06/コロンス島

Aug, 2006
リゾートホテルの朝

2日目も朝から強い日差しだったが,窓には重くて巨大な二重カーテンが下がり,調整不能のエアコンで室内は北極のようになっていたので,毛布にくるまっていたボクは寝過ごしそうになった。外が騒がしい。すでにリゾート内を探検してきた母が全員起床を促している。

「プールがあるよー!!」

こんなこともあろうかと,水着を持ち物リストに入れていたので,キャップを買うだけでホテルのプライベートプールが利用できた。


が,ボクたち一行では,ひいき目に見ても温泉旅館の朝湯にしか見えない。



プライベートビーチへ



母,喜寿…


プライベートビーチにも出てみたが,海は江ノ島とどっこいどっこいの水質だった。


どう見ても湯上りの父とボク


朝食を終えて待つほどに,ワゴンを運転してきたのは洪兄ではなく,洪♀さんの弟だった。ひょろりと背が高くて何だか頼りない。洪さんを含めて兄弟でずいぶんと性格も違う。てきぱきと鋭い兄に比べて弟はおっとりとスローモーだ。有体に言うと鈍くさい。そして予想通りとても運転が下手だった。


コゾウ登場


ホテルから銀行まで行くのに,道を曲がりそこねて目の前を通過し,尚も曲がりそこね続けてとうとう郊外の工場地帯まで行き,そこからまたぐるぐると戻ってたどり着いた。5分のところを40分はかかっている。銀行の駐車場にも一方通行を逆走して入った。

「コゾウ!運転の練習し直せよ。」

と,日本語で文句を言った。そういうわけで本稿では彼をコゾウと呼ぶことにする。もっともボクにとって「コゾウ」は好ましい若者に対する愛称のようなもので,自らも「生涯一コゾウ」をモットーにしている。愛すべき中国のコゾウ…こやつのために何度もえらい目に遭うのだがそれは後の話しに譲る。

何故,銀行に来たかと言えば,人民元が一元もなくなってしまったからだ。出発前に旅費を集めて綿密に計算し,ドレミが空港でみんなのお小遣分を両替してあったのだが,とりあえずそれをホテル代として許さんに渡してしまった。もちろん,許さんは受け取りを断っているが,お小遣い分は別に両替しなければならない。

みんながワイワイと両替の手続きを楽しむ間にボクはコゾウと会話を試みた。その結果,コゾウは日本語,英語とも一単語も知らないことがわかった。ハローとかサンキューすら知らないのだ。とりあえず今後のコミュニケーションのために手振り身振りで,

「ボクはシュウできみはコゾウだ」

ということだけ教えた。せめてお互いを呼び合うことができないと困ると思ったからだ。意味を理解した彼は,その後,やたらに「シユーサン」を連発するようになった。「さん」がついたのは,洪さんが「年上の人には日本式にさんをつけなさい」と窘めたためらしい。彼の覚えた唯一の日本語である。


銀行


コロンス島へ渡る遊覧船の乗り場へは例によってコゾウのドライビングがいかんなく発揮され,またずいぶんと時間がかかった。着いてみたら道路を挟んで銀行の向かい側だったのには驚いた。


遊覧船乗り場


この日,同行は洪さんだけで,許さんは二人の新居に残って,ボクたちのためにごちそうを作ってくれているそうだ。


出航を待っていると,となりの漁船の乗組員が,朝食の残飯をざばーっと,海にひっくり返すのが見えた。この意識の低さではアモイの海水が東京湾になる日も近いだろう。



アモイ港全景


遊覧船は周囲4キロほどの島を半周回って反対側の船着き場に着いた。


コロンス島の桟橋


海岸沿いはテーマパークに来たような美しさだった。まるで生活感がない。


島歩き


エキゾチックなコロンス島の町並みができたのは,アヘン戦争後に南京条約でアモイが開港された50年ほど後のことらしい。共同租界地として列強諸国の領事館が置かれたため,富裕な華僑たちが次々と洋風の大邸宅を構えた。日本軍による統治を経て,邸宅のほとんどは一般市民に開放されたが,現在,再び超高級リゾートとして脚光を浴びている。



島の方針は徹底している。人口は23,000人に制限され,島内ではなんと,あらゆる自動車の走行が禁止されている。唯一,四輪駆動車を改造した消防車があるそうだが,いちばん最近の火事は2年前だとかで,住民でもこの消防車を見たことのない人が多いらしい。外周道路に,観光客を乗せた電気自動車が運行されている他は島中,完全に歩行者天国になっている。


ラーメン屋が道にパラソルを出している。ライトグリーンの葉が繁った木陰が涼しそうだった。


正確にはラーメンではなく,麺は米粉(ビーフン)だったがスープの味に驚いた。魚介類をふんだんに使った濃厚なスープで,澄まし汁なのにちょうど長崎チャンポンのようなコクがある。これは旨い。



ダシだけでなく,具にも大きな海老やハマグリが惜し気もなく浮いていて,チャンポンなら千円級のこの一杯がたった350円前後なのに,冷たいお茶を頼もうとしたら,「何とかしてみるけど,500円」と言われてやめた。やはり,冷たい飲み物を飲む習慣がこの辺では今のところないらしい。



冷たい飲み物ありません。


地図を見て,海岸の外周道路から,町の中へ入ってゆくと,ようやく人の生活が感じられる風景になった。長崎に似ている。ちょうど日本が鎖国している頃に,どちらもオランダ東インド会社の重要寄港地だったのだから当然と言えば当然だ。少女たちのあこがれる名門女子大が美しい坂の上にあるのも一緒だった。


島の中央は日光岩と言う岩山になっていて,何でも日本の日光山よりも絶景だそうだが,入場料がべらぼうだ。日本円で1200円くらい,たぶん,周辺の石材労働者の日当を軽く超えている。世界中どこでも,観光地ではよくこうしたえげつない料金設定に出くわす。おそらくツアーの旅行者などは気にかけたこともないだろうが,その売り上げが純粋に史跡や自然の保護に使われるとは到底思えない。


日光岩


ボクはどうにも興ざめしてしまって登る気になれない。ゴイックさんも同じ思いを抱いているらしく,券売所の前で戸惑っている。

が,迷う必要はなかった。炎天下の行軍にへばっている我が一行の本隊には,誰もこれ以上,高いところまで登れろうと言うる者はいなかった。


椰子の実にストロー…青臭い


ピアノ博物館なるものの前も美しい広場になっていて,パラソルを立てた物売りが目を楽しませてくれる。母やドレミの買い物で,たちまち男衆の手はいっぱいになってゆく。母たちは紙製で蛇腹のように伸びる帽子をいくつも買い込んでいる。きのう,土楼で見つけたがお小遣が乏しくて数個しか買えなかったのだが,きょうは銀行に行ったばかり。懐に元がうなっている。


ピアノ博物館


コロンス島は音楽の島としても有名 買い物待ちには慣れている。木陰で写真など撮っている。

…ふと,店先から視線を感じた。


椰子の実をくり抜いただけの素朴なブタの貯金箱がじっとボクを見つめている。丸い目が留守番させている愛犬タローの面差しに重なってふらふらと店に入った。ドレミがぎょっとした。ふだんボクがお土産屋さんの中になど入ってきたことがないからだ。店にありったけ6個を買い占めた。

ビニール袋に入った6匹のぶータローは母の紙帽子と違ってやたらに嵩張り東京に帰るまで荷物となってボクらを悩ませた。今でもたぶん友人たちの家の棚あたりで場所を取り主を悩ませていることだろう。


ぶータロー

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