノコ,ワタシノコトワスレテマス」
洪♀さんが笑いながらそう言った。おそらく子どものことを心配する洪♀さんが,ぐずぐずと帰国を延ばしていた許♂さんを説得したのだろう。新宿生まれの長男は来春にはもう幼稚園だと言う。
「シュウサン,アモイニクルネ。ワタシタチ,アチコチアンナイスル。ワタシタチノ,リョウシンモ,アイタガッテル。」
したたか酔っていたボクは即答した。
「帰国してすぐじゃタイヘンだ。再来年の夏,2006年8月4日正午!アモイ空港に迎えに来てくれ。みんなを連れて遊びに行くよ。約束だ。」
アモイという町がどこにあるのかも知らなかったがボクはこういう約束を破ったことはない。ボクたちの夏休みは毎年8月4日からだ。もっとも自分では約束したり計画したりするだけで,実際にそれを遂行するのは妻のドレミの担当だ。
事件は彼らがそろそろ帰国の準備に入った2005年の夏に起こった。
ある朝,千住の駅で挟み込むように接近してきた入国管理局の係官に洪♀さんが身柄を拘束された。その頃彼女は東京駅近くのレストランでウエイトレスの仕事をしていたが,帰国準備のために夏前には退職するはずだった。ところが勤務態度が真面目だったために,店長や仲間に乞われて一日延ばしにしていたものだ。
幸い赤ちゃんは長男と同じように一足先に中国へ帰っていた。残った二人は最後にボクたちが温泉に連れて行く約束をしていた。
一報を受けたボクは悪いことに夏期講習の真っ最中で動くに動けなかった。彼女は入国管理局の施設にしばらく収容されたことがわかったので,とりあえず法務省のHPなどを調べて入国管理法をにわか勉強した。八ヶ岳からはオロオロと母が駆け付けた。身動きできないボクに代わって友だちのゴイックさんがサポートしてくれることになった。ゴイックとはもちろんニックネームで生粋の日本人である。