夕べはチャリ活の夜道を12km走った。今週少々困っていた胃腸炎も今朝は回復して昼には崎陽軒の弁当を丸々ひとつ食べた。
背中に痛みを感じたのは2時半ごろ,見ていた子どもたちをひとつにまとめてなおみに託し,事務室の床に転がった。
3時過ぎ,痛みはのっぴきならない状態,横になっているのも辛くなり,体を起こしてうずくまった。
一瞬意識が飛んだのをシオに授業しているなおみを呼んだ。なおみはボクの顔色を見て躊躇なく119番した。
入院を覚悟してスマホの充電器までかばんに詰めさせた。
例えばすい臓がんでここまで痛みが激しければもう病院から戻れないかもしれない。
だが救急搬送される車内で救急救命士の問診に答えながらようやく気付いた。5年前と同じ痛みだった。
搬送先の病院で手当てを受けた。果たして尿管結石の再発だった。処置と鎮痛剤で痛みは引き,CTを撮ると石はふたつ。
どちらももう腎臓の下部に落ちていた。先週の日曜日,自宅にいるときに同じ症状が出て1時間ほど寝込んだ。
思えばそのときに気づくべきだった。
尿管結石と分かっていれば先に受診して処置してもらっただろうし,発作が来ても慌てることはなかったろう。
この非常事態の中,救急車や救急病院に迷惑をかけたことは忸怩たるものがある。
医者も看護師も口を揃えて尿管結石の痛みで救急車は仕方がないと慰めてくれたが,それは初めてのときの話だ。
腰痛発作の慢性化と偶然患った胃腸炎が予知の邪魔をした。
さて,土曜日の午後は中学受験生のクラスである。週末は算数と理科が中心なのでボクが不在ではどうにもならない。
なおみが振替の手筈をして臨時休講となった。新小6の受験生は男の子2人と女の子1人。極端にできる子たちである。
ボクのことを心配するあまり,誰がどう提案したのか相談の結果,3人は病院に行こうということになった。
自転車でボクが搬送された隣町の病院までやってきた。受付で見舞いを申し込んだがコロナ禍でかなわなかった。
まるでサウンドオブミュージックのような展開である。3人は病棟に向かって平癒を祈って解散したらしい。
鎮痛剤がすぐに効いたのは彼らのおかげかもしれない。