OUR DAYS2017年2017/3/31

準備は二週間前から始まっている。Fくんがブレイドのチェックがてらプラグの交換に来た。昔は彼の指導のもと,トレノやFXのプラグを抜いてはよく紙やすりで磨いたものである。

 



「今どき,素人じゃなかなか抜くだけでも難しいっす。」

旅は見た目も重要だと,スポイラーの傷を補習してくれる。

いつもの風任せの旅と違って今回は最初の行き先が決まっている。去年の地震で被災した従兄の家と熊本城を訪ねる。


焼酎好きの従兄をうならせるためのお土産は,ここ四谷にある老舗で教わって買う。伯父が長年行きつけの店だ。


チョコレートに目がない義従姉のお気に入りも整える。


衣類担当なおみの準備は一週間ほど前から始まる。とりわけ,タローと一緒に一眼レフの被写体になることを求められる彼女自身の着替えには手間がかかる。

準備の苦労がしのばれる。


30日夜23時10分,仕事を終えた職場から直接出発。首都高3号線の事故渋滞を避けて,4号から中央道経由を選んだ。


そのため道中,春の宵とは思えないほど寒い。


夜明け前に名神高速に入った。


大あくび。


京都南で工事渋滞。


なんとか朝のラッシュ前に中国道から山陽道に抜けた。


広島に入ったところで朝食。尾道ラーメンと聞いて懐かしさからつい一つ注文してしまったが,朝から背脂みっちりの豚骨スープは厳しかった。が,この店は尾道ラーメンが評判らしく,ほとんどの客が朝食にラーメンを食べていた。


二度目の給油。148円。一般のスタンドと22円も違う。


宮島パーキング

雨が強いので,植え込みに車を寄せて,一人でワントゥ(小用)に行かせる。タローも雨が嫌いなので用が済むとすぐに戻ってくる。数年前の同じ日は桜が満開だった。


今日は冷たい雨が降り続く。


11時。山陽道最後のSAで休憩。雨でも大きい方のときは一緒に行って拾わなければならない。なおみがタロ散しながら面白いものを見つけた。


上り線エリアへの連絡通路,その案内看板にシャワーステーションと書いてある。シャワー室があるのだろうか…。

とにかく行ってみよう。


あこがれの長距離トラッカーなどが利用するのだろう。女性用もひとつだけある。何しろスポーツに近い仕事を終えてそのまま夜通し運転してきた。…使ってみようよ。


10分200円。清潔なカプセルのような個室になっている。


お湯が出ている間は時計が進むしくみである。これは節約せねば…と思って髪と身体をざっと濡らしてからお湯を止め,シャンプーして体を洗ってから1回目のすすぎ,リンスして髭をあたって2回目のすすぎをすると,まだカウントが残り9分だった。


ツーシャンして,手拭いでもう一度全身洗いながら,ついでにカプセルの中をキレイに濯いでみたが尚8分の表示。

諦めて出てくると,なおみも8分残ってしまったというから二人で大笑いした。


篠突く雨の中国道。従兄のキクオちゃんと熊本インターで待ち合わせているから急がねばならない。


関門橋を渡った頃から雨は小降りになり,やがて上がった。ボクたちはふだんの行いがよい。天気予報によれば九州南西部だけが雨を免れているようだ。


SAで予定の時間より30分遅れることを連絡し,タローにはワントゥを強制。駐車場もトイレも仮設でとても不便である。途中には閉鎖中のものや施設が使えなくなっているパーキングがたくさんあった。何事かと思えば,そういうことである。公共施設でも復興はなかなか進んでいない。


