OUR DAYS2016年2016/3/29

春旅直前で仕事は講習中。決してヒマではなかったのだが,甘露な情報これあり。近所に住む母の知人…この方,母より3つ年上,いつも腰痛で腰を曲げて歩いていらしたのが,前日,しゃんと背筋を伸ばして訪ねて来たとか。ボクの腰痛の話を覚えていて,名医を見つけたから是非紹介するとのお話。「母」「母の知人」「名医」と,眉唾三拍子の単語が揃っている。…が,藁をもすがる現状なれば,いちおう医院のホームページを開いてみた。そして「ペインクリニック」という文字に惹かれた。痛みを取ることを専門にする麻酔のスペシャリストを連想する。場所はウチからバス停で5つ目の近さである。

電話してみると予約は不要とのこと。診察時間が間に合わなければ,あきらめてそのまま出勤するつもりの丸っきりダメ元で家を出た。久しぶりのバス待ち…この「ただ立っている」というのが現在,一番つらい。ほどなくバスが来た頃には右足が痺れ出して,ステップを上がるにも手すりにしがみついてにじる始末。入り口近くの優先席に座っていたお年寄りが,見かねて席を譲ってくれた。当然だが他人さまに席を譲られるのは初めての経験である。

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白いペンキ塗りのドア,懐かしいビニールレザーの長椅子。M医院の中は昭和だった。診療開始時間から小1時間がたっていたが,待合室にいるのは一人だけだった。小岩の有名病院では院長どころかぺーぺーの若造の診察でさえ,1時間前に並んで整理券を手に入れてから3時間待ちだった。東名高速で通った沼津の病院は予約患者であふれていた。

初診のカードに記入しながら,受付の人に前の病院で撮った「MRI」のCDを手渡すと,

「あらあ,要らないわ。ここは誰もパソコン使えないから,見られないのよ。」

…と,言われた。小岩の前の病院の老医師には,「最近のMRIデータがあるなら,初めからもらって来いよ!ウチじゃ,今,予約したって1か月先だよ!」…と,キレられた。沼津のゼツリン医師は持ち込んだ画像と,改めて院内で撮りなおしたレントゲンやMRI画像をじっくり見比べて「変わらないな」とつぶやいていた。

M医院の待ち時間はほとんどなかった。先客はボクが受付している間にほぼ診察が終わっていたからだ。診察室に入ると,M医師は,母と変わらないのではないかと思われるほどの老先生で,見かけから想定される通り,

「お!初めての顔だな。どーした,若いのに!」

…と,如何にもの大声だった。この手の名物先生が名医だった例しはない。小岩の前の前の前の老医師もこんな感じだったが,名物は口だけ,気休めに来ている老患者たちのアイドルで,診察も注射も恐ろしくウデが悪かった。

「ええ,実は…」

ボクはもう診療効果には期待せず,紹介してくれた母の知人の顔を立てることに軸足を移しながら病状を話した。ここ2年で5つの病院にかかっているので,ほどほどに話す術もわかってきている。小岩の小僧は「あんたの話の痛い所ががむちゃくちゃで患部が特定できないから治療方針も立たない」と,目をそらしながら吐き捨てるように怒っていた。その前の老医師は話はいいからMRI見せろの一点張りだった。ところがM医師は少々違っていた。一言も口を挟まずにじっと話を聞いている。促すように全部話をさせて,そのあとズバリと診断した。

「うむ,それは4番と5番の間の神経が圧迫されてるな。」

それは小僧や沼津のゼツリンがMRI画像を数十枚も見ながら下した診断と同じだった。

「じゃ,レントゲン撮るか。向こうのレントゲン室に入って。」

ボクの居た(1)診察室と(2)処置室は布の衝立で仕切られているだけで,その隣の(3)レントゲン室もほぼつながっている。外と内から移動するだけだ。

「はい,息止めて(カシャン),横になって(カシャン)」

帰りは「もう面倒だから…」と,内側から一緒に診察室に戻った。整形外科で麻酔を使ったのは日本ではM医師が最初,世界でも,

「ドイツ…じゃなかったイギリスだったかな…」

…の,某医師に次いで二例目だと言う。ホントならブロック注射の魁である。老医師の英傑談を伺っているうちに先生と同年代と思しき看護婦さんが現像したフィルムを持ってきた。

「ほら,こここだ。じゃ,うつ伏せに寝て,お尻出して。歯医者さんで歯を抜いたころあるね。よろしい。ブス!!!」

うぐぁー!!!

「まだ,麻酔のための麻酔だよ,今度が本番のブロックだ。ブス!!!」

うぐぁー!!!

