09/安平

Aug, 2006
南へ

ホテルに戻ると父がシャワーのコックを操作しそこねて大騒ぎが起こった。ゴイックさんがいち早く父のバスルームに駆け付けて対処した。定年退職してから,何かにつけ世話をしてくれたり遊び相手をしてくれているので,両親もすっかりゴイックさんに頼っている。息子も嫁もカタナシだ。夕べはボクたちの棟に,今夜は小柄な中国人の男性がひとりチェックインしてきた。物静かで理知的な感じだ。音を聞き付けたのかロビーに降りてきた。何しろ我が一団は騒々しい。ほとんど母が原因だ。今も風呂場の後片付けをしながら爆笑したり父と喧嘩したり,静かなリゾート中に響き渡るような騒ぎだ。男は気にする風もなくソファに腰掛けて分厚い本を開いた。それが英語の本だったので,

「Good evening」

と声をかけてみた。予想通りキレイな発音で返事が返ってきた。ボクは顔中に申し訳ないという表情を作りながら

「うるさくてすみません。」

と謝った。彼は穏やかに笑みを浮かべて「全く気にならない。お気づかいなくと答える」その間にもドタドタと足音がして

「まちこさーん,お茶飲まない?」

と,大きな声も響いてくる。そもそも下町の長屋じゃないんだからドアの前で叫んでも聞こえない。内線電話のかけ方,教えたじゃん。男は聞こえないかのように平然としている。気が弱くてヘンな外国人にはなるべく関わりたくないという感じだ。そもそも高級リゾートに一人で洋書を持って泊まる人はどういう人なのだろう。


よく朝,食事を終えたボクたちは賑々しく荷物をまとめて,電気自動車でフロントのある中央の建物に移動した。



正面玄関で許さんたちの車を待っていると,Eクラスのメルセデスが滑るように止まり,後続のアウディからスーツの男女が数人降りてきて慌ただしくロビーに入ってきた。それを見て同宿だったあの男がソファから立ち上がった。男女の丁寧な挨拶を受けながらすたすたと歩く。


穏和で気弱そうだった夕べの印象は全くなく,鋭い視線を忙しく男女に投げかけながら何やら指示を飛ばす。二人の男がさっとアウディで走り去った。女は秘書なのだろう。小男の後ろを歩きながら今日の予定でも伝えているようだ。運転手がドアを開けて待つメルセデスの後部シートに男とともに乗り込んだ。滑るように出ていくEクラスを見送りながらボクとドレミは顔を見合わせた。

「な,何者?」

大企業の切れ者重役が激務の合間に一晩の休息に訪れたものだろうか。

「夕べはよくお休みになれましたか」
「それがヘンな外国人たちと,隣り合わせて…」

などという車中の会話が聞こえてきそうだ。


それにしても約束の時間からかれこれ一時間以上遅れている。どうせコゾウがまた道を間違えているに違いない。

ボクは海外でよくレンタカーを使う。

ヨーロッパの国々は交通マナーが成熟していて走りやすいが,石畳の市街地は進路がとてもわかりにくい。大きな交差点が一方通行の回転式になっているのも,日本人には曲者だ。アメリカは州によって規則がちがうことを除けば最も走りやすい。標識も行き先ではなく,道路の番号と東西南北を示すことが徹底されているので,慣れない人でも迷わない。

韓国は,まず風景や標識が日本と似すぎているので,田舎道などぼおっとしていると逆車線に入ってしまう恐れがある。それに公共交通機関,とくに路線バスの運転がきわめて乱暴で危ない。ソウル周辺の渋滞は破壊的でドライバーはいつもイライラしている。

