OUR DAYS2017年2017/12/24

ここ2,3年狭窄症が悪化してからボクは重いものを持ったことがなかった。ことに今春手術してからは真っ直ぐ立つことすら難しい日々が続いていた。力仕事はすべてなおみがしていた。

タローの火葬には葬儀社の車が家の前まで来てくれることになっていたが,問題はその車までは飼い主が運ばなければならないことだった。タローは全盛期よりは5kgほど痩せたが29kgあった。なおみと母では運ぶことができない。ハウスごと三人で吊って運ぼう。どうしてもムリなら葬儀社の人に助けてもらおうと前夜泣きながら話し合った。

眠れぬその夜にボクは「どうしても最後に父親らしくタローを抱いて送りたい」と強く強く思った。果たして翌朝,起きたときから腰の痛みをほとんど感じなかった。そして30kgの遺体はボクの腕の中でスッと持ち上がった。すたすたと車まで歩けた。タローを送り出した後,直立して前屈運動して見せた。母もなおみも驚いた。もちろんボクも驚いた。痛みが完全に消えたわけではないが前日までは3分立っているのがやっとだったのだ。明らかにステージが変わった。

「タローが痛みを持って行ったんだ。」

母はそう言って泣きじゃくった。ボクは科学的人間なのでそうは思わないことにした。ボクの手術は完全に成功していてCTやMRIを精査しても神経への圧迫はない。だから鋭い痛みや足の痺れは神経と中枢神経の錯誤に依るところが大きい。そこへタローを抱き上げたいと言う強いメンタルの働きがあった。神経系に作用したとしても不思議はないだろう。

ボクは定期検診の際に主治医に事態を正直に話した。学部長は真剣に話を聞き,それから診察台で右脚を回したり,腰を触診したりした。そしてこともなげに言った。

「愛犬が痛みを持って行ったんだな。」

この診断は狭窄症の権威たるN大医学部の学部長によるものである。

「今日は注射はなしだ。来年早くにまた様子を教えに来なさい。」

ボクは教室の掃除に復帰し,簡単な料理をできるようになり,弔問客の応対に5分も10分も立っていられるようになった。だけど…

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だけど,タロー。パパは歩けなくてもいいからお前にあと半年生きていて欲しかったよ。

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