October 4th/2020
上総ツーリング
上総中野~大多喜 距離: 18.5km

土曜も仕事が終わるのは深夜。オフィスの掃除を終えて,オーリスの屋根にジャイアントとオルベアを設置する。京葉道路を東へ,そして房総方面に南下する。数年前まではよくこうして深夜行したものだ。今は後部座席いっぱいにのびのびと寝ている愛息はいない。ボクらの旅はまた二人旅に戻った。
目的地近くで仮眠する。

6時過ぎに目が覚めた。さあ初のドライブ&ライドの始まりだ。…ドライブ&ライドは造語である。ボクたちはシニアドライブ&ライドのパイオニアになるのだ。

ツーリングのスタートは曼殊沙華寺。webマップで偶然このロマンチックな名の寺を見つけてこの旅を思い立った。


花はいっぱい。人は誰もいない。

風はなく暑くも寒くもない。 きっと今日は一年でいちばんのツーリング日和だろう。

野原の空き地が広大な町立駐車場になっている。最寄りの駅前には駐車場が見つからないので車はここに置かせてもらおう。

いったん駅に戻った。とてもキレイなトイレがあるのを確認してあった。ツーリングの前に借りてから出かけよう。と…
ひえええええぇぇぇええ!!
朝の静寂を引き裂くドレミの悲鳴。すわ何事!!

手を洗おうとしたシンクに先客がいらした。

カエルはこわくないよ。驚いただけ。

走り出してすぐに風情のよい無人駅を見つけて立ち寄った。

待つこと15分。大原行きの普通列車が来た。

ゆる鉄(写真家中井精也さんの作品)風。
こんなにのんびりと撮り鉄するのは何年ぶりだろう。心が少しずつ回復している。

上総中野駅から大多喜までずっと下り坂なのでぬるい行程である。実はグーグルアースで標高を調べてきている。

いすみ鉄道と夷隅川に沿って20km弱を走る。下り坂ではボクがぐんぐんと引き離すが上りになるとじわじわとドレミが追いついてくる。

秋の花々が行く手行く手の路傍を飾りボクたちを待ち受ける。空気は芳わしいキンモクセイの香りに満ちている。

平地の開けた場所に自転車を停めてペットボトルの紅茶で水分補給する。
「ここに列車が来てくれればいい撮影ポイントなんだけどねえ。」
と冗談で言ったら,たちまち近くの警報機が鳴り出した。よっぽどボクたちのふだんの行いがよかったらしい。
大多喜の町に入ったところでドレミが
「さっきの石碑に天然リシン流発祥の地って書いてあった。」
と言う。
「まさか」
と思ったがもしも本当なら見逃しては由々しきこととなる。念のために石碑まで引き返した。

「天然瓦斯発祥の地」だった。
看板を熟読してドレミが言った。
「リシン流とは関係ないみたい。」
当たり前である。

中心街の入口で夷隅川にかかる橋を渡ると大多喜城を模したコンクリートの天守が見えた。
城をバックにX-E2を地面に置いて記念撮影した。

東にわずか450m進むと今渡った夷隅川が南側で蛇行し再び北上してきて橋を渡ることになる。その橋のたもとが大多喜市内最初の目的地である。

橋に立つ「本多忠勝像」
徳川四天王で真田幸村の兄信之の岳父にあたる。大河ドラマ「真田丸」で藤岡弘さんが演じた人間味あふれる忠勝には魅了された。
徳川家康の関東移封の際,房総半島の重要拠点として大多喜城を改修して城下を整備した。刃先に止まった蜻蛉がそのままはらりと二つに切れたと伝えられる名槍蜻蛉切をかき抱いて戦場に赴くこと50数たび,かすり傷ひとつ負わずに武功を重ねたと言われる。
…が,それにしてはこの像…。

如何せん小さい。

こちらは東詰めで采配を振るう忠勝…従うは二輪武者一騎。
あまりの小ささに同情を禁じ得ない。

お菓子を出して大休憩。

移封の際,忠勝が建立した良玄寺を訪ねる。

向かって右から正室於久の方(見星院)墓塔
中央忠勝墓塔
左は二代目大多喜城主本多忠朝墓塔…忠勝の次男で外房で難破したスペイン船サン・フランシスコ号の乗組員を保護したことで知られる。大阪夏の陣で戦死。

大多喜の中心街を抜け,町の西にある小山の山頂に大多喜城跡がある。その中腹にある県立大多喜高校の校庭にお邪魔する。部活中の子たちに「こんにちは」と挨拶すると気持ちのよい返答が帰ってくる。どうやらボクらのようなマニアの来訪に慣れているようだ。

校内にある二の丸御殿薬医門は廃藩置県の際に地元の名士小高半左衛門に払い下げられたが曽孫によって校門として寄贈された。現存する唯一の大多喜城建造物の遺構である。

さらに校庭の奥,吹奏楽部が練習する中庭の外れに厳重に鉄柵に囲まれた穴がある。

詳細はこちら。
これで遺構はおしまい。城跡に残るのは僅かな土塁跡だけとのこと。登るかどうか迷ったが時間が十分にある。ジャイアントのギアをいちばん軽くして斜めジグザクに坂道を登った。

