August 5th/2020

植木屋平五郎宅跡/四谷大木戸跡

職場からの帰り道。23時の外苑西通りに一時停止しジャイアントをオーリスの屋根から下ろす。深夜サイクリングの手始めは四谷の「植木屋平五郎宅跡」からスタートすることにした。近所なのになかなか行く機会がなかった場所だ。

四谷~幡ヶ谷 距離: 4.9km



お光(姉)はこのとき、やっと総司がふとんの外に右手を出している意味がわかった。
「総司さん、風邪をひきますよ」
といいながら、そっと握り、ふとんの中に入れてやった。


「早く元気になるのよ。よくなってお嫁さんを貰わなければ」
総司は返事をしなかった。

~「燃えよ剣」より

沖田総司が療養(潜伏)先のこの地で息を引き取ったのは1868(慶応4)年5月30日。



2週間前に板橋で近藤勇が処刑されたことは知らずに逝った。

壬生の戦いに敗れて負傷した土方歳三は会津へ後送されている。この若者が病を得ずに歳三と行動をともにできていれば戊辰戦争はもっと長引いたかもしれない。あるいは結果も違っていなかっただろうか。



享年25才。臨終の際,庭に来る黒猫を斬ろうとして佩刀菊一文字を抱いていたと伝わる。

背後の森は新宿御苑…当時は内藤駿河守屋敷。植木屋平五郎宅の裏には渋谷川には水車が動き,池尻橋という橋が架かっていた。


北進して甲州街道との交差点に大木戸門跡がある。1616(元和2)年に幕府によって設けられた。江戸と呼べるのはここより東,代々幡村にある我が家はもちろん現在の新宿駅も江戸府外ということになる。


石碑は暗闇にあった。文字が写らないのでカメラのシャッター速度を5秒に設定し,露光中にコンマ数秒だけ自転車から外したライトを当てた。数回試行錯誤した。通りがかる人があれば不審者のそしりは免れなかったやも知れぬ。



1653(承応2)年には玉川上水が開通し大木戸脇には水番所が併設された。こちらの石碑は巨大である。

現在の甲州街道はここから新宿駅南口に向けて御苑の下を貫くトンネルに入り,自転車の通行は禁止されている。


そこで自転車はこの石碑のある新宿通りを走らなければならない(写真奥が新宿駅方面)。新宿御苑トンネルができたのは1991年のこと。ボクが学生の頃まではこの道が甲州街道だった。明治通りのところで直角にクランクしていてよく渋滞したのを覚えている。

四谷大木戸跡から幡ヶ谷の自宅まで30分弱だった。小学生の頃,淀橋浄水場跡の公園までときどき自転車で遊びに来ていた。当時樹立した自転車最長距離をあっさり更新したことになる。