「ここの痺れと痛みのほかに痛みのあるところは?」

一瞬,躊躇した。もう少し背骨の上の方にも痛痒の違和感があるのだが,それを言うと,沼津のゼツリンは「違和感は関係ない!!!」と,キレまくった。どうも,整形外科医は患者の話にキレやすいのではないだろうか。そんなことがあって,今いちばん痛いところ以外は口にしないようにしていたのだが,正直に痛痒のある箇所を説明すると,

「ああ,こっちは関節の炎症だな。薬が残ってるからサービス!!プス!プス!こっちからもプス!」

医院を出ると,出がけに曇っていた空が晴れ渡り,初夏のような陽気になっていた。お年寄りに席を譲られて来た5つ分のバス停を,帰りは歩いて帰った。少し痺れはあったが,痛みは1/10以下になっていた。ブロック注射のスペシャリストというのは真実だった。同じブロック注射を,去年,名物老医と小僧と2回受けたが全く効かなかった。ウデが段違いだ。深川の老医の危なっかしい注射は一回きりで病院を代えた。小僧は「効かなかった」と伝えると「もう,注射はしない!」とキレていた。

ここ2年で6つの病院をはしごした。ベッド,椅子,コルセット,クッション,靴,タイツ,体幹ストレッチに筋トレ…腰にいいと言われるものは何でも買って,何でもした。結論は「腰痛には治療法がない」ということである。我慢して筋肉を鍛え,軟骨や関節が再生するのを待つか,それとも外科手術かの二者択一で「治療」する手立てはない。これまでボクが受診した病院は全て「手術実績」を謳った専門医である。それはボク自身が痛みに耐えかねて,もはや外科手術しかないと思ってのことである。だが,どういうわけだか,どこの病院でも手術についてのカウンセリングはなく,とりあえず投薬やリハビリ,コルセットなどで様子を見るという段階を踏まなくてはならない。大きな病院ではそもそも手術をできる医師の診察を受けるには紹介状が必要で,さもなければ,下っ端医師の診察に1年ほどは通わなくてはならない。それはいい。一見の患者をいきなり手術できないというのも道理である。

が,それなら医者には「今の痛みを取ってくれ」と言いたい。薬もリハビリも痛みを緩和する措置であって治療ではない。腰や背骨を治す薬はたぶんない。痺れが来るようになってから,5分ほど立っていたり,コンクリートの道を少し歩いたりすると,腰に鋭い痛みが走るようになった。しゃがみこんで,じっと耐えると,ちょうど筋肉をつったときと同じように徐々に回復する。それが日に10回ばかりある。これはもう切実な辛さである。精神的にもぎりぎりで,ときには萎えてしまうこともある。医者は薬を出して「1週間ほど様子を見ましょう」と簡単に言うが,それがどれほど辛いことなのかリアルに想像できていない。

ボクがいちばん長く我慢したのは小岩の医院だった。最初は「リリカ」というカプセルの神経鎮痛剤を1×3/日処方された。次は倍の2×3,ブロック注射に失敗して4×3,…医者は最高8カプセルまで処方できると笑っているが,たいへん高額の薬だ。たとえ3割負担でも毎日24カプセルも買い続けられるものだろうか。おまけに極めて強い副作用がある。最初から副作用はあったのだが,乗り越えようと思った。それほど痛みが辛かった。4カプセルになってから,めまいで仕事中に二度倒れた。二度目は昏睡して事務所の床に倒れたまま,3時間ほど動けなかった。私見だがリリカは危険だと思う。いつの間にかテレビコマーシャルも見なくなった。チャンピックスと同じく,F社が,ヨーロッパで禁止されるなどして売ることができなくなった在庫をアジアで処分しているという噂もあるらしい。服用をやめ病院を代えた。東名高速で沼津まで通い始めた。今,この瞬間の痛みをなんとかしてくれ。…と,願ったが,今度は血流をよくする薬を処方されて2か月間様子を見ると言われた。

近所の名医に出会ったのはそんな折だった。注射をした翌日の深夜から予定していた春旅に出た。行き当たりばったりに訪ねた但馬の竹田城跡は,最近急に人気が出たとかで一般車の通行が規制されていた。登山口までの送迎バスには犬は乗せてもらえない。タローを連れて,麓の駐車場から頂上まで踏破した。多少,痛みや痺れがあったので,念のために何度か座って休んだが,あのつるような痛みは来ない。下山してから向かいの山の展望台まで三脚を担いで登った。最近のボクの様子を知る人には奇跡に思えるだろう。しかも日数を重ねるごとに痛みは少なくなった。3日目には途中まで犬の乗せられないリフトが敷かれた津和野城跡を,やはり麓から登った。

むろん,ブロック注射も治療ではない。キリで刺されるような痛みは消えたとて,普通の腰痛持ちに戻ったに過ぎない。養生しながら,食事に気を付け,筋トレして腰を保護する必要がある。だが,いざ,どうしても痛いときは注射があるというのは心強い。

ちなみにリリカの副作用には肥満もあるそうだ。リリカを服用し始めてから4kg増えた体重も,今月に入ってようやく減り始めた。脊椎管の保護にはまず何より体重を減らすことだ。

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