08/アイス・コーヒー

Aug, 2006
音楽喫茶

アイスコーヒーが飲みたい!

渡船の出港を待っているときから渇ききっていたボクの頭の中はそのことでいっぱいだった。銅製のマグカップにびっちりとつく水滴,氷の間を縫うように落ちていくクリーム。からりと音を立てながらカップを口に運ぶと唇に鋭いエッジが触れる感触まで妄想する。五感がアイスコーヒーを欲しがった。

アモイ港に着くとボクとドレミはみんなを涼しい場所に待たせて中心街を駆け回った。コーヒー店がないことはすぐに分かった。銅のマグカップは夢と消えたとしてもスタバとかマックくらいあってもいいはずなのに…。外国人は宿泊するホテルや勤め先でコーヒーを調達しているのだろうか。二人だけならアモイ駅まで歩いても探しただろう。

母が音楽茶房という店の前でマンゴーのデザートの写真をじっと見上げている。

「ここにしてみるか」

音楽はポップス系なので若者向けらしい。まったくちんぷんかんぷんのメニューを洪さんに読んでもらうとコーヒーがあった。アイスコーヒーの文字はないらしいが洪さんが聞いてみると,ウエイトレスも分かったらしく頷いた。母たちが注文したマンゴーが運ばれてきた。ボクと父のアイスコーヒーだけがなかなか来ない。


マンゴーのデザート


もはやゼイタクは言わない。水に溶かしたインスタントコーヒに氷入れて持ってきても1000円払うぞ!!

洪さんが心配して階下のカウンターに何やら大きな声をかけると下からも大声の返事がある。「アイスコーヒーまだですかー!」「今やってます!」みたいな感じだろうか。

「アモイノヒト,ダレモ コーヒーノミマセン。ツクレルヒトモ スクナイネ。」

と洪さんがすまなそうに言う。小一時間ほどが立った。最初にキレ始めたのは母だった。文句を言いに立ち上がろうとするのを何度もゴイックさんが制する。やばい。

「あははは。きっと豆を買いに行ってるんじゃない?」

ボクは青ざめている洪さんを慮って冗談を言ったつもりだったが「あながち冗談ではないのでは…」というムードが漂う。店は混んでいるわけではないのだ。洪さんが何かまた階下に向かって叫ぶ。下からも叫びかえす。

ま,まずい。タイヘンなことになった。喫茶店でアイスコーヒーを頼んだためにここまで窮地に落ちた人がいるだろうか。

険悪な雰囲気の中ようやくふてくされたような顔をしてウエイトレスが無言でカップを持ってきた。その態度にとうとう母の勘忍袋の緒が切れた。

「まず,ごめんなさいって言いなさい。」

日本語で二度繰り返す。まわりは無言。その中をウエイトレスは黙ったまま立ち去り再び父の分を運んでくる。まわりが無言だったのは母の迫力に気圧されたからばかりではない。ウエイトレスの置いていったものを見て目が点状態だったのだ。

それは白い厚手のコーヒーカップに湯気を立てているコーヒーとガラスの器に盛られた角氷だった。アイス&コーヒーである。

これがいやみやジョークとは思えない。注文を受けてはしまったがアイスコーヒーとは何か知る店員がいなかったのかも知れない。責任をとらされてヘンな外国人客にアイス&コーヒーを運んだウエイトレスの勇気やいかばかりだろうか。逃げるように去ったのもわかる気がする。強力なエアコンのせいですっかり冷えてしまった体にホットコーヒーがうまかったことは言うまでもない。

アモイ港の夕暮れ

気まずいムードの音楽茶房から商店街に出た。待ってましたとばかり女たちが店に散っていく。なぜこんなところまで来てあんなに真剣に買い物できるのだろうか。女とは不思議だ。待つ身にはマンハッタンも渋谷もアモイも同じ路上だ。通訳のはずの洪さんまでいつの間にかブラウスの山と格闘している。


漢字の看板は意味が分かってなかなか面白い。ビルはみな老朽化していて,いずれ再開発の波が押し寄せるに違いない。そのときは,たぶん,アイスコーヒーを求めてさ迷うこともなくなるのだろう。


港での待ち合わせのために,湾岸道路を横断しようとしたが横断歩道も信号もない。車も人も混雑しているのだが,みな,走る車の間を縫って横断していく。それはそれは凄まじい光景だ。と,ボクたちも見とれているわけにはいかない。手をつなぎ,車の激流に入ってゆくしかないのだ。


横断歩道


港は夕方の涼を求める人々であふれている。お祭り好きのドレミや母が露店の甘い餅菓子などを買って楽しんでいる。


アモイ港の夕暮れ


回りの車のクラクションを浴びながら,ひときわ危なっかしい運転の車が道路脇に停車した。果たしてコゾウの運転するトヨタだった。助手席に小さな女の子が乗っている。アーシンという名前で,洪兄の娘だという。都合で今夜は許さんたちが預かるそうだ。たぶん,洪兄はボクたちのために昨日,一昨日と無理をして仕事が忙しいのだろう。アーシンは人見知りするようで,ボクたちに挨拶するように促されたが,洪さんの後ろに抱き着いて隠れてしまった。


許さんたちの住むマンション


アーシン

アモイの山の手というか高台に許さんと洪さんの新居はあった。新築のマンションの12階だ。床は総大理石(これは許さんの実家が石材会社なので頷けるが)家電は日本製の高級品が並び,中でもテレビは40型くらいあるビエラだった。マンションの建設ラッシュにわく町の雰囲気も,若い二人の生活もバブル期の日本を思わせる危うさがあった。土地の価格も倍々ゲームになっているそうだ。


