OUR DAYS2017年2017/4/8

老ミネギシ医師がMRI画像を見た途端に治療方針を手術に傾けたことは以前に書いた。たぶん,1年前の初診のときもその後もボクの様子を見てそれほどの状態とは思っていなかったのだと思われる。

ボクは痛みに慣れていた。

すっかり意気投合してしまって,風邪をひいても整形外科たるミネギシ医院に行く母から,ボクがあまりに痛がっていると聞いてMRIを見てみる気になったらしい。そしてその画像を見た次の診察で,大学病院に紹介状を書いてくれた。

「このドクターはね。日本で二番目に手術が上手な後輩だ。」

17040801.jpg

その後輩は大学病院の学部長だった。診察室で順番待ちしていると,ヘルニアの大学生に居酒屋のバイトはやめて勉強に集中しろとか,常連らしきお年寄りには酒をやめろとか横柄な大声が廊下まで響いてくる。

また,この手のドクターか…

だが,去年の網膜剥離で人柄と手術の腕が無関係なことは学んだ。いい子にしなければならない。ミネギシ師が決断したのだから,ボクも手術を覚悟している。

診察室に入ると,意外にも初対面の患者には丁寧な言葉を使う。持参したMRIを見たときの反応はミネギシ師と同じだった。そしてこう言ったのだ。

「ずいぶん痛かっただろう。長いこと我慢しちゃったね。」

ボクが受診した専門医はこの2年でミネギシ師を別にすると6人目だった。深川の名医師,母の膝を魔法のように手術した一之江の神さま,すぐに切れる小岩の非常勤医,診察のたびにリリカの処方量を増やしていくだけだった小僧,人格の危ない御殿場の専門医…その誰もが一度として患者の痛みに思いを致す言葉を発した記憶がない。ただ一人,この部長だけが,痛いだろう,何が辛いですかと言ったのだ。

17040802.jpg

いったん,レントゲン室に行き,再び診察室に行くとき,どうしてもこの先生にすぐ手術してもらおうと決めたが,決意するまでもなかった。戻ると部長は

「大事な話…」

と切り出した。手術の日程の相談と検査や予備診察の手順の説明だった。

17040803.jpg

 手術のためにできるだけの検査や手続きをして帰ることにした。胸のレントゲンとか肺活量とか手術とどう関係あるのかと思いながらも,愛想よく病院中を回った。4時間弱かかった。疲れた。

夜を待たずになおみが入院中の代役を手配した。昼の時間は親友のチョコちゃんにムリを言って頼んだそうだ。

病院への往復,中野通りを使ったが,桜の時期に哲学堂の方まで行ったのは初めてだったので,桜並木の規模に驚いた。なおみにも見せたくて,仕事が終わってから,高速を使って夜桜を見に行った。タローは迷惑そうだった。

17040804.jpg

NEXT