10/泉州

Aug, 2006
開元寺

泉州は落ち着いた地方都市だった。どのくらいの規模だろうか。尾道,高岡,会津…そうだ,ちょうど会津若松くらいの町である。泉というくらいで,猪苗代湖と同じように美しい湖で知られている。


「ホントに湖行かなくていいか。」

「開元寺にするよ。」


コゾウが湖のリゾートを案内したい気持ちも分かるが,開元寺は1300年前,唐時代の建立である。中国最大の一対石塔も残っているとガイドブックにある。



門前町の通りがまたよかった。小さい頃,両親に連れて行ってもらった善光寺の門前がこんな感じだった気がする。懐かしいような感覚はあるいは錯覚かもしれない。

境内に入ると,また不思議な感覚に囚われる。




仏塔は確かに素晴らしい。寺の建築も優れている。それなのにこの感覚は何だろう。カメラのファインダを覗いていてようやく分かった。奈良や京都の寺にそっくりなのだ。外国にいるはずなのにあまりに見慣れて馴染んでいる視界に感覚がついてこなかったのだ。平城京も平安京も隋や唐の都市をそっくり真似て作られたのだから当たり前だ。ここに立つと世界遺産の法隆寺も薬師寺も模倣品として色褪せてくる。日本らしい寺や町のたたずまいは鎌倉時代以降ということになろう。



境内の散策はそんなわけでかなり退屈なものになった。外の参道や町並みの方がずっと珍しいのだ。その上今日も日差しが容赦ない。みんなに木陰で休んでもらう間にボクとドレミは飲み物を買いに外に出た。


正門の前に小さな間口の雑貨屋が並んでいるので入ってみると…あるある,コカコーラにスプライト,ファンタ。冷蔵庫にいっぱいの資本主義。ボクたちは両手に持てる限りの缶ジュースを買って戻った。プルトップが外れる懐かしいタイプだけど,ぷふぁー♪生き返る。


おもしろ写真集


コミカルな仁王さま。



これが噂の中国式個室



不気味な実がたわわになる境内の巨木



うーむ…。



筆を買っています。



一人っ子政策のためよく見かける。


 

媽祖廟と清源山

開元寺に来る途中に中心街で見たオレンジの美しいいらかが重なる寺がどうも忘れられない。


「時間があれば行ってみたい」

と,言うと清源山への通り道だと許さんが言う。


媽祖廟というらしい。写真ははばかれる雰囲気なので,望遠レンズで遠くから狙うと,地面に平伏して祈る老婆がファインダに飛び込んできた。紫煙の流れる炎天下の石畳で一心に祈り続ける老婆…光量は十分,8.0まで絞れる。ここで連写をかければ,1枚くらいは決定的な作品になると思って心が昂ぶった。


が,指が動かなかった。老婆の真剣さに気後れした。ボクはプロカメラマンにはなれない。



振り向くと,先輩カメラマンが早々と撮影を諦めて立って見ていた。ボクは母のそばに歩み寄りながら苦笑いした。いくら町にアイスコーヒーやスプライトが侵入してきても,物質文明が踏み込んではいけない場所もある。ボクたちはプロになれなくていい。


感傷にふける母子の後ろで騒ぎ声が立った。見るとコゾウがバンを歩道に乗り上げて向かってくる。廟は大きな通りに面しているのでボクたちがそれを横断しなくてすむように考えたのだろう。横断歩道のない道を6車線も横断するのは確かに父や母にはキツイ。が,花や線香を売る露店を蹴散らすようにせまい歩道を進んで来た車に衆目の中で乗り込むのも結構キツイ。

夕方の清源山には涼風が吹き抜け,森は美しい。日本で見たガイドブックの写真で,唯一ボクの目をひいたのが,この福々しい大仏だった。実は仏さまではなく道教の老師像で老君岩と言う。老君の体をなでながら願いごとをすればかなうという伝説もかわいらしくて気に入っていたのだが,今は柵ができてしまって近づくことができない。洪さんがおずおずと寄ってきた。

「ホントニ ワタシノ オトウサンノウチニ トマルノ イイデスカ」

「ご迷惑でなければ」

「メイワク ナイデス,オトウサンノウチ,ヒロイヨ。デモ,オフロ,ミズ,ヨクナイデス」

「かまわない。おじゃまします。」

旅費問題については最初にホテルで渡した元に加えて,全旅費を概算した額を許さんに手渡していた。母が用心のために持ってきていた円の現金が役立った。もちろん二人きりになるたびに,許さんがその封筒を返そうとするが今度はボクが取り合わないようにしている。だから「ホテルに泊まりたくない。」と言っても遠慮しているのではないことは分かってもらえるだろう。外国人観光客のために用意された空間ではなく町や村の空気を感じられる宿に泊まりたい。それが民家なら申し分ない。洪さんと今夜の予定を話していると,老君岩の脇にあるお土産屋さんで歓声が上がった。またぞろ母が何かしでかしたかと心配しながら行ってみると,輪の中心にいるのはゴイックさんだった。


