August 15th/2020

深大寺 MN5

この日,東京の気温は早くも午前中に36度を超えた。帰宅したのは10時前。MN5(マジ熱中症5分前)!危険な真夏のサイクリング。

幡ヶ谷~深大寺往復 距離: 26.8km



短い夏休みの初日。ボクたちは6時に起きてサイクリングに出た。行き先は奈良時代創建の古刹深大寺である。



甲州街道,井之頭通りの交差点。

ドレミにはまだ2度目のサイクリングとなる。



甲州街道にはところどころ自転車専用レーンが取られているところがあって走りやすい。



ワコールのCW-X(タイツのようなパンツ)は5年ほど前,脊柱管狭窄症の痛みに耐えかねて買い漁った腰痛グッズのひとつである。ひょんなところで役に立った。ジーンズと違って足がとても楽に動く。しかしボクが履くと見た目は少々ビミョウである。



仙川駅を過ぎてキューピーの工場からつつじが丘にかけて急な下り坂になる。それを避けて甲州街道を北西に外れ住宅街の中に入ったがやっぱり下り坂はあった。



そして下れば当然その分を上らなくてはならない。



「乗り方,上手になったよ。見てて。」

こちらもビミョウである。



中央道の跨線橋を越えた。下り車線は渋滞が始まっている。原村でひとり暮らす母が心配ではあるが,この夏休みに出かけるのは自粛することにした。



深大寺の参道が見えてきた。



東からも南からも参道の坂道がキツイ。

深大寺は立川段丘と武蔵野段丘を分ける国分寺崖線の斜面に立地している。



不動の滝

国分寺崖線は豊富な湧水に恵まれている。



深大寺境内に点在する美しい池を作っているのも国分寺崖線の湧水である。



参道はどこもそば屋さんが立ち並び自転車を停めにくい雰囲気だった。そこで境内にひいて入り端の方に停めさせてもらった。まだ自転車の置き場所に慣れない。



山門は江戸時代初期に再建されたもの。

境内にはいたるところにコロナ対策を促す貼り紙が掲げられていた。



おびんずるさん(インドの僧侶賓頭廬尊者像)もマスクをお召しになっている。



1733(天平年)年,満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝えられるが江戸時代に二度の火災に遭い,本堂などの建造物は大正時代のものである。



室町時代に鋳造された重文の梵鐘は釈迦堂に保存され現在の鐘は2001年製だそうだ。



遠山に日の当りたる枯野かな

高浜虚子の句碑…遠山に…は26才のときに詠んだと看板にある。26才で枯野に日を当てるとは何たる才能であろう。還暦近いボクはまだ油彩でも水彩でも枯野の作品はない。



竹ぼうきで掃除する若いお坊さんに
「おはようございます」
と,声をかけられた。深々と頭を下げて挨拶を返した。それだけではるばる参拝に来た意味があるように思えた。



さて深大寺蕎麦である。前夜に調べたところでは参道の蕎麦屋は揃って10時半の開店だったが,南の参道を下ったところの農産物直売所内に立ち食いそば屋があって,朝6時半から深大寺そばを供しているという情報を得ていた。



グーグルマップでは営業中となっていた。ところが行ってみると直売所は準備中だった。通りがかった親切な人の話ではコロナ禍のために9時半開店になっているとのこと。蕎麦屋の開店も同じだろう。とてもそれまでは待てない。



午前9時。甲州街道の仙川まで戻ってきた。予想外に気温の上昇が早い。訪ねる予定だった深大寺城跡を入り口でパスして帰路についたが,この時点ですでに30度は超えていたと思われる。



家路を急ぐ。帰りは道の北側を走ることになるが,甲州街道は街路樹が濃く道は上りも日陰になっている。



桜上水で最後の給水をして一気に家まで走った。

10時少し前に帰宅。家の中はまだひんやりとしていてクーラーの効きも早かった。シャワーを浴びて冷蔵庫の炭酸水を1400mL飲んだが乾きが癒えない。



頸動脈に氷嚢を押し付けると見る見る氷が融けた。夏の散歩のあと息が荒い愛犬の首に何度か同じように氷嚢を使ったのを思い出した。



1時間ほど横になると回復してきた。あと10分帰宅が遅れたら二人とも重い熱中症になっていただろう。ぎりぎりだった。

太ももの表側に張りを感じる。自転車で太ももに来たのは初めての体験だ。