さて,中国だが…もちろん福建省に限っての事情ということになるが…規則に特別なものはないようだ。ただ,日本の常識では優先道路,直進車が絶対に優先だが,ここでは基本的に先に交差点に入った車が優先である。例えば片側2車線の道路を走っているとする。前方で対向車が右折しようとしたときは,右折車が優先的に前を横切るので,減速する必要がある。日本なら姿が見えている限り直進車が優先する了解が両者にあるので,直進車は早く通過してあげようと逆に加速したりする。福建省では高速でない限りどんなに広い道路を直進していても常に前方に緊張を強いられる。大通り同士の交差点に信号がないこともしばしばだ。きのう湾岸道路を人がどんどん渡ることが可能だったのもこの原則があるからだろう。これでは混乱して幹線道路が大渋滞しそうなものだが意外によく流れる。思えば東京の市街地で頻発する事故の大半は直進車側が持つ過度の優先意識が引き起こしている。実際は道交法でも右折車に直進車が突っ込んだ場合,前方不注意でかなりの過失割合が課せられるはずだ。ここでは直進絶対優先という観念がないので,交差点は一見混乱しているように見えるが出会いがしらの事故は少ないに違いない。


アモイから北に向かう高速の入口まで,工事渋滞が激しい。コゾウはまたもや迂回路をミスしたらしく,さっきと同じ場所を通っている。ただ,コゾウはのんびりした性格…悪く言えば鈍いので,それが運転には幸いしてまず危険な状況になることがない。そのかわり,とっさの判断が遅いため,道を間違えると言うよりは曲がり損ねたり,車線変更し損ねたりして,思う道を行けないのだ。高速に入る頃には漢字の看板を面白がってはしゃいでいた車内も退屈して寝静まり,許さんや洪さんまで寝込んでしまっていた。


サービスエリアにあった「便利店」…コンビニ?


「安平城跡がどこにあるのかわからなかった」

と,許さんがすまなそうに言う。まあ,歴史に興味でもなければ若い子たちが史跡を知らなくても無理はない。ボクは

「城跡でなくてもいい。アンペイという町のどこか昔の風景の残っている場所に連れて行ってほしい。」

と頼んだ。安平はアモイを本拠地にして海上に覇を唱え鄭成功を生んだ鄭一族の出身地なのだ。

「安平橋はどうかしら」

そう言ったのは洪さんだった。その時まで二人の出身地が安平だと言うことに気付かなかった。母のメモ帳にある二人の実家の住所を急いで確かめると

「ほんと。南安(かつての安平)市って書いてある。」

ボクの目はそれよりも許さんのお父さんの苗字に釘付けになっていた。

…「鄭(てい)」

「ワタシノウチノキンジョ,テイトイウヒト イッパイイルヨ。」

なんと許さんは鄭一族の末裔ではないか。

安平橋

コゾウが慌ててハンドルを切り車が揺れた。南安インターを通り過ぎそうになったのだ。南安はイメージしていた落ち着いた町並みではなく雑然とした埃っぽい町だった。超大型のトラックが土埃を上げて行き交い,道端には白く土が積もっている。トラックが積んでいるのは数10トンはある直方体の石材である。巨大な石切り場を擁する南安は海外需要の拡大で空前の石材ラッシュの中にある。

きっと,数十年前に石炭ラッシュに沸いた日本の炭鉱がこんな風景だったのではないかと思う。幹線道路に経営階級を目当てにした超高級な娯楽施設やレストランがあるかと思えば,薪を焚いて走っているのではないかと思われるような煙突のついたトラックが黒煙をあげて走っていて,荷台には十数人の労働者が群がって乗っている。すさまじい貧富の差だ。

バイパスを外れてひときわ埃っぽい道に入り,道路脇の空き地に車を乗り上げた。「シュウサン」と言いながらコゾウがフロントガラス越しに指差す方を見ると,草むらの合間に白く古い石の欄干が見えた。


安平橋である。



夏の太陽の下,どこまでも乳白色の石畳が続いていた。安平の風景に立ってみたいと思っていた。漢民族の誇りを賭けた鄭成功が北伐の大軍を発したあと,本拠の守兵は手薄にならざるを得ない。それでも清軍は海戦に長けた鄭一族海軍を恐れ,アモイ島を襲うことはなかった。安平城が狙われた。清に寝返った隣国の軍に囲まれた城には,成功が平戸から呼び寄せた母まつがいた。



篭城軍は国姓爺の凱旋を信じてよく戦ったが,いよいよ落城というとき,虜を潔しとしないまつは城壁から身を投げて自害した。このころの中国史を追っていると,とにかく保身のため無節操に旗印を翻す軍人ばかりが目立つ。戦争は戦いというより,花一匁のような人取りゲームと化していた。そんな中だからこそ,まつの示した高潔は鮮烈だ。