坂の途中の二の丸跡公園。ドレミは平気そうにしている。こなた心臓ばくばく動悸息切れが激しい。

ゴールにあるのはコンクリートの城。

高校の校庭にある井戸跡がよく見える。

本多忠勝…姉川,三方ヶ原,長篠,伊賀越え,小牧・長久手そして関ケ原と武勲に枚挙の暇ない。
一方家族愛には厚く,文献には残っていないが真田昌幸,幸村父子の助命は彼の嘆願なしにはありえないはずだ。


上総大多喜ツーリングはこれにておしまい。大多喜駅まで下りて来た。

ここからボクがいすみ鉄道で上総中野まで行く。

駐車場に停めてある車に乗ってドレミと自転車を迎えに戻って来るという作戦である。

新型コロナウイルス感染防止のためずっと東京で地下鉄を利用していなかった。今年初めて列車に乗る。東京以外で鉄道を使うのは5年前のフランクフルト以来だ。

列車の時間までまだ1時間以上ある。

駅前に天然ガスの資料館があった。町に入るときドレミが見つけた発祥の地碑は大げさではない。大多喜の天然ガスは現在も供給中である。慶長元年に発見されたという説もある。本当なら忠勝の時代,関東ばかりか日本全体で発祥の地かもしれない。

「こんにちはー」
受付には毛糸の人形が座っていた。

ドレミが待つ間の喫茶店を探しに旧大多喜街道に出てみたがどの店も午前中はまだ準備中だった。

釜屋という古民家が一般公開されていた。

訪なうと町のボランティアの方らしい女性がいらして,とても丁寧に中を案内してくれた。

汽車の時間が来た。駅の駐輪場にオルベアとジャイアントを繋いだ。上総中野の駅から車を停めた駐車場までは歩いて15分ほどもかかろう。1時間では戻れないかもしれない。
「いいよ。ガス館の前のベンチに座らせてもらって本読んでるから。」
確かに文庫本一冊あればいつでもどこでもドレミは待っている。
だがここでボクはハタととてもいいアイデアが閃いた。
どうしてこれに気づかなかったのだろう。

「一緒に汽車に乗ろう。」
「え?」

たった410円じゃないか。二人でいすみ鉄道を楽しみながら車を取りに行こう。

レトロないすみ鉄道上総中野行きが入線して来た。

「わーい」
発車しまーす!!

置いてけぼりの自転車が見えた。

気動車がゆっくりと秋の景色を窓辺に運んでくる。

自撮りツーショット

お菓子箱オープン!!

はしゃいでいる。

前方は家族連れに占拠されていた。

その後ろから撮影する。朝に汽車を待った西畑駅である。

20分ほどで上総中野に着いた。

さあ歩こう。

てくてく。

踏切でボクたちの乗ってきた汽車が大多喜方面に戻って行くのをちょうど見送った。上総中野はいすみ鉄道の終点でここより西は小湊鉄道が走る。

「ひとりじゃなくてよかったよ。」
「え?聞こえなかった。何?」
「何でもない。」
歩く人はめったにいないのだろう。道の際まで出てきていた大きな鹿がドレミと出くわし,驚いて雑木林に逃げて行った。あたりはキンモクセイの香りに満ちている。


腰が限界にきて歩道にしゃがむ。脊柱管狭窄症はこうして数分しゃがめばまた普通に歩ける。最近はドレミも腰がよくない。二人で路傍にしゃがみ,電柱の脇のヒガンバナなど撮影している。ずいぶんと年を取ったものだね。

駐車場に戻ってびっくりたまげた。朝は一台もなかった観光客の車がけっこう半分くらい駐車スペースを埋めている。この人たち,みんなあの小さな曼殊沙華寺に行ってるのだろうか。そうこうするうちにまた一台車が入ってきた。
こりゃいけない。迷惑にならないように早く車を出さないと。

四たび上総中野駅に戻った。

駅前の蕎麦屋が営業していたからだ。

席はぐるりと壁に向かって配置され,中央のテーブルは少々頼りないシートで仕切られていた。

冷やしたぬき蕎麦。
絶品だった。

かつ丼
最近は東京でもパン屋さんに取って代わられているが駅そばは日本の文化だと思う。GO TO なんとかの援助は,小さな駅でいい仕事を続けているこんなお店に届いているのだろうか。
蕎麦屋でランチしたので,大多喜にもどる途中にまたいすみ鉄道の通過時間が来た。道路脇の空き地に車を停めさせてもらい,久しぶりでミラーレスに望遠ズームを装着してみた。10分ほど待つ間に助手席のドレミはぐーぐーと眠りに落ちた。警報機が鳴り車のドアを開けても目を覚まさないので起こさないことにした。まだ一面青い田んぼの中に気動車の黄色い車体が映えた。


大多喜駅に戻って自転車を回収する。

作戦完了
初めてにしては上出来のツーリングだった。

予定より少し遅くなったので渋滞が始まっている。京葉道路にするか迷ってアクアライン経由を選んだが外れた。木更津から海ほたるまできっちり渋滞した。

それでも暗くなる前に帰宅して風呂に入ってから夕飯にできた。コンビニで買った地酒である。上総の地酒はみな旨い。