正面に藤娘の日本人形が飾られていた。亡くなったボクの祖母が晩年に趣味で作っていた。ずっと家の床の間にあったので懐かしい。きょさんが帰国してすぐに母が贈ったものだ。



母はまるで祖母の墓に参ったかのように,ケースを開けて人形を撫ぜている。

「おばあちゃん,異国の若い二人をどうぞ見守ってください。」

ボクも人形にそう語りかけた。中国経済の過渡期を生きる二人には,きっとたくさんの困難が待っているだろう。



「シユウサン」

呼ばれて振り向くとコゾウが感心にもお茶をいれていた。茶器の扱いがあまりに上手なので,洪さんにそう言うと,お茶で接待するのは男(しかも家の主人)の役割なのだそうだ。道理でうまいわけである。急須の蓋を器用に使って茶葉をさばき小さなカップに注いだ湯をくるくると出し入れする。ふぁーっと茶の芳しい香に部屋が包まれて,茶碗がサーブされる。


「シュウサン」

と再び促されて一碗を手に取り一気に飲み干す。これは美味しい。置いた碗に2杯目がさっと注がれる。見とれるボクの後ろで許さんが言った。


「ニホンデ カエル ウーロンチャハ フルイノヤ ソアクヒンデス。コレガホントウノ,ウーロンチャノ シンチャネ」

納得できる。今まで烏龍茶の香りを楽しんだ経験はなかった。そもそも葉の色があの枯れ葉みたいな色ではなく鮮やかな緑色だ。福建省は烏龍茶の一大産地で日本で言えば静岡県のようなものだが,日本茶がそうであるように良質な茶葉を外国に輸出することはない。それくらい消費量も多いからだ。アメリカあたりのスーパーで売っている「緑茶」をお試しあれ。濁った雨水かと顔をしかめられることだろう。ボクたちが日本で飲んでいる烏龍茶のクオリティはそれに近い。


退屈し始めたアーシンがデジカメに興味を持って,盛んにアピールし始めた。カメラを向けると大喜びしてポーズを作り出す。

テーブルには許さんが昼から準備していた御馳走が並ぶ。



10年近い日本生活でこの夫婦の味付けはほとんど和風だ。醤油もキッコーマン,ワサビのチューブはSB,味の素も国内仕様だ。ちなみに味の素とカップヌードルは世界中どこにでも進出しているが,きめ細かく味の好みを研究してあって,現地で買うと,日本で食べる味とは違う。



「シユウサン」

と,コゾウが盛んにビールを注いでくれる。

「カンペイ(乾杯)!」



…ほぼ日本語と同じ使い方だが厳密に杯を干さなければならないきまりらしい。そう言いながら,自分は車を運転するからと口をつけるだけだ。父は最近すっかり弱くなったし,ドレミ母子は自重気味。あとは許さんを含めて全員下戸なので,カンペイのたびに杯を干す役目はボクだけだ。


酔いが回ってきた。先ほどからアーシンがボクにぴったりくっついて離れない。

どうした具合かボクは外国に行くと幼児受けがよい。仕事が仕事なのでオフのときくらいは子どもの声から遠ざかりたい気持ちがあるのだが,アーシンはくっつくというよりもう足に抱き着いている。さっき遊んだのがよっぽど楽しかったのだろう。仕方ないので,彼女を抱き上げて「タカイタカイ攻撃」をしては,戻って「カンペイ」,くすぐりっこしては「カンペイ」を繰り返してボクはふらふらになってしまった。床にばったりとつぶれると石がひんやりと気持ちいい。馬乗りするアーシンのいいおもちゃになっているうちにみんなで食事の後片付けが終わっていた。

刺青


「商店街にショッピングに行くよー」

「嘘でしょ。」

昼間,さんざん買い物しただろ?


「オレ,留守番」…と,言いたかったが,アーシンが背中からはがれない。結局アーシンを肩車して,蒸し暑い夜の町に繰り出した。揺らしたり走ったりすれば言葉は通じなくてもきゃっきゃとアーシンがはしゃぐ。


ボクのギックリ腰を心配するドレミがはらはらと横を歩く。ボクたちが自分の娘を肩車することはないだろう。お互いにそのことは言わない。子どもはいなくても幸せだ。ちょっと毛深いけれどかわいい息子がいる。


商店街の入り口で,母が何やらむずむずと待っている。

「シュウ,あれやってもいいかなあ。」

指差す場所にみかん箱の露店があって怪しげな男が客待ちをしている。地面に広げた紙に色々な柄の型紙が並んでいて,看板に「TATOO」という英文字が読めた。


なーに,ホントの入れ墨ではない。肌に害のないヘナか何かで模様を描いてくれるのだ。母は蝶々の模様を選んで客となった。ドレミやまちこさんはブティックに入り,アーシンは20Mほどの助走をつけて,ボクに飛びつくという遊びに熱中し始めた。



待つこと10分ほどで母の二の腕に彫り物が完成した。母のはしゃぎぶりこそミモノである。広場の階段で

「この紋所が目に入らぬか!」

と見栄を切る。



「それを言うなら桜吹雪じゃなかったっけ?」

「あ,そうか。目に入らぬかあ!」

「桜じゃなくて,蝶々だし…」


アーシンが不思議そうに首を傾げる。言葉の通じないときの余興によいかと思ったが,考えてみれば誰も遠山の金さんを知らない。仮にストーリーがわかったとしても封建時代の主観的かつ恣意的な裁判ドラマを外国人が理解できるとは思えない。

海外で見られる日本映画と言えば入れ墨したやくざが鉄砲や刀を振り回すものばかりなので,下手に誤解を与えるとマズイということになり,結局,母のタトゥーはこれっきり日の目を見なかった。


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