11/朝の幻影

Aug, 2006
幻影


ごーごーと風が一晩中吹きすさんだが,寒くはないしこの風速では蚊の心配がないのがうれしい。とは言うものの背中に当たるコンクリートの感触と許さんの高いびきで安眠というわけにはいかない。



何度目かのまどろみから覚めると空が紫色に光っていた。石の街の夜明けだ。



手元に置いてあった20Dを起ちあげてシャッターを切っているとゴイックさんが階段を登ってきた。背中の痛さに耐え兼ねてホールのソファにうずくまって寝ていたらしい。


空の明るさで紫色のシルエットになっていた石の街が,薄紙を剥ぐようにしだいに形を見せ始めた。

村の畑にはすでに働く人影がある。

「牛がいる。」

折しも斜めに差してきた朝日を受けて,役牛の背に汗が浮かんで輝くのが見えた。ボクは急いで身支度し,屋内への階段を駆け下りた。

母を誘って行こうと3階まで来たところで,路上から人のわめく声が聞こえた。牛のいる畑の方角からだ。せっかくのシャッターチャンスなのに,何かトラブルなら厄介だなあ。路上の男のわめき声がこちらに近づき,さらに甲高く,鋭い声を上げた。

その時である。


開けようとしていた寝室の扉がいきなり内側から開き,母が飛び出してきて,階下へ駆け下りてゆく。

「ワントゥー屋さんだ!」

窓から呆然と見下ろす門前に,桶を天秤に振り分けた男が歩いてきて,今度は確かに「ワントゥー!」と叫んた。



母の中で70年の歳月が時空を超えた。男に駆け寄る母はお下げ髪の少女だった。目をこすって見直した門口に,洪母が出てきて,戸惑うワントゥー屋さんに話しかけている。母の姿も元に戻っていた。ボクが見た一瞬の光景は幻だったのだろうか。


ワントゥーは蒸しパンのような食べ物で,台湾ではポピュラーな朝食らしい。母にはよっぽど懐かしかったに違いない。


ワントゥー屋が歩いてきた路地を逆に抜けて畑まで歩き,牛に望遠レンズを向けた。


「おふくろ,戦争が激しくなる前は,髪をお下げにしてた?」

ボクはファインダーを覗きながら尋ねたが,横で撮影に夢中になっている母には聞こえないようだった。あのとき,もう少し目を擦らすにいれば,少女の母は


「ワントゥー買ってー」

と,ボクに振り向いていたかもしれない。


忘れられた街


一度帰宅して,今度は身支度の終わったドレミを連れて石の街に探検に出た。



天秤棒に水を担いだ小さな子どもとすれ違う。洪さんたちのように,元々の住民は上下水道や電気の引かれた区画に新しい家を建てて住んでいる。



かつて住民たちが住んでいた古い地区の建物は,山岳地方から出稼ぎに来た石材労働者の家族が賃借りしている。だからその生活水準は半世紀前の暮らしだ。



生活用水を井戸から汲んでくるのは子どもたちの仕事だ。両親は早朝から現場で働いているのだろう。見かけるのは年寄りと子ども,それに乳飲み子を抱えた母親だけだった。



何という貧富の差だろう。



町をぐるりと回って帰る間にボクたちの後ろには,カメラに写りたがる子どもたちがぞろぞろと列を作った。シャッターを切ると,歓声をあげて液晶モニターを覗きにに集まり,また一列になる。彼らの暮らしと笑顔のギャップにボクは苦しんだ。


洪母が用意した春雨スープや包にワントゥーが加わった朝食は,ボクたちの許容量の10倍は軽くあった。



しかも,朝早くから料理自慢の洪母によって,ビッグランチの準備が進行している気配がある。さっきまで玄関脇の小屋で愛嬌を振りまいていた鶏が一羽,首を失って洪母に毛をむしられている。鶏をつぶすのは最大級の歓迎を表す。今日は胃腸の正念場となりそうだ。



となりの空き地に停めてあったハイエースをコゾウが転回しようとして,石材に乗り上げた。しまった。狭い路地の間だけでもボクが運転しようと思っていたのに,朝の喧騒で忘れてしまった。


下に付いていたスペアタイヤがステーごと脱落している。コゾウに指示して,ゆっくり車を前進させ,下にもぐってみた。なんて単純なステーだろう。蝶つがいと,両端を曲げた鉄棒一本で吊られているだけだ。日本では考えられない廉価仕様になっている。これなら直せるかもしれない。ゴイックさんと二人で鉄棒を成形して穴に合わせた。タイヤを持ち上げて,車載のプライヤーでねじ込むと,うまく固定できた。

コゾウ!感心してないで少しは手伝えよな。

空き地の中を前後に試乗してからキーをコゾウに渡した。暫くは慎重に運転するだろう。

光と影


午前中は許さんの実家を訪問することになっていた。東京生まれの二人の子たちも,ボクらの滞在中,そこに預けられている。ボクの母は出発前,春先から本当にあれこれと,子どもたちへのお土産を悩んだ末に,色鉛筆やクレヨンのお絵かきセットを持参してきていた。もちろん二人とも生まれてすぐに東京を離れたので,母の存在を知らない。

許さんの実家まで,車で数十分の距離だった。家は床,天井から壁や階段,手すり,システムキッチンにいたるまで,すべてツルツルに磨き出された明るい色の御影石で作られていた。さすがに石の街だ。日本でこんな家を建てたら,たぶん億単位だろう。


二人の子どもは,ぎこちなく挨拶したが,日本からやってきた一行への興味よりも,お母さんが迎えにきてくれたことが嬉しい。


揃って散歩に出かけた。


歩いて15分ほどのところに鄭芝龍の生家があるという。



子どもたちは少しずつ打ち解けてきたが,母親のそばを離れることはしない。ボクは絵を描くのが好きだというお兄ちゃんに

「大きくなったら,東京の大学に来るか?」

と,聞いた。彼はもじもじしながら何か答えた。洪さんが困ったように通訳した。

「ニューヨーク,イキタイ,イッテマス。」

確かに今の東京に留学するくらいなら北京の方がまだましかもしれない。


長屋風の門を構えた横丁があった。ボクが中に入りたそうにしたのを洪さんが目ざとく見つけて,長屋の入り口に座っている老人に聞いてくれた。老人は気さくな笑顔でボクにうなずいて見せた。



門を入ると,構造は石の街の長屋とそっくりで生活水準もどっこいだったが,木でできている分,ボクには少し温かみを感じられる。男たちが雀卓を囲んでいた。隣接する丘には石造りの屋敷が並び,アモイの郊外では高級マンションの建設ラッシュだ。Eクラスのメルセデスを乗り回して,日本製の家電に囲まれた生活がある。

 


巨大な牌



たぶん,共同の風呂場


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