04/ロビーの攻防戦

Aug, 2006
五縁大橋

「シュウサン,ミンナゲンキソウ。」

と,許さんが相変わらずのとぼけた雰囲気を醸し出す。

「オトサン,ダイジョウブデスカ?」

そう言って洪さんが父の荷物を持つと,さらに後ろの男がその荷物を彼女から受け取った。

「アニデス。」

洪さんのお兄さんは想像していたいかついボスタイプではなく,甘いマスクの2枚目だった。物腰もやわらかで垢抜けている。許さんをはじめ多くの若者が彼を慕って東京に来たわけがわかる。

「コウデス。アモイヘヨウコソ。」
「こちらこそよろしく」

とボクも一行を紹介した。

「こう」は中国語で発音すればHONG(ホン)だ。石材輸出の会社を共同経営しているそうで,日本からの商談の接待に慣れている物腰だ。彼が回してきたレンタカーはトヨタの15人乗りバンだった。


空港からホテルまで島の外周道路を通り,大きな橋の途中で停車してくれた。コロンス島の夜景を見せるためだ。長崎や横浜に似て貿易港として古くから栄えたこの小島には,ヨーロッパの商館が今も残り美しい街なみを誇っている。そこに新しく居を構えるのはかなり裕福な人たちばかりだ。どうやらここでは電気が富を象徴するらしく,おびただしい電飾が屋敷の姿を浮かびあがらせている。東京でも見かけるが今の時代あまり上品な趣味とは言えない。



五縁大橋にて


案内されたホテルは高級リゾートホテルだった。荷物を解いて一室に集まり,それぞれ分担して持ってきたお土産を渡しながら改めて挨拶した。


ロビーの攻防戦

ひとしきりおしゃべりなどしていったん解散したあと,ボクとドレミはロビーに移動した。今夜はみんなに休んでもらったあと許さんたちと相談しなければならないことがある。

旅行前に洪兄とメールをやり取りしているときからうすうす感じてはいたのだが,彼らは今度の旅行を宿泊費からレンタカー代,食事代にいたるまで丸抱えする腹らしい。しかし6人の団体だ。半端な額ではない。ボクたちの旅費はもちろん,逆にお礼をしたいところだ。ここできちんと話しておかなければ,若い許さんたちに大きな負担をかけるし,旅行中のボクたちの自由も気分的にかなり制約されるに違いない。国際会議である。

ただかなり繊細なこの話し合いをカタコトの日本語相手にしなければならない。試しに洪兄に英語で話しかけてみたが通じなかった。そこで仕方なく,わかりやすい日本語で許さんに切り出すと,案の定,難しい表情で聞いたあと,笑ったり怒ったりの顔を作りながら片手を振って取り合わない。

埒が明かないので今度は洪兄に

「費用は自分で出したい。」

と,迫ってみた。我ながら説得力に欠けると思うが言葉の壁が立ちはだかる。相手の好意を断るにはもう少し多様な言葉を必要とする。

「コンド,キタトキハ,ソウスルネ。コンカイハ,ワタシタチガモチマス。」

費用を「持つ」などという表現をいつ覚えたのだろう。

翌日は彼らの家族も一緒にビーチリゾートに出かけるという。まずい。このままだと,出張の商社マンといっしょにされて,次はゴルフ,その次は不夜城めぐりなんかになるかもしれない。ボクは急いで希望の場所リストをテーブルに出した。永定の土楼や安平城跡,泉州の寺などである。彼らは顔を見合わせて不思議そうにリストを眺めていた。

行き先についてはどうやら納得してもらえたようだ。お金の方は結局,平行線のままいったん会議はお開きとなった。3人が帰ったあとロビーに残ったボクたちは,まず先手を打ってこのホテルの会計をしようと企てた。さっき許さんが現金で保証金を入れていた。クレジットカードで精算すれば現金は許さんのもとに戻るだろう。フロントに行って料金を尋ねた。英語が通じない。尚も,身振り手振りでねばっていると,奥から

「英語少しわかります」

という女の人が出てきた。ほっとしたドレミが一気にまくしたてたが,女の人は本当に「少し」わかるだけだった。困った挙句にボクらに電話を差し出した。「もう少し英語のわかる人」を電話口に呼んでくれたのかと,受話器を取ると許さんの携帯電話に通じていた。

「ドウシタ?コマッタコト,アリマスカ?」
「いやいや,ごめん。手違いです。」

さきほどのホテルの女性が電話を代わり,どうやらボクたちの企みは許さんに露見してしまったようだった。

ユーチャコイ

朝食のバイキングでは,みんなが母のもとに集まった。

太平洋戦争が新たな国境を生む前は,海峡を挟んでここ福建省東部と台湾は一つの文化圏だった。今もテレビやラジオには台湾の放送がいくつも入ってくる。むろん,食文化も共通だ。


そこで母である。母の実家は戦前の富商で台湾に支店を出して手広く商いしていた。母は台湾で生まれ,そこそこ裕福な少女時代を送っている。もちろん,敗戦で全てを失い,帰国するのだが,台湾料理や南国の果物などは,母にとって郷愁の味なのだ。バイキングにはおいしそうなパンやコーヒー,北京風の包なども並んでいたが,旅人としては母に倣って,ご当地の朝食にチャレンジしたい。


