02/別れ

Aug, 2006
入国管理局

ボクたちの休みを待って,早朝着替えや現金などを持った許さん,母とゴイックさんも一緒に品川の入国管理局に向かった。

9時の受付開始を前に館内にはもう様々な国の人々が長蛇の列を作っていた。父親が拘束されたのだろう,日本の中学の制服を着た子どももいる。その支援者らしい団体は植え込みの前に陣取って抗議の横断幕を広げ始めた。音楽の講演で来日中に収容された人の仲間なのか,マスコミを引き連れた派手な衣装の白人の集団もいる。

日本での生活や活動や交流などを抱えながら,さまざまな事情で滞在資格を問われているのだ。それを犯罪者の不法入国阻止を目的とした入管法一つで対処するのは土台無理がある。しかし逆に法務省から見れば,東京のような大都市の治安維持のためには情をはさむことなく一律に法を適用するしかないのが実情だろう。ただ一つ忘れてはいけないのはここに収容された外国人は犯罪者ではないこと,そしてほとんどの人は日本経済の最底辺を支える労働者だったことだ。

さて,ところでボクたちの友人洪さんのケースである。「東京が楽しくってついオーバーステイになってしまった」…うーん。異議申し立てをする理由としては弱いなあ。北海道旅行はムリでもせめて主婦としてアパートの整理したりお世話になった人に挨拶したりさせてやれないだろうか。面会の予約を取ってからボクは事情説明を申し込んだ。他に管理局の人と接触する方法がなさそうなのだ。

説明を受ける場所は入管事務室らしい。受付に指示されたエレベーターは管理局事務所専用のフロアへの直通になっていた。扉が開くと薄暗い廊下には誰もいない。新しい建物で無機質な感じの白い壁がなんだか冷たく見える。窓の外は真夏の太陽がコンクリートだらけの湾岸地帯を白く光らせていた。

「洪さんもどこかの窓からこの景色を見ているだろうか。」

係官は如才ない印象の若い男でボクのようなクレーマーをあしらうのに慣れている。帰国すれば一切の罪に問われることはないこと,収容中は外部に電話することも可能だし尋問などもないことなどを丁寧に説明し,そのまま水の流れるような口調で,

「あなたが保証人になったとしても一時釈放という制度そのものがない。」

と,言った。またボクが異議申し立てをしても公聴会が開かれる頃には彼女は帰国させられているだろう…と。何か口をはさむ余地もない。ボクが言い出しそうなことは全部お見通しだ。

洪さんが拘束されたいきさつも話してくれた。要は以前勤めていた会社が不正経理で摘発された。そのため普通なら取り締まりの対象外の外国人従業員や元従業員まで拘束されたそうだ。つまり「運が悪かったね,あきらめて」ということらしい。ボクはすごすごとエレベーターを降りてホールで待っていたみんなに不首尾を報告した。

ガラス越しのさよなら

面会時間を待つ間,許さんと一緒に別館にある相談窓口に行った。ここに自ら出頭すれば待遇は全然違う。必要な書類などを揃えて,普通の旅客と同じように自由に帰国することができるのだ。ボクはいきなり許さんが拘束されたりしないか気掛かりで仕方なかったが彼は慣れているのか平気の平左だ。そもそも少し軽すぎるくらい楽天的で明るい性格なのだ。そのキャラクターが誰からも愛されて異国での生活を可能にしていた。真面目人間の洪さんが惹かれたのもわかる気がする。

別館の内外には怪しげな韓国人や中国人の女性が忙しそうに歩き回っている。手には書類のつまったファイルを持って,それをめくりながら次々と寄ってくる人たちに何やら話している。携帯電話はひっきりなしに鳴る。眠たげにだらだらとお役所仕事をしているカウンターの内側の職員とは対照的だ。どうやら旅行代理店の営業レディらしい。航空券の購入と引き替えに,出頭を希望する人や拘束された人の家族に情報を提供したり,相談に乗ったりしているのだと思われる。何のことはない。相談窓口自体の業務を代行しているようなものだ。建物の中でおおっぴらに客と話していても職員が大目に見ているわけだ。いざ書類を作る段になるまでの細かな相談はみな彼女たちにやらせておいて,職員は鼻毛でも抜いていればいいのだから。許さんも顔見知りになっているらしい一人に何やら中国語で聞いている。


後方の建物が入国管理局


収容されている人には着替えや本などのほかに現金や帰国のための航空券を差し入れることができる。許さんに代わってそれを手渡すのがボクらの役目だった。朝一番から並んでようやくボクらの順番が来たのは午後になってからのことだった。収容フロアに向かう専用エレベーターの前では物々しいボディチェックを受けた。14階(だったか)のフロアに上がってもまた暫く順番待ちがある。その間に差し入れる品などを係官に渡した。面会室には二人ずつしか入れないので,規定いっぱいの現金と航空券はボクとドレミの名前で,着替えや身の回りのものは母とゴイックさんの名前で差し入れた。

面会室は推理ドラマなんかで見る部屋そっくりだった。向こう側のドアから洪さんが現れるとドレミの目からぽろぽろ涙がこぼれた。洪さんも泣いた。こんなシチュエーションで友だちと会えば誰だって泣くだろう。アクリルガラスが全面を仕切っていて指を触れ合わせることもできない。何を話したのかも覚えていない。ただ最後に

「アモイで会おう」

と,ボクは笑顔を作って言った。もはやボクにできることはそれだけだ。みんなを連れて会いにゆく。

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秋が来ていよいよ許さんが帰国する前日,ボクたちは彼をレストランに招待した。帰国準備をサポートしたゴイックさん,八ヶ岳からも母が来て,にぎやかな送別会になった。ここにいるはずだった洪さんは品川からいったん長崎の施設に移ったあと無事に帰国して,子どもたちと許さんの帰りを待っているそうだ。許さんは冷凍マグロのサクと醤油,味噌などをお土産にすると言う。すっかり味覚は日本人になってしまったと笑った。


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