日本女性,ひいては日本武士のイメージまでが彼女によって固定されたという。まつという数奇な運命を生きた美しい日本女性の終焉の地をボクは見たいと思っていたのだ。

安平城はこの橋の入り口付近にあったらしいことが帰国後にわかった。

「チイサイコロ,ヨクココマデアソビニキマシタ。」

途中にある石のあずまやで休憩しながら洪さんが言う。ドレミが石の欄干に腰掛けて遠くを見ている。そこから引き返すことにした。母が楽しそうに歌い出す。


「イッキュウさんイッキュウさん♪この橋渡っていけません♪」

ボクが小さい頃によく歌ってくれた歌だ。ボクも一緒に歌いながら歩いた。

「なぜなぜ渡ってきたのです♪」



「はいはいはーしは渡りません♪真ん中通ってきましたよ♪」

「なーるほど♪」「ぽぽん」

「なーるほど♪」「ぽぽん♪」


「そーれはまいったしくじった。あはおっほほあっはっはー♪」

洪さんや居合わせた中国人の観光客からも拍手が起こった。どもども,おそまつさまでした。母がにっこり笑う。


車に戻ると許さんが,みんなのために冷たい水をたくさん買って待っていた。

車は再び高速を北に向かう。丘の上に巨大な騎馬の鄭成功像が見えてきた。許さんたちも,この郷土の英雄のことを詳しくは知らない。



北伐に敗れ,優れた側近と母を失った成功は,もはや明帝国再建の情熱を失っていた。明の屋台骨は崩れ,政権に義は少なく,民衆の心が離れていることを悟ったのだろう。利に聡い豪族たちが次々に剃髪し,清に降ってゆく中,しかし成功だけは北方民族に屈する意思はなかった。



コロンス島にこもって再起の準備をし,1661年,突如,軍を発して台湾を襲った。オランダ軍が占領していた台湾南部の港町は,その後鄭帝国の本拠地となり,「安平」と改名された。


泉州インターを出て,またぞろ,ぐるぐると道を間違え,鄭成功の銅像が立つ丘をほぼ一周回ったコゾウがようやく,小さな商店街の食堂に車を寄せた。


「オフクロ」

とボクは母をつついて店の文字を指差した。ウインドウの文字に猪脚・狗肉・羊肉・田鶏とある。猪脚はトンソク,狗肉は犬,田鶏はカエルのことだ。



「うひゃー」

と母が大げさに驚いてみせるが安心なことはわかっている。許さんたちは長い付き合いなので,ボクたちの食べられないものは知っている。あまり知られていないが東京山の手あたりの原住民は食材のバラエティに乏しく,鶏や豚のホルモンすら食べる習慣がない。


洪さんがアレンジしてくれて,ボクらはいろいろな味を楽しんだ。ボクとしてはこの店の料理がもっとも中華らしくて口にあった。が,ボクたちのテーブルを見て仰天したコゾウが激しく洪さんに詰め寄っている。

「少なすぎる。ねえちゃん!ボクたちがケチだと思われたらどうするんだよ!」

てな感じだろう。


だが,ボクたちの食べられる限度が少ない。母などは包をひとつ食べたらもういっぱいであとは無理しているだけだ。何度も一緒に食事しているので洪さんはそのヘンの加減をよく知っている。コゾウはいらないところで張り切って,やたらに店主に追加注文した。全くギブアップ状態のボクらの前に虚しく料理が増えていく。コゾウもようやく事情が分かったらしく,ひとりで追加料理を食べ始めた。


よしよし,責任とって食べるのだ,若者よ。ちょびっと日本の若者(もちろんボクである)も手伝ってやろう。やせの大食いという。コゾウはかなり苦しそうだったが半分くらい平らげた。これで珍客に怯え気味だった店主にもまあまあ義理を果たせた。


「とても美味しかった。もしまた来ることができたら予備の胃袋持ってきます。」

洪さんの通訳だが意味は通じたらしく,店主はホッとしたようににっこり笑った。


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