OUR DAYS 2009/3才2009/6/9

日曜日の午後,八ケ岳しらべ荘に着くと,父は碁敵と縁台勝負の真っ最中であった。しかも6目置きという聞いたこともないルールながら,僅差で勝負を制していた。認知症は進行を止めることはできても良くはならないと言われるが,冬に東京にいたときに比べると信じられない回復ぶりだ。

今度は3時半過ぎ,母に声をかけられていそいそとファンファーレの鳴るテレビの前に行く。弟が朝から電話で興に乗せ,安田記念の単勝馬券を500円買わせていたそうだ。

1月に再び倒れて以来,日曜大工はもちろん,囲碁も競馬も読書も庭掃除も,およそ趣味と呼べるあらゆることにぱったりと意欲を失ってしまっていた。春に両親を八ケ岳に送り出す際,それがボクのいちばんの心配事だった。ところが母と二人きりで気ままに過ごす山での生活が,たった2カ月で父をここまで変えたのは驚異だ。

もっとも,回復に伴って,タバコやお酒も飲みたがるし,わがままも出てくるので,介護する母の負担は大きかろう。それに庭や畑の仕事には全く意欲を見せない。推測するに,父はもともと庭の作業が好きではなく,母に言われるまま期待に応えていただけなのだろう。去年まで一手に引き受けていた作業を,目の前で母が苦戦していようと,誰が手伝っていようと,全く興味すら示さないのは不思議を超えて無気味ですらある。

ふつうは慣れない嫁が危なっかしく草刈り機に振り回されていたりすれば,手を出さないまでも,口をはさみたくなるものだろう。脳の機能全体が低下しているのではなく,まさに部分部分がすぽっと欠落している感触がある。

畑や花は母が一人でこつこつと作っていた。ボクたちは機械で雑草を刈り,ハウスのトマトやきゅうりに「手」を設置するのを手伝った。前回の鹿よけネットやハウスの設置もそうだったが,作業は全て母のあやふやな記憶に頼って行うのでホネが折れる。「手」というのは,ツルを這わせる支柱やネットのことだが,実際の成長を見たことのないボクには,完成図が描けない。作業していてもインスピレーションが働かないのだ。

タローを川に連れて行く道々,なおみと山暮らしについて話した。そもそも自分たちの老後を想定して,しらべ荘を建てたのに,二人とも花にも畑にも全く興味がない。それがここに来て,急にそれらの作業を体験することとなった。

「悪くないな,こうした生活。」

ボクたちはリタイア後の生活に思いをはせた。ここでは時間がゆっくりと過ぎる。

夕方には父とマロンをなおみに任せて,近くのポイントまで母をカメラの撮影に連れ出した。が,母のストレスの方はあまり心配ないようだ。デイサービスを利用して,あちこち用を足しに出るのにも慣れてきたし,去年まで母が毎日のように巡回していた菊池華田はじめ,レタスのおじさんやほうれん草のおばさんなど,母が出られなくなった分マメに寄ってくれるようだ。相変わらず友だちやご近所も頻繁に訪ねてきてくれる。母の場合,山暮らしと言っても孤独ではない。

先週,東京から遊びに行った友人たちが帰るとき,母は急に寂しくなって泣きながら車を追いかけたらしい。だから一泊した帰り際,

「泣いて追いかけないの?」

と尋ねると,大仰に笑い,忙しいときにムリして来るなと強がっていた。

まあ,それでも今年はなるべくしらべ荘に行こうと思っている。母の気休めにはなるし,タローは大喜びするし,ボクたちも山暮らしの入門になる。


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