店主が銅製の平たい器の縁を擦ると中に張った水がさざ波だち,やがてじゃぶじゃぶと暴れ出す。「心のキレイな男がやれば波立つ。」と,言う。早速,ゴイックさんが挑戦したというわけだ。


星空の民泊

大きな交差点から高速ランプに進入したコゾウがトヨタをバックさせる。

「コゾウ,もしも日本に遊びに来ることがあっても,ゆめゆめ車を運転しようと思うなよ。」

クラクションの嵐を浴びるのにも慣れてきた。

洪さんの実家がある南安市郊外の小さな町に入った。彼女の幼なじみが経営しているというレストランのことは東京でもよく聞いていた。


「イツカ,キテクダサイ。中国デイチバンオイシイリョウリゴチソウシマス。」

洪さん自慢の店なので,パスというわけにはいかない。連日の猛暑とご馳走のためにいささか疲れ気味の胃腸に喝を入れて,いざ入店する。が,アモイや永定と変わらぬぼんやりした味つけだ。




←これ,ブタさんのお鼻らしいんですけど。


メインの上海蟹が登場する。食欲がわかない。ピンチだ。と,そのときである。チョコの次に蟹を愛する我が蟹女(ドレミ)が猛然と蟹をバキュームし始めた。


たはは。助かった。お剥きしましょう,ぱりばりほじほじ。

傍目には妻の好物を食べやすくしてあげる睦まじい光景に映るだろう。


食事を終えて,ボクたちを乗せたバンは国道を外れ,石の坂道を小さな村に向かって下っていった。せまい!側溝の切られ方もランダムである。街灯も少ないが,さすがに自分の家の前である。コゾウは簡単に車を操り,石門のある大きな家の前に着いた。

「ニンハオ チューツージェンミェン」「チントゥオグァンチャオ」
「ニンハオ チューツージェンミェン」「チントゥオグァンチャオ」

指差し中国語で調べた「はじめまして。どうぞよろしく」である。長いのでドレミと前後半に手分けして暗記した。すぐに忘れそうなのでひたすら復唱を続けている。

洪さんが門を入ると人影が見えた。本番が近い。ひときわ大きく復唱してあとはつぶやく。と,車に戻ってきた洪さんが

「サキニ,ウミ ミマスカ?」

どうやら準備が整っていないのを察してボクはすかさず言った。

「海が見たい。行きましょう。」

その瞬間,中国語の方が抜けてしまった。石の街をさらに下ること1,2分で海に出た。


広大な干潟を月明かりが照らしていた。ここは泉州湾の一番奥にあたる。三脚がないので堤防の上にカメラを置いて数秒間露光する。その間も中国語の挨拶をぶつぶつと唱えていたので気づかなかったのだがボクがしゃがんでいた堤防の向こう側は3m近い断崖だった。



洪さんの実家は田舎の大農家の風情だったが,床も壁もぴかぴかの石でできていた。挨拶が終わると,客間に集まって,ひどく姿勢の良い洪父が烏龍茶を立ててくれる。


痺れるほどの旅情が突き上げた。ホテルでは決して味わえない雰囲気に酔いしれた。


洪さんのご両親



洪さんの心配していた水の便は確かに悪い。頼りない水量を桶にためてトイレを流す。風呂もシャワーも確かに水ではないけれどという程度のぬるま湯がちょろちょろと出るくらいだ。女性を優先したので,ボクなどはほとんど桶で水をかぶって済ませた。これも旅の風情だが,ボクの寝室はさらにディープだった。

客用に2つあるベッドルームを父母とドレミ母子が使い,洪さんは両親の部屋で寝ると言う。ボクとゴイックさんは許さんと一緒に階段を昇っていった。

「オクジョウデネマス。スズシイヨ。」

「えー!!屋上!?」

「ソウ。ワタシ,コウサンノイエニキタトキ,イツモ オクジョウニ ネルネ。」

本当にただの屋上だった。コンクリートにタオルを敷いて,許さんがごろりと横になって見せるので,ボクたちもそれに倣った。降るような星空を雲が流れていく。確かにエアコンのない屋内よりは過ごしやすいかもしれない。

「コイズミサンノ ツギハ ダレ,ソウリニ ナルヨ。ヤッパリ アベサン?」

許さんが唐突に切り出した。日本暮らしの経験を生かして,貿易関係の仕事をしたいという許さんにとって,日本の政治情勢は気になるらしい。自民党の総裁選は,比較的親アジア路線の外交政策を持つ福田さんが立候補を断念し事実上安倍さんに一本化されていた。どちらになっても2世のボクちゃん議員である。大差はないだろう。外国人に日本の政治状況を質問されるときほど恥ずかしい思いをすることはない。福田さんなら中国との関係も少しは良くなるかも知れないが安倍さんで決まるだろうとボクは答えた。

涼を求めて階段を昇ってきたドレミが,ボクのタオルケットに潜り込んできたがコンクリートの固さに驚いて寝室に戻っていった。

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