「ユーチャコイ」…と母が呼んでいる…揚げパンを温かい牛乳に浸して食べるのが母のおすすめだった。

「ダンクの元祖かもね。」

ボクとドレミのテーブルも台湾風で揃えてみた。アメリカではドーナツをミルクコーヒーに浸して食べるのが若者の間で人気だ。ちぎったドーナツをカップに落とすしぐさをバスケットボールのダンクシュートになぞらえて「ダンク」と呼ぶ。ユーチャコイはドーナツよりさっぱりした食感だがあまり味がしなかった。

ホテルの前で車を待つ。


田園

洪兄の運転で許さんと洪さんが迎えに来た。子どもたちは実家に預けてきたという。ゆうべボクたちが頼んだので,急遽行き先を永定に変更したらしい。永定は遠いので小さい子には難しいそうだ。子どもたちの楽しみを奪ってしまったのかもしれない。こんなことならリゾートビーチでもよかったのに。

いくつか橋を渡ったが,うとうとしてしまっていつアモイ島から本土に渡ったのか気付かなかった。自分たちでレンタカーを借りての旅なら,今頃地図と標識を必死で読んでいる頃だろう。ドレミものんびりを決め込んでいる。車は高速に入って南下しているようだ。アモイの郊外はどこも凄まじい開発の途上にある。あたり一面,ブルドーザが走って広い工場用地が整備されつつある。北京オリンピックとは別の経済発展なのだろう。


高速道路のパーキングエリア


ジャンクションを通過して西に進路が変わると景色も一変した。見渡す限りのバナナ畑,石造りの民家,水の豊かな平地には水田が広がっている。


豊かな田園風景


そして…牛だ。いわゆる役牛で田畑を耕している。初めて見た。三角の麦藁帽子をかぶった農夫がのんびりと牛をいたわるように操っている。写真が趣味の母がじたばたと暴れ出した。もし,運転しているのがボクなら,今頃は高速を降りて撮影会になっていただろう。あまりの歓声の凄まじさに,洪兄が見通しのよい直線の路肩に寄せてくれた。車が停まるのと,母が勢いよく飛び出すのと同時だった。

母は今年喜寿である。


石造りの村



水田や畔は馴染みの風景なのだが石の建物とバナナの木がエキゾチックな雰囲気を演出する。が,如何せん高速道路からでは画角に限度がある。ファインダーから目を離すと母と目があった。


「牛が働いている景色を探して村の中を走りたいねえ。」

母子の思いは一緒だが,永定までのロングドライブを決意してがんばっている洪兄にはとても言えない。それに世界遺産になっている土楼を見てみたい気持ちもあったので諦めることにした。この農村風景を見ることはきっともうないだろう。

永定で高速を下りたが,土楼の残っている村まではさらに南に数十キロほど行かなくてはならない。幹線道路なので道幅はあるが,いきなり正面からトラックが逆車線を走ってきて肝を冷やした。洪兄と助手席の許さんは平然と,少しスピードを落としてすれ違う。


車道の端には大きな荷物を満載した自転車やリアカーの交通量が結構ある。その外側をさらに多くのオートバイが走る。こちらは3人,4人乗りは当たり前の世界だ(あとで町を歩いているときに調べてみると,これらのバイクは全てSUZUKI-DR125という車種の単気筒車で日本では売っていない)。そこに,よくぞ動いているものだと思うほど古いトラックと最新型のメルセデスが混在して走るのだから,反対車線を譲り合わなければ確かに走れない。慣れない外国人にはかなりの技術と集中力を要する。ジュネーブ条約の批准は当分困難だろう。


小さな村の広場


竜眼

道は峠に入り小さな村に差し掛かった。

「あれ!竜眼じゃない?!」

窓に顔をくっつけて母が叫んだ。


洪兄も,もう心得ているようで,速やかに車を寄せて止まった。村の中心に当たるらしい交差点に露店…と,言っても地面に何やら置いているだけだが…が出ていて,母はまっすぐに歩いて行き,もう店番に話しかけている。もちろん日本語で畳み掛けているだけだが,遠目にはお得意さんが立ち寄った風情で話がはずんでいる。許さんと洪兄が慌てて駆け寄っていく。



ボクは一人でカメラを持って村に入ってみた。家の門々に赤い大きな札が貼ってある。毎年,正月にお寺で新しい札をもらってきて張り替えるそうだ。村人と出会ったので,指さし台湾語を見ながら挨拶してみたがきょとんとされた。ボクの発音はかなり悪いようだ。



通りに戻ると母の買い物は値段の折り合いが付いたらしく,こう兄が竜眼の束を担ぎ上げているところだった。竜眼はライチに似た食感の果物で,殻をむくとつるりとした透明な実が光って,竜の目と言われれば,そんな気がしなくもない。母にはとても懐かしい味らしい。以前,谷中にある小さな甘味屋で,この竜眼を出していることを聞き,母と二人で探し歩いたことがあった。だから,ボクは初めてではない。



おいしいから,まあ食べてごらん。


走り出した車内でみんなで竜眼をむいて食べた。

「とくにうまいもんじゃないね。」

父のこういうときの一言はあまりにも身も蓋も無いので,よく両親の喧嘩の原因になっている。


竜眼



町をいくつか過ぎて山道を上りつめたところに大きな土楼が見えてきたがどうやら洪兄が目指していた土楼ではないらしい。


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