本当はしまなみ海道を自転車で渡ってやろうと計画を立てていた。だが感染の再拡大がそれを許さなかった。ボクたちの旅で対面する現地の人の人数のは一桁に満たないので,それが感染拡大につながるとは考えにくいが,東京都が県外への不要不急の移動の自粛を都民に要請している。旅を断念する判断は実質面ではなく,専ら規範と外聞に配慮してのことである。
3月31日
皇居桜田門
かくて行き先は通勤コースの皇居周辺となった。
皇居前広場
今年の花は例年より10日ほども早く,もう八重桜が咲き始めていたのを通勤の車窓から見て知っていたからである。
皇居一周散歩にはタローとの思い出が多い。もちろん連れてきているがはしゃぐでもなく大人しい。
千鳥ヶ淵
内堀は菜の花とハナダイコンが盛りである。
島らっきょうの天ぷら
ここ2,3年,皇居散歩すると銀座の沖縄アンテナショップに立ち寄って食材を買い「宮古島ごっこ」と称する料理を楽しむのが春の恒例行事になっている。この時期には生の島らっきょうが手に入る。
古謝製麺の宮古そばが売っていた。
オリジナルのラフテーライス。もはや宮古料理からは遠い(笑)
なおみも負けじとサーターアンダギーにチョコチップを仕込んだ。しまんちゅのりえちゃんにLINEするとオッケーの返信。沖縄の文化は柔軟性が特徴である。
4月1日
朝から張り切って冬タイヤを洗ったら,力尽きて午後はほとんど寝込んだ。自転車で皇居まで往復したのも効いたか。この体力ではもししまなみ海道に行っていたとしても完走はおぼつかなかった。なおみは庭の整備を甲斐甲斐しくしていた。
4月2日
なおみが インターネットで注文しておいた消毒スプレーが届いた。
去年はアブラムシの被害で梅の収獲が激減した。今年は先手を打った。秋に肥料も入れている。果たして成果やいかに。
梯子押さえという重要な任務を終えたボクは続いて剪定した木の枝を電ノコで切る作業に従事した。ついでに大きな木のごみを回収サイズにカットする。
これはスパイクの時代にタローと旅するためにホームセンターで買ってボクが荷室に設えた棚である。
切断してゴミに出すにはいささか胸が痛んだ。
コロナの感染が拡大した去年3月以降,新宿や原宿,銀座に出かけることをぴたりと止めたなおみが唯一休日にショッピングに行っていた笹塚の駅前モールが建て替えのために全店閉店した。このモール自体がボクにとっては新しい笹塚の風景だったが時の流れは早い。
生まれたときから半世紀以上,あるのが当たり前だった中村屋の工場も閉鎖となった。ボクの住む町は次第に知らない町に変わってゆく。
4月3日
なおみはひたすら庭を片付ける。
ボクは先月描きかけた油の続きにようやく着手した。
4月4日
サイトの整備やブラウザに保存されているパスワードの整理などPCに向かうと作業は次から次へとキリがない。これらにかける時間を勘案すると,ITは本当に便利をもたらしているのか疑わしい。加えて訳あって携帯電話を買い替えようとしている。毎度のことながらそれにもタイヘンな労力と時間を要する。
正月に球根を植えたチューリップが望外なことに盛大に咲いた。ベランダでは見えにくいので通路に下した。道行く人がみな「きれいですね」となおみに声をかけてゆく。
花芽が出ないのが数株,一株はザゼンソウ状態が続いている。
休み中は毎日料理を作って家飲みしている。
笹塚のスーパーで,値下げの札になおみが決断するとちょっぴりゼイタクな食材を使うこともある。
これは暮れに買った虎の子のホタテである。
晩餐の間のテレビは溜まっていた「英雄たちの選択」とモエ姉が送ってくれた「あてなよる」の録画である。
夜,驟雨となる。