Junuary 11th/2021
羽根木公園
世田谷周遊 8.3km
連日2000人の新規感染者を出している東京,そのほとんどが23区内に集中している。緊急事態宣言や白々しい都知事の呼びかけがあろうとなかろうとわざわざ人ごみに出かけるばかはいない。
さて二人でのチャリ活初めにどこに行こうかと考えぬいた挙句に羽根木公園を選んだ。ウチから4kmほどのところにある梅の名所である。…が如何せん梅の時期には1ヵ月ほども早い。
そこが狙い目である。咲いている梅の木は20本ほど,訪れる人もその木の数ほどしかいない。
今朝は格別に冷えてバケツの水も凍ったらしい。休日の朝,人の出も遅い。
満開でもちらほらでもマクロ撮影すればほとんど変わらない。巨大なフルサイズ一眼に代わって今日も軽量APS-Cのミラーレスで片手撮影。 閑散とした梅園で香りと鳥の声を追った。
防寒にぐるぐる着込んでいるのでかなりカッコ悪いが人に会うでもなし。
母や義母に送ろうとして一生懸命花を撮っている。
iPhoneではちと難しかったか,撮影はあきらめて
「おやつターイム!」
ぐるぐる巻き防寒のおかけで,吹きっ晒しのベンチに座っても寒くない。
取りい出したるはパンさんのお茶の小麦饅頭とポットのコーヒー。
二人で半個ずつ。目の前に下りて来てひたと動かぬ小鳥にも,いけないと知りつつ辺りを見回しながらこっそりひとかけら…。
シーズンに備えて園内の坂にはゴザが敷かれて一方通行の標識が立てられている。昨春の緊急事態宣言中は花見の名所がみな閉鎖された。果たして今年はどうなるのだろう。人びとの様子にはあまり緊張感がない。
「外(と)にも出よ ふるるばかりに 春の月」
肥後出身で高浜虚子の弟子だった俳人中村汀女は戦前からここ代田に住んで羽根木公園の散策を愛したという。1988年に逝去。句碑はその翌年に建立された。
自転車を引いて石段を下り,駅方面に向かう。
見よ,この情けない歩き方。転ぶのを怖がっている。15分立っていられなくなったボクは立っているとき,歩くときのバランスがとても悪くなっているのだ。
羽根木公園の下,梅ヶ丘駅の東側。数年前に地下化された小田急線の跡地にお店やアパートが建ち並び,見知らぬ町になっていた。
隔世の感がある。
駅の南口に回った。…しめしめ,まだ美登利寿司の売店に行列はできていない。実はここが本当の目的地である。その訳は以下である。
母の友人でおん年92才のMさんが,母の不在を知っているのにこの年末年始に仕事で留守にしている我が家を2度も訪ねてきてくれた。
彼女は中村屋の工場に伝手があり肉まんやレトルトカレーを社販価格で買えるらしい。それを冬期講習で忙しいボクたちに差し入れに来てくれたのだ。夜,帰宅すると玄関のドアに肉まんの袋が下っていたのでそれと知れた。
お返しに何をしようか考えて思いついた。このあたりの古くからの住民にとって美登利寿司はテイクアウトのトップブランドである。たぶんMさんもご存じだろう。「それはいいアイデア。」とドレミも賛成した。
ドレミの祖母もごひいきだった。予約ができないので店にはいつも行列がある。ボクたちが利用するのは専らこのテイクアウト専用の売り場であるがコロナ禍の渦中でも人気に陰りはない。ほら,ドレミが店から出てくる間に,もうこんなに列ができてきた。一足違い,早めに出てきて大正解。
寿司のパックを崩れないようにそっとリュックに詰めてよい姿勢を保ちながらペダルを漕いで帰路に就く。途中,Mさんのマンションに寄った。ドレミがパックの寿司や玉子焼きをどっさり戸口に届けた。
帰宅してボクたちもリッチな美登利寿司ランチをしていると,Mさんから感激の電話があった。耳があまりよくないのか機関銃のように一方的にしゃべる。美登利寿司まで行けなくなって久しい。顔を合わせていなかったボクにも直接お礼が言いたかったとのこと。
今年最初の休日とても気分のよい一日になった。