OUR DAYS2011年2011/12/29

「タローちゃんに何かお礼がしたいんだけど、何がいいかしら。」

暮れも押し迫ったある日、遊歩道の清掃員の女性が言った。去年の誕生日に大台に乗ったボクを「お兄さん」と呼んだあの人である。

清掃員は区のシルバー人材センターから派遣される。だから同じエリアを2年連続で担当されることは稀なのだが、彼女は春になっても変わらずボクとタローの散歩コースを担当していた。挨拶を交わすうちに、タローもすっかりなれて、彼女の姿を見つけると自分から駆け寄って行くようになった。彼女もタローをとてもかわいがり、いつも両手でタローの頭をくしゃくしゃになるほど愛撫してくれる。

「ガソリンが買えないので、タローは今週留守番なのです。」
「まあ、かわいそうに、タロー、余震がこわいでしょ、よしよし。」

「あしたからタローを連れて北海道旅行なんです。」
「まあ、よかったねー、タロー、行ってらっしゃい。」

「今日はタローの七五三で市ヶ谷の神社に行くんです。」
「まあ、タロー、おめでとう。」

…そんなある日、女性は、家で孫に見せたいから、タローの写真を1枚ほしいとボクに言った。ボクはすぐに子犬のときの写真を1枚、それから今年の夏に北海道で撮った写真と遊歩道で撮った写真を1枚ずつプリントして散歩のときに持って出るようにした。タロ散の時間はまちまちだし、女性の担当範囲は広いので、毎日会えるわけではないからだ。

数日後、写真を入れた封筒を渡すと、彼女は彼女でポケットから携帯電話を取り出した。家人に、写真をもらうのは悪いから自分で撮るように諭され、携帯写真の撮り方を教わって来たと言う。せっかくだから、ボクがその携帯でタローと女性のツーショットを撮影した。

「もう一枚」

と、言いながらタローの首を抱いて、彼女はとてもうれしそうだった。タローにお礼がしたいと彼女が申し出たのは、その次に会ったときのことである。

「それでは、タローはチーズがとても好きなので、あまり高級でないチーズにしてください。喜びます。でも…」

次に会えるのは年明け、それも半月以上先になってしまうとボクは言った。ボクたちは暫く、仕事の都合で出勤時間が早くなる。ちょうど清掃が始まる頃には入れ違いに家を出なければならない。

「急いで早く来るわ。出かける前に散歩に来るでしょ?」
「ええ、まあ。」

そして月曜の朝、約束どおり出勤前にボクはタローを連れて遊歩道に来た。何度か道を往復し、そろそろ戻らなければならない時間になった。

「タロー、行くか。」

家に帰りかけたときだった。遊歩道の端にチーズの袋を持った彼女が姿を現した。朝の空気に息が白い。

「はあ、はあ、よかった、間に合った。はい、これ。」
「ありがとうございます。よかったなー、タロー。お礼を…」

促すまでもなく、もうタローは地面に仰向けになって、猫じゃれポーズをしている。自分宛に何かもらったことがわかるのだ。

「すみません、もう行かなきゃ。どうぞよいお年を。」
「あ、ワタシはよいお年じゃないのよ。今年、主人が亡くなったの。」
「え!?」

ボクは暫く絶句した。

「そ、それは…、知らぬこととは言えすみませんでした。ご愁傷さまです。」
「辛い時期に、どれほどタローちゃんに元気付けられたか…」

そうだったのか。どうやらタローは全く知らないうちに、人さまのお役に立っていたようだ。

この冬いちばんの寒波のせいで、渋谷は日が昇っても氷点下の朝だったが、心は何だか温かだった。もらったチーズは人間用のものだが、少しずつなら食べさせたって平気だろう。

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