インターの出口に,愛車の4WDワゴンではなく,「長男の軽で迎えに来ている」とキクオちゃん。

「こちら赤いトヨタです。そっちは?」
「何ていうか何て言ったらいいかわからん色なんよぉ」


ランデブー後,モコの助手席に乗り移ったなおみにキクオちゃんが苦笑いして言う。

「もうちょっと若者らしくはっきりとした色の車にすればよかたいにねえ。」

そう言いながら夫婦揃って子どもたちを溺愛している。幼い頃は躾けに厳しそうな両親だったからその反動なのかもしれない。傍から見ると過保護すぎて心配になるほどだが,よくしたもので兄弟二人ともかえってしっかりした青年になっていた。あえて言えば真面目すぎるのが欠点かもしれない。地震で自宅が被災したときは,この長男が当時住んでいた人吉から寸断された道路の渋滞に耐えて食料を運んだ。

モコが突然道路の反対側にある郵便局の駐車場に飛び込んだ。先導しているという自覚がない。熊本市内は路面電車の軌道が入り組んでいて慣れないものには横切ることすら恐ろしい。


郵便を出しに来たわけではない。


キクオちゃん,どもども♪お久しぶりです。

ここは洗馬橋。


あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ
熊本さ 熊本どこさ



せんばさ♪



せんば山にはタヌキがおってさ

せんば山はどこにあるのかずっと気になっていたが,震災直前のブラタモリで市内にあることが紹介されていた。

実際に来てみるとせんば山は川越の仙波山とする説の方が説得力がある気がする。どう見てもここは江戸時代から町場で,猟師がタヌキを追うのは無理がある。…が,いいのである。せんばは「熊本どこさ」である。坪井川の土手がせんば山なのである。

洗馬橋の上からせんば山(推定)越しに熊本城の天守閣が見える。


くまモンと一緒にイザ城へ。


一口ずつお願いします。

じゃーん♪
これでボクたちも晴れて復興城主となった。

下ぁにぃ~下に!


一口1万円の一口城主が,震災後,熊本城の復旧に募金できる復興城主という制度になった。全国から続々城主の名乗りが上がって,城主手形の発行には数か月待ちになっているそうだ。


さあ,城主として城の復興状況を視察にでかけよう。


キクオちゃんのノーブランド(…たぶん)アウトドアファッション,なぜか熊本の景色の中ではやたらカッコいい。

清正公築城時から残る隅石一本で本震に耐え倒壊を免れた飯田丸五階櫓。今は鉄骨に支えられて修復を待っている。

倒壊した未申櫓奉行丸の石垣

薬研堀には細かくナンバーが書かれた石が並んで置かれている。元の位置に戻るまでには気の遠くなるような作業が必要だろう。

二の丸広場から傷も痛々しい天守を臨む。現在,城主と言えどもこれ以上近づくことはできない。

瓦は落ち,鯱も失ったまま。

雨模様ということもあってか遠望してその姿を嘆く半数は外国人観光客である。

彼らのような爆買いはできないけれど,くまモングッズやお土産をいっぱい買いこむ。貧乏城主のできることはこれが精一杯。

従兄の家は幸い一昨年ばーんと新築したばかりだった。築410年の熊本城とは違い,耐震構造の最新技術のおかげで内壁にヒビが入った程度の被害だったが,それでも物は散乱し,断水も長く続いたそうだ。みな前震の被害の片づけをしてたところを本震に襲われたので,ショックも大きかったに違いない。


玄関にはボクの名(迷?)作「崎津天主堂/油彩F6号」が置いてあった。やはり揺れで落下したがガラスも割れず無傷だったそで,内壁の修復が終わったらまた飾ってくださるそうだ。かれこれ20年以上前,真夏の草むらに蚊取り線香を焚いて現場描きした若き日の想い出の作品だ。描いている間,なおみは何して過ごしていたのだろう。


義従姉の心づくしの餃子にサラダに牛肉と根菜の煮物,リクエストした南関揚げに握り寿司に押し寿司に辛子レンコンに…



どわー!!

こんなに山盛りの馬刺し見たことないよ。以前は苦手だったがこの従兄に美味しさを教えられた。


飲んで食べて飲んで食べて…。


大好きな従兄と義従姉が操る熊本弁。ウルトラ睡眠不足の脳を焼酎が直撃してへべれけ。それでもボクたちの熊本の夜はなかなかどうして眠らない。

NEXT