OUR DAYS2017年2017/12/14

泣き明かした朝,ボクらはタローの病院に行った。今後の治療方針を相談するために予約されていた面談だった。 タローの病気は「拡張型心筋症」だった。胸水を見てそれと気づいたドクターがエコー検査して遂につきとめたのだが、症状は末期で手の施しようはない。診察台のモニターに生きていたときのタローの心臓が映し出された。涙でぼやける心室が弱々しく動いていた。

タロー、辛かったろう。

左心室は押し出せない血液が溜まって壁が歪むほど膨れ上がっていた。体がだるい。たまった水が血管から漏れる。喉が渇く。とくに喜んだりして興奮すると胸が苦しくなる。思い当たることがたくさんある。

「だーだーだーだ」と言うのがあった。外出先から帰ったボクを留守番していたタローが出迎える。むしゃぶりつく,仰向けになってジタバタし,尻尾をばんばんと振る。ボクは怪我をしないようにサポートしながら全身をこちこちょとくすぐったり揉んだりする。ゲームのような音楽を口ずさみながら耳の後ろや背中や足をさすってやる。30分ほどの不在でも欠かせない帰宅時の儀式を母があきれて「だーだーだーだ」と名付けた。ボクの口ずさむ音楽の節である。それがここ二月ほどだろうか。よろよろと歩いてきて手を広げるボクの膝元にへたりこむだけだった。ボクがそっと体を撫でてやると,まるで仕事が終わったかのように立ち上がってハウスに戻って行った。

誰か犬好きな人,特に初めて会った人には本当に突進するような愛情表現を見せる。それが最近は数秒で終わり,まるでそっけなっく見えるほど横を向いて離れてしまった。嬉しかったんだ。その人が好きだったんだ。だけど興奮すればするほど胸が苦しかったんだ。

医師はさらにこの状態を診て先天的な心臓の弱さを指摘した。ピークを過ぎてから,長い距離を泳がなくなった。あんなに好きだったボールフェッチも数回でばててへたり込んでいた。挙げればきりがない。もっともっとやりたかったのに心臓が苦しかったんだ。

さらにこの心臓の状態でここまで長生きしたことは奇跡に近いというようなことを医師は言った。それは成人病のかけらも出させなかったなおみによる健康管理と,どんなに食いしん坊でもボクたちの与えたものしか食べなかったタローの性格によるのだとボクは知っている。

もう少し早くこの若い医師が心臓の状態に気づいていれば,前日の治療でも胸水を徐々に抜いていくというほどのしたたかさがあったなら,或いはタローはもう半年くらい延命したかもしれない。だがそれだけのことだ。この弱い心臓はタローに12年間血液を供給するのが精一杯だったろう。医師は全力で治療していた。「息遣いが荒いんですけど…」というなおみの話を真剣に聞き,呼吸器の専門医と相談し,携帯電話で病状を聞いてきたりした。彼のスキルや経験はまだまだだがタローの最期を託すに足る医師だったと思う。少なくとも行くたびに医師の顔ぶれが変わり,担当医の決まらなかった以前の大病院よりは良かったと思う。ボクらは蕭然とする彼に心から感謝の言葉をかけ,二度と来ることはない動物病院を後にした。

この半年ほど,タローがボクらに示した愛情はどれほどの辛さに耐えてのものだったのだろうか。

NEXT