27/永代橋~大寒桜と御宿かわせみ


March 6th/2021


今夜はワーカーホリックのドレミが30分くらい残業して事務仕事を片付けたいと言い出したのでジャイアントで先に職場を出た。いつもとは逆に先行して拾ってもらう夜行チャリ活である。

小名木川沿いを東に走る。小名木川は浦安で採れる塩を江戸に運ぶために掘られた運河である。現在は浦安に塩田はない。跡地はネズミーランドになっている。



15分ほどで隅田川まで来てしまったので隅田川大橋に寄り道した。らせん状の歩道があって自転車も橋の上に登って行ける。橋の上から下流の永代橋を臨む。去年はオリンピックとのタイアップ企画でこの時間(23時前)でも美しくライトアップされていたが今年は21時には消灯されている。オリンピックは競技や地元とは関係ないところで注目を集めているが,町の反応は冷ややかである。開催は危うい。



永代橋の東詰め北側に到着。オオカンザクラがしょんぼりと立っている。これで満開である。以前はいち早く咲く桜としてお江戸に春を呼ぶ名物だった。



ボクたちの通勤路なので毎年楽しみにしていた。かつてはごらんの通りの樹勢,在りし日のタローと満開のオオカンザクラ。

5年ほど前にばっさりと枝を落とされてみすぼらしい姿となった。おそらくは樹木医の診断に従い江東区か国土交通省によってなされた処置と思われるが詳細は知らない。



永代通りを南側に渡ってみるといつの間にかこちらのオオカンザクラも伐られて小さくなっていた。


永代橋のオオカンザクラは橋が現在の位置に移転架橋された記念に,四方のたもとに植えられたものと聞く。北西の一本は枯れてしまって現在は三本が残っている。


橋を渡る。



佃島のタワーマンション群。1590年に家康公江戸入府の際,江戸の漁師のレベルが低すぎて魚介類を食べられないことに辟易して,駿河から10人の腕利き漁師を家族ごとこの島に移住させた。今は見る影もないがかつては江戸前の漁業をリードする漁師たちの島だった。佃煮発祥の地でもある。



西詰に着いてあっと声を上げてしまった。確か去年は枝を広げていたオオカンザクラがこちらもばっさり切られていた。



切り口が痛々しい。園芸には全く知識がないボクでも「桜切るバカ梅切らぬバカ」…と聞く。ホントにこんなに切ってしまって大丈夫なのだろうか。


さてオオカンザクラのない西詰北側。これは東岸から撮った全景である。中央奥を流れてくるのが日本橋川,その河口に架かるのが豊海橋。江戸時代は写真右端,緑の土手が街灯に照らされている辺りに永代橋が架かっていた。

小説「御宿かわせみ」でるいが経営する「かわせみ」は現在の永代橋と豊海橋の間,写真中央付近にあったと思われる。作中,畝源三郎のお手先で佐賀町(東岸)の蕎麦屋長寿庵の主人長助が永代橋を渡った後,直角に折れて豊海橋を渡ってかわせみに来るところを店先や二階から眺める描写が何度もある。


豊海橋。写真右奥が江戸時代の永代橋跡。つまりちょうど前述の長助を見る位置からの撮影となる。



豊海橋の位置が変わっていないとすれば豊海橋を撮った位置、ちょうどジャイアントが置いてある辺りが御宿かわせみの場所と推定される。


ドレミから職場を出たとLINEが来たので,急ぎ永代橋を佐賀町側に戻る。車だと15分くらいで着いてしまう。

「御宿かわせみ」はドレミもいっしょに一時期ずいぶん読んだものだった。東吾とるいにずっと赤ちゃんができないことにシンパシーを感じていた。二人の間に千春ちゃんが生まれてから読まなくなった。

迎えに来たドレミが桜を見に車を下りてきた。この桜の下を一緒に散歩したボクたちの息子は今はいない。

関連ページ:永代橋に春を告げる大寒桜(17年前のエッセイです)