2月22日/津南のお母さんとメグ
一族の子たち5人全員が生徒だった。
空が来る
税理士のスズキさんがアリマ先生
夜,一緒に花束を持って来てくれた。
「授業を観たい」
とおっしゃる。すでに整理手続きに入っている株式会社への訪問である。
もはや仕事ではないだろう。この二人に何度も助けられた。
スズキさんとの出会いはボクらの人生で最大の幸運と言っても過言ではない。
ボクは32年間取締役社長の職にあったが,本当にボクを「社長」と呼んだのもこの二人だけである。
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2月23日/中3お別れ会
3年間ずっとマスクでの通塾だった。
「昨日,入試が終わってもう感染も怖くない!!今日はマスクなし,素顔でお別れしよう。」
なんてかわいい子たちなんだ。
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2月24日
職場から運び出すボクの私物は段ボールひとつの水彩道具だけ。
こちら,イメルダなおみ。シュシュだけでこれだけある。
チョコは段ボール箱3つ。
移転開校直後に購入したバインダーと電卓はとうとう21年現役だった。
一昨年亡くなった大家さんの奥さんの肖像画はまだ絵具も乾いていないギリギリの仕上がり。
これを持って挨拶に行った。
この日,最後の授業。
特別なことはせずに坦々と過ごそうとしたが,子どもたちが次々と手紙やプレゼントをくれた。
中1の子たちは寄せ書きまで作ってくれた。最後に予定外の「君との日々よ」を歌った。
授業が終わってもほとんどの子が帰らない。水彩画を好きなだけ選ばせてプレゼントした。
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2月25日
お別れ会を終えたはずの中3が全員お手伝いにやってきた。
なおみがコツコツと片付けてきたのでそんなに仕事がない。
仕方がないので自宅から油彩の道具やキャンバス,額縁などを持って来た。
筆の担当はあやね。
なおみ先生のデスク周りはカホ
楽器係のみゆとみか
途中でしゅんが来た。もっとも熱心に授業を聞いた子だった。
戸山高校から慶応にすすんだ。
リョウコは月末に大学の友だちと旅行に行くので教室に来られるのはこの日が最後。
中3の子に混じって水彩画を選んで帰った。
リリも来る予定だったが,免許合宿の仮免のテストに3回不合格になって帰れなかった。
食器の梱包
こちら最もハードなキャンバス,額縁班
30才になり,すっかりいいパパになったしょうたが子どもを連れて会いに来た。
教室が好きだったモモちゃん。前日お別れしたばかりだが,連絡すると絵を取りに来た。
けんたが来た。
亡くなったダイゴの弟でゴールデンのハチの兄。
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2月27日
引っ越しの手伝いバイトを頼んだのはちょうど空いていた東大生のこうき。
ところが土曜日の中3の大量お手伝いで荷物が倍増してしまった!!人選を誤ったか(笑)
そこへひょっこり
「今日は休みなので何かお手伝いありませんか」
…と,ドラマのような展開でゆうすけ登場。
思えばボクたちの30年間はいつもこうして驚くほどいいタイミングで誰かに助けられて来た。
ついでに運ぶ幡ヶ谷の荷物もずんずん詰め込む。
レンタカーにはショートのアルミトラックを予約したのに,空きがないため
「ロングのパワーゲート付きをショートのお値段でお出しします。」
という幸運にも恵まれた。結局パワーゲートにはとても助けられ,荷物もロングにいっぱいとなった。
快晴。春のような陽気の原村。
英語の先生と東大生というぜいたくな荷役。
ゆーすけはこうきを乗せて自分の車で往復してくれた。彼がいなかったらどうなっていたことやら。
ほとんど楽器と画材。
帰りの中央高速が事故渋滞でレンタカーの返却時間のぎりぎり10分前に着いた。
教室の前に車があったのに気づいた中受験生のここなが挨拶に来た。
後ろに立っているのは小学生ではない。3年前にビッグな合格を勝ち取った姉のひかりとお母さん。
はい,こちらもせいおんとママ。
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2月28日/ちかたちの学年の女子が勝手に同窓会
いよいよ教室の最終日。
賢治が来た
英語の先生になっている。
ゆうか三姉弟のママ
最後の受験生のひとりソウタまで10年以上のおつきあいになった。
涙を流してお餞別をくださった。
什器の運び出しとプリンターの搬出が重なって大忙し。
サボっているように見えるが…。
実はこの日が絵本の作画の締め切り日でもあった。
高校入試と引っ越し準備,会社の抹消。そのすべてと並行して絵を描き続けた。
机も椅子も本箱もなくなってがらんどう。
なんといつものケーキ工場直売所で最終日に端切れをゲット!!
すっかり掃除も終えた。
不動産屋さんのミウラさん
レッピーが転げ込んできた
第一回のニューヨーク組のひとりである。
文房具屋さん
わざわざ寄ってくれた。
「今日が最後だと伺ったので」
夢のあと
21年前,窓ガラスに顔をつけるようにして
「ここにボクたち二人の教室を作ろう」
と決めた日がつい昨日のようだ。
最後に大家さんが花と餞別を持ってきてくださった。
タローを喪くしたとき,香典をくれたのも大家さんである。
帰宅して深夜まで絵を仕上げた。デジタル画とスキャンしてもらった水彩画を合わせる作業が残った。
23時50分。データ便で約束ぎりぎりの入稿。
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March 1
会社を閉じる書類に署名捺印して司法書士さんに送る。
夕方,ピアノの搬出に立ち会うために教室に行った。
約束の時間までまだ間があったので,最後にタローの散歩道を歩くことにした。
横断歩道のところで駅の方から丸いかたまりが飛んできてなおみに抱きついた。
リリだった
運転免許合宿の実技試験に落ち続けて閉校に間に合わなかったのが,
今週,一気に卒検を終えてちょうど帰ってきたところだった。
何という偶然だろう。
タローを連れて毎日歩いた河川敷。もう二度と来ることはない。
街が夕焼けに染まってお別れを言っているようだった。
後ろに見える茶色い建物の1階がボクらの教室だった。
21年前,江東区に狙いをつけてマーケティングした。この駅もいくつかある候補のひとつだった。
この階段に座って休憩しているときにテナント募集中の張り紙があるのをなおみが見つけた。
「ああ,会えてよかった。」
さきが花束を持って来た
教室は電気も水道も2月いっぱいで止めていたので顔を見るために外に出なければならなかった。
「ピアノとのお別れに弾いてもいい?」
懐中電灯の灯りで演奏を始めたとき,表にトラックが入ってくる音がした。
ボクたちの最後の私物